1st.リクエスト3

Morning glow


Orange memories

 それは遠い過去。幼い頃の思い出。とある夕暮れ時。リュカ、クラウスと共に遊び回った帰り道。
 クラウスはゆっくり歩く私達を待っていられず、有り余る体力を発散させるように先を駆けていく。
 置いていかれて半べそをかくリュカ。手を繋いで歩いていると、彼は突然立ち止まった。
 つられるように足を止めれば、どこか真剣な面持ちの彼がこちらを見つめている。
 普段甘えん坊で可愛らしい彼が、そんな表情を見せてくるなんてただ事ではない。戸惑う私にかけられた言葉は唐突なもので――

"ナナシっ、お、おとなになったら……ぼくと、けっこんしてください……っ"

 精一杯振り絞ったであろう声は、微かに震えている。目尻に雫が残った瞳は夕日を受けて、より一層輝いていた。
 今でもその光景は私の脳裏に焼き付いて離れずにいる。確か私はあの時、何と答えたか。
 肝心な部分が思い出せないまま、あれから十五年の月日が経つ――

「おーい、ナナシ! 聞いてるか?」

 過去に意識を囚われていた私は、耳元に寄せられた声で弾けるように顔を上げた。目の前には眉を下げているクマトラの姿。
 彼女は私の友人で、共にこの"クラブ・チチブー"でウェイトレスとして働いている。今は休憩中で、従業員用の小部屋にて雑談を交わしていたところだった。

「あー……ごめん。途中までしか聞いてなかった」
「だーから、リュカは男としてどうかって話だよ」

 回想の渦中に居た人物の名が上がり、肩が跳ね上がる。口ごもる私を前に、クマトラは呆れるようにため息をついた。

「前にも言ったけど、私はリュカのことは幼馴染だと思ってるから……」
「お前はそうでも、リュカは――

 その時、クマトラの声を遮るようにチャイムが鳴り響いた。同じ一時間でも働いてる時は長く感じる一方で、休憩の時になればあっという間に溶けていく。
 私達は軽く息をつくと、それぞれの業務に勤しんだのであった――

***

 日がとっぷり暮れた頃、自宅のドアを開ける。母が夕食を作っているからか、スープのいい香りが玄関まで漂っていた。
 やがて夕食になり和気藹々とした空気の中、母の放った一言が私の肝を冷やす。

「あんた、もうすぐ二十歳になるでしょ。そろそろ彼氏ぐらい見つけなさいよ」
「うげっ……」

 スプーンを持つ手が止まった。確かに私は来月で成人を迎える。それでも今まで、結婚というものを意識したことはなかった。
 仕事が楽しいということもあったし、タツマイリ村に住む同年代の男性に対して意識を向けたこともない。

「その様子だとまだまだね……でも安心しなさい! 近い内にお見合いの手配をしておくから!」
「ちょっと、何考えてんの!? 余計なお世話だよ……!」

 突拍子もない展開に思わず頭を抱える。この歳になっても浮いた話の一つもないというのに、いきなり見合いだなんてついていけない。

「ナナシがいつまで経っても身を固めようとしないからでしょ。母さんだって心配なのよ」

 母は昔からこうだ。一度決めたことは誰が何と言おうとも貫き通そうとする。こうなると真っ向から対抗しても押し込まれてしまうだけ。
 お見合いなんて、絶対に嫌――確固たる意志を胸に秘めながら、私はこんなことを口走っていた。

「そんなことしなくても、私……恋人いるから!」
「やだっ、そうだったの? 早く言いなさいよ、そんな大事な話! ああ、一度会ってみたいわ。近い内に連れてきなさいな」

 事態が、物事が、一番曲がってはいけない方向へと進んでいく。嘘だと言ってしまえば振り出しに戻り、待っているのは強制お見合い。
 それはなんとしても避けたい。ならばやはり"男"を連れてくる他はなく。自ら袋小路に踏み込んだ私は、ぎこちなく頷くしかなかったのだった――


 翌日。この話をクマトラに相談した私は、彼女に協力してもらえるように頼み込んでいた。
 クマトラはオフの時にはボーイッシュな装いを好み、振る舞いも男勝りな部分が目立つ。その上、母は彼女の顔を知らない。
 なのでクマトラに男装をしてもらい、母と対面してほしいと何度も頭を下げたのである。

「お願い、助けて! このままだと無理矢理お見合いさせられちゃうんだよ……!」
「なるほどな……そうだ! オレよりもうってつけのヤツ知ってるから、当日になったらナナシと会わせてやる。それでいいか?」

 クマトラ本人が来てくれるわけではないと落胆する。しかしこの状況でとやかく言っていられないのも事実。渋々受け入れるしかなかった。
 しかしそのクマトラの知り合いとは一体何者かと、何度聞いてもはぐらかされてしまうのだった。

***

 休日の正午。私は村の交差点で待ち合わせをしていた。この日、母と"私の彼氏"が対面する。
 一体どのような人がここに来るのか。別の意味で不安が押し寄せてきたとき、その人物は私の前に現れる。
 そこには昔から見てきた幼馴染の姿があった。逆立つ金髪は陽光を受けて艶を増し、大人びた顔には爽やかなものを湛えている。

「やあ、ナナシ。待たせたみたいだね」
「り、リュカ……!? まさか、クマトラから……?」
「ああ。この前"なんかナナシが困ってるから様子を見に行ってくれ"って、頼まれたんだ」

 なるほど、彼がクマトラの言う"うってつけ"の人物か。以前の話に上手いこと結びつけてきたものだ。
 彼女のやり方に半ば感心してしまう。こうして私はリュカと共に、自宅で待つ母のもとへと赴くことになった。
 聞けば、リュカはクマトラから詳しい話を聞いていないらしい。単純に私が困っていたから、という理由で駆けつけてくれたのである。
 ありがたい反面、どこかこそばゆくなる。私が真実を語ると、彼は戸惑うどころか柔らかく微笑んだ。
 あっさり承諾してくれたことに困惑しつつ、家に着くと玄関先には母が立っていた。いてもたってもいられないということか。私達の姿を見ると途端に顔を綻ばせる。

「まあいらっしゃい……って、リュカちゃんじゃないの! ナナシの恋人ってあなたのことだったのね!」
「こんにちは、おばさん。お元気そうでなによりです。今日はよろしくお願いします」

 礼儀正しく挨拶をする姿に思わず見惚れる。普段からは想像できない、紳士的な振る舞いに面食らってしまった。
 母が上機嫌でリビングへと案内すると、早速用意された席に着く。部屋がいつもより綺麗に整えられているのは気のせいではないだろう。
 母は向かい側に腰掛けると、まずは世間話から入る。私はというと、相槌を打ちながらリュカがボロを出さないようフォローに徹した。

「ところでリュカちゃん……ナナシのこと、これからも末永くよろしくね。こう見えて根はしっかりしていて、私にとって自慢の娘。どうか、大切にしてほしいの」
「はい、勿論です。ナナシのことは僕が幸せにします」

 突然始まった公開プロポーズのような展開に、言葉を詰まらせてしまう。今回はあくまで母の暴走を抑える為に同行してもらっただけ。
 実際には付き合ってすらいない"仮の恋人"。巻き込んでしまったリュカには本当に申し訳ないと思う。
 なのに彼は、どこまでも本当の彼氏のように振舞ってくれていた。その優しさは、何によるものなんだろう。
 リュカの返答を受けた母は、心底安心したという風に胸を撫で下ろしていた。これで落ち着いてくれることだろう。彼には感謝してもしきれない――


 西日が照らす頃、私とリュカは村の交差点に戻ってきた。一件落着したというのに、まだ一つ問題がある。それは、私の頬の熱が引いてくれないことだ。
 そっとリュカの方に目を向けると、橙に照らされた双眸が私を真っ直ぐに見つめていた。大人びて引き締まった顔。いつの間にか抜かされていた身長。
 そして、今の彼の姿によって遠い記憶が呼び起こされる――

"いいよ。リュカがわたしよりおおきくなったらね!"

 それは幼い頃、リュカから受けたプロポーズへの答えだった。私はとうの昔に、彼の想いを受け止めていたんだ。
 目を逸らせずに見つめ合っていると、リュカの瞳は柔らかく細められる。

「さっきおばさんに言ったことだけど……僕、本気だよ。ナナシへの気持ちは"あの頃"から変わってない。昔君から貰った"返事"も覚えてる……だから、今こそもう一度言う――

 ”結婚を前提に、本物の恋人になってほしいんだ"。その言葉を聞いて、私の中の何かが音を立てて崩れていくのが分かった。
 堰を切ったように、彼に対する想いが溢れて止まらない。やがて視界が滲み出すと、私は彼の胸に飛び込んでいた。
 これから彼と結ばれ、どれだけ時が流れようとも、あの夕日の記憶が色褪せることはない――

 アミノ様へ。大人リュカの甘夢ということで、どこまでも一途で頼りになる男へと成長したリュカとの関係を描かせていただきました。
 今回はお祝いの言葉と素敵なリクエストをありがとうございました!
 お持ち帰りはアミノ様のみとさせていただきます。



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