こちらは三周年&10000HIT記念SSです。
楽しんでいただけましたら幸いです。
ある春の休日のこと。私は今、屋敷の主"マスターハンド"の部屋に呼ばれていた。マスターの横には大きなカプセルのような装置が二機置いてあり、私の隣には先に呼ばれていた一人のファイターの姿が。そしてマスターからの用件を聞いた私達は揃って目を丸くすることになる――。
「つまり……その機械の中に入る、ってことですか?」
「そう、君達にはモニター役としてこの"仮想空間転移装置"の試作機に搭乗してもらいたい」
巨大な右手を象った姿からは表情こそ伺えないものの、その声色から察するにどこかうきうきとしているのが伝わってくる。マスターが大の発明好きなのは知っていたけど、まさかただの使用人である自分が巻き込まれる日が来るなんて。
隣の彼が"何故自分達なのか"と訝しげに疑問を投げかけると、マスターは"ふと思い浮かんだのが君達であり、相性が良さそうだから"と、あっけらかんとした口振りで答えた。曰く私が一般人代表、隣の彼がファイター代表ということらしい。
「当然身の安全は保証するし報酬も出す。どうか引き受けてくれないか」
主である彼にはこの屋敷に拾われた恩もあり、ここまで頼み込まれるとなんとも断りにくく"一回だけなら"と私はその提案を了承する。隣の彼も渋い顔をしていたけど、"ナナシを一人で行かせたくない"と言いマスターの頼みを引き受けることを選んでくれた。
「二人とも感謝する。久々の自信作でね、すぐにデータ収集がしたくて堪らないんだ。早速で悪いが乗り込んでもらえるか」
マスターの言葉を合図に転送装置のカプセル部分が開いた。中はそこそこゆとりのある空間で、ロボットアニメに出てきそうなコクピットに似た造りになっている。
説明によるとこの機械によって肉体と精神を一時的に切り離し、意識だけを任意の仮想空間に飛ばせるというものらしい。もし向こう側で相当のダメージを受け気絶した場合などは、自動的に元の肉体へと戻るという仕組みなんだとか。
「仮想空間に入った後のことだが、君達には私が用意したミッションをこなしてもらう。何、それ程難しいものではないから楽しんでみてほしい」
引き受けた以上はちゃんとやり遂げたい。私は隣の彼と共にそれぞれカプセルに乗り込んで、マスターの指示通りに装置を起動させる。
「それでは二人とも、良い旅を」
マスターからの激励を受けると同時にカプセルの中は暗くなり、私の意識は緩やかに微睡みの中へと落ちていった。再び目を開いた時、どんな世界が広がっているんだろうか。
やがて意識が覚醒してぼやけていた視界が鮮明になっていく頃、私達の前に広がっていたのは――。
枝葉が揺れる音と鳥のさえずりによって目を覚ました私達は、なんと森の中に倒れていた。どうやら此処がマスターのいう"仮想空間"らしい。
「これは、無事に転送されたってことでいいのかな……?」
「多分そうだよ……ってナナシ、いつの間に着替えたの?」
「えっ、そういうネスだって……まるでゲームの勇者みたいな姿になってるよ!?」
目の前のネスは鎧にグローブ、マントといった防具を付けており、腰のホルダーにはお約束の剣――ではなく彼がいつも愛用しているバットが収まっている。
普段はシャツに短パンというラフな服装を好んでいる彼だけど、やはり男の子だ。こういう姿もよく似合うな、と見惚れてしまいそうになる。
対する私もこれまたゲームに出てくるようなデザインの身軽な衣装を纏っていて、背中には矢筒と弓が備え付けられていた。ということは私の役職はアーチャーでいいんだろうか。
ネスがまじまじとこちらを見つめていることに気付き、視線を合わせると彼は一瞬慌てるような素振りを見せて顔を逸らしてしまった。一体どうしたんだろう。
「ネス、どうしたの? 私の格好どこか変……?」
「え、いや、そんなことないっ。ただ、服が変わるとは聞いてなかったなって……この後どうするんだっけ?」
「確かマスターは"ミッション"をこなしてくれって言ってたような」
しかし肝心のミッションの内容が分からない。どうしたものかと二人して考えを巡らせていると、私はズボンのポケットに何か入ってることに気付いた。
取り出してみるとそれは折りたたまれた一枚の紙。とにかく広げるとそこにはマスターから私達に宛てたミッションの内容が書かれていた。
"君達は魔王討伐の旅に出ることになった勇者という設定になっている。だが今回は試運転ということで、その森の奥にある洞窟に潜む魔王の手下を倒せばミッションクリアだ。健闘を祈る"
「なるほどね……って私達魔物と戦うの!?」
「うん、そういうことになるね。割と単純な内容でよかった」
さすが元の世界でも宇宙人や怪物達と戦ってきたことのあるネスは、取り乱すこともなく冷静だった。だが私はそれとは無縁の世界で生まれ育った一般市民。
この弓だって使いこなせる自信は全くないし、攻撃されたらどれぐらい痛いんだろうなどといった不安要素は山積みだ。それが顔に出てしまっていたようで、ネスは私の手を握ると微笑んでみせた。
「大丈夫だよナナシ。僕が守るから、ね?」
「……ありがとうネス。私も頑張ってみる」
ネスが笑顔を見せてくれるだけで、胸の中に渦巻いていた重たく暗いものが嘘のように晴れていく。いつも以上に彼が頼もしく感じられて、私も負けていられないと気持ちを新たにした――。
***
洞窟までの道のりも決して楽なものではなかった。獰猛な獣の群れや見たこともない異形の生物達に襲われ、それでも二人で力を合わせて突き進んでいった。そして戦いの中で弓の扱いにも慣れてきて、なんとかネスをサポート出来るようになっていた。
「あっ、上に逃げられた……ナナシ、お願い!」
「う、うんっ、任せて……!」
基本的にはネスが先陣を切ってPSIやバットで敵を次々となぎ倒していき、私は後方で構えて彼の攻撃を逃れた奴らを弓矢で仕留めていくといった連携プレー。
やがて洞窟に着いた頃には日が暮れかけていて、へとへとだった私とは反対にネスはまだまだ体力が有り余っている様子だった。
「ネス、全然疲れてないね……流石に旅慣れしてるなあ」
「いや、それ程でも。実を言うとさ、前からナナシと冒険してみたいって思ってたんだ。こんな形になったけど……僕、嬉しくてつい張り切ってた」
ネスはそう呟いて照れくさそうに頭を掻いていた。それにつられるように私の頬は熱を帯びていく。そんなことを言われたら嬉しいに決まっているじゃないか。何故なら私もずっと君と同じことを考えていたんだから。
「……私も同じだよ。ネスと冒険したら楽しいだろうなって、前から思ってた」
「ナナシ……元の世界に戻ったら、また僕と一緒に冒険してくれる? 君と行きたい場所、色々あるんだ」
「もちろん。約束だからね!」
目の前にぽっかりと口を開けている不気味な横穴を前に、私とネスは場違いにも指切りをして笑顔を交わしていた。"君となら何処へ行っても大丈夫"。私達は互いにそう確信していたから――。
「この森どこまで広がってるんだろう……」
木漏れ日が注ぐ静かな森の中、僕とナナシはある場所を探して獣道を彷徨っていた。
一時間前にこの"仮想空間"の中で目覚めた僕達は、互いの姿が変化していたことに戸惑いながらもマスターが用意したミッションを遂行するべく動くことにしたんだ。
内容は魔王討伐の旅をしている設定で、この森を抜けた先にあるという砦に潜む魔王の手下を倒すというもの。それができたら僕達の精神は元の肉体に戻るということらしい。
ちなみに身に付いていた装備品から推測して僕がアーチャー、ナナシは魔法使いということらしい。僕は元々弓の扱いには慣れているから丁度いい。しかし戦闘の経験がないナナシの方は大丈夫かと心配していたものの――。
「見て見てピット! 私、手から光が出せるよ! 多分これ回復魔法かも!」
「ね、ねぇナナシ、一応聞くけど不安になったりしない? ここは正直に、」
「それにこの衣装可愛いんだよ! 魔法使いといえばローブって印象だけど、こういうスタイルもあるんだね!」
「そ、それは良かった……って、僕の話聞いてないなあ……」
そう。ナナシは僕が思っていたより順応が早かったのである。むしろ彼女のテンションの高さにこちらの方が振り回されそうな勢いだ。
それにしても改めてナナシの衣装を見ると、上半身の布面積の少なさに色々な意味で落ち着かない。背中の部分は大きく開かれていて、肩も思い切り露出している。
どうみても防御力は期待できそうにないし、正直目のやり場にも――って、なんてことを考えてるんだ僕は。 いくら好きな人だからって、そんな邪な考えはダメだ。
それにナナシは僕の事を男として見ていない節があるし。でも、やっぱり少しくらい意識してもらえたら嬉しい――なんて思ったりもして。結局は諦めきれずに期待してしまう僕がいた。
「ピット、大丈夫? なんか難しそうな顔してるけど」
悶々と思考していたところに突然顔を覗き込まれ、僕はまるで石のように硬直してしまう。当のナナシはきょとんとした顔で見つめてきたけど、ふと眉を下げると表情を柔らかなものへと変えた。
「あのね。実は私……マスターの頼みを引き受けた時から不安でいっぱいだったの。でもピットが一緒なら大丈夫って思えたんだ」
「そうなの、ナナシ……?」
「だってピットはその……私の憧れだもん。だから一緒にいられて嬉しかったし、私もこういう時こそあなたの役に立ちたい!」
そう言ってナナシは持っていたロッドを掲げると、嵌め込まれている宝石の輝きに負けない力強い笑みを見せた。その姿は僕の心臓に新たな熱を注ぎ込み、全身へと伝播していく。
「そこまで僕のこと信じてくれてたなんて……ありがとう。何があっても君を守るから、一緒に頑張ろう」
僕が片手を差し出すとナナシはぱっと顔を綻ばせ、自分の手を重ねて握り返してくれた。彼女の小さく柔らかな手から伝わる温度によって、僕の心は今にも踊り出しそうだ。
それからの道中、顔がにやけるのを堪えようと必死になっている内に森を抜けると、今度は広大な草原が現れた。二人して遠くに目を凝らせば、旗を掲げた岩の塊のような影がぼんやりと見える。
「あそこが目的の砦なのかな……? 魔物が潜んでるっていう」
「きっとそうだね。ここまできたら後少しだよ、行こう」
戦いの時が近いことを悟ったらしく、ナナシは身体を強ばらせていた。"僕がいるから何も心配いらないよ"と、言葉の代わりに彼女の手を引いて草原を歩き出せば、繋いだ手をより深く絡められる。大丈夫、君だけは傷ひとつ付けさせないから。
「ナナシ。砦に着いたら絶対僕から離れないで」
ナナシが小さく頷いたのを確認すると、僕は強気に微笑んでみせた。このまま無事ミッションが終われば僕達は元の世界に戻って、普段通りの関係に戻ってしまうかもしれない。
それまでに君の間近で僕の格好良いところ、たっぷり見せておかないとね。ナナシが抱く僕への憧れが、いつか恋心へと変わってくれるように――。
「リュカー、小麦粉の在庫どれくらいあったっけ?」
「確か……ひとまず三十袋分はあるね」
「分かった! えっと、小麦粉が三十で……薬草が四十に、」
ニ時間前、僕とナナシはとある城下町の道具屋の中で目覚めた。いつの間にか僕達の服装はこの町に馴染むようなデザインになっていて、近くにあったテーブルの上には一枚の紙が。
それに書かれていたのは、僕達がこの道具屋の店主という設定であることと、今回マスターから出されたミッションの内容。
"ミッションは……5000ゴールド稼ぐこと、だって。何から始めたら良いんだろう"
"まさか仮想空間の中で商売をすることになるとは思わなかったな……"
そういう訳で今は手探りしながら開店の準備をしているところ。ナナシが在庫を確認しながら台帳に数字を書き入れている背後で、僕は商品の詰まった箱を抱えて倉庫と店内を行ったりきたり。
幸い店の中は新築のように綺麗で商品棚の配置も整えられており、倉庫にあった物も食品から道具まで種類豊富だ。
その上安全の為か魔法アイテムの扱い方が記されたノートも用意されていて、二人でそれとにらめっこしつつ売れ筋になりそうな物を選んで店に置いていく。
「ナナシ、最後の棚も商品並べ終わったよ」
「私もカウンターの準備終わったところ。いよいよだね……!」
時計の針が開店時間を指し示すまで残り僅か。ドアの前で待機する間、僕は不安で仕方がなかった。でもそれはナナシも同じなはずで、だからこそ彼女の前で弱音を吐いてはいられない――。
***
「ありがとうございましたー! ふう、そろそろ閉店時間かな」
「忙しすぎてあっという間だったね……」
あれから開店してすぐ、大勢のお客さんが店へと押し寄せてきた。僕とナナシは目が回りそうになりつつもなんとか接客をこなし、ようやく客足が落ち着いてきたのが今。
ここが人口の多い城下町というのもあるけど、新装開店という設定も重なったことで客足が伸びたんだと思う。明日以降もたくさん来てもらえると良いけど、こればかりは予想がつかない。
「さて初日の売上はっと……えっ、あれだけお客さん来てたのに2300ゴールドかあ。まだ半分もいかないとは……」
「見に来ただけの人達も結構いたしね。それに今日売れたの、どれも安目の物ばかりだったから」
一見売れていると思っていても、実際の数字は正直なものだった。棚を見渡して見ると食品や消耗品などは捌けたものの、比較的高値に設定した魔法の道具などは売れ残っている。
「この魔法石とか、みんな興味津々で見てたのに全然売れなかったね……光ってて綺麗だしいけそうと思ったんだけど」
「多分、お客さんの需要に合ってなかったってことかも。町の人も旅人も、傷薬や食糧とか消耗品の方を優先してたみたいだし」
「思い返してみれば確かに。やっぱり一気に稼ぐのは難しいね。確実に売れそうな物を見定めて地道に売っていくのが良いのかな」
それから僕達は閉店後の片付けなどを済ませると、明日に向けて新たな戦略を練る為に色々と話し合った。そして話も一通りまとまった頃、ナナシが淹れてくれたお茶を飲みながらほっと一息つく。
「今日ね、すごく不安だったんだ。お店を開くなんて初めてだったし、分からないことばかりで。でもリュカがいてくれて、本当に心強かったよ」
そういって柔らかに微笑むナナシに見惚れてしまった僕は、思わずはっと息を呑む。まずい、頬に熱が宿っていく。どうかナナシに気付かれないことを願って軽く俯いてみる。
「そんな、僕こそ……ナナシがいてくれたから今日はスムーズに動けたんだ。それに……君は僕にとって、」
そこまで言いかけたところで慌てて口を噤む。危ない、何を言おうとしてるんだ僕は。ナナシが不思議そうにこちらを見ている中、誤魔化すように咳払いして見せる。
「えっと……明日も頑張ろう、ナナシ」
「うん! もう遅いし寝よっか。おやすみ、リュカ」
良かった、悟られずに済んだみたい。僕はぎこちなく挨拶を返すとそれぞれベッドに潜り込んだ。しかしこんな調子では気持ちがバレるのも時間の問題かもしれない。
その夜、大人になった僕とナナシが夫婦として店を切り盛りしている夢を見て飛び起きたのは、彼女には内緒だ――。
"仮想空間"に転送された私とリンクは、城下町の路地裏で目覚めた。いつの間にか私達の服装はチュニックやベストといったものに変わっており、端から見ればこの町の住人として溶け込める違和感のない姿になっていた。
そして私の服のポケットに入っていた紙にはこの世界での私達の設定と、マスターが用意したミッションの内容が書かれていた。しかしそれが"町に来た旅人達十人に冒険に役立つヒントを教えること。"という、なんとも言えないもので。
「リンク……これからどうしよう?」
「取り敢えず人が通りそうな所に行ってみるか」
まず動いてみないことには始まらない。リンクと共に薄暗い路地を抜けると、麗らかな日差しに照らされた大通りに出た。所々にある屋台からは軽快な客引きの声が溢れており、人集りができている。
「見たところ平和そのものって感じだね。それにしても旅人に冒険のヒントを与えるって、まるでRPGの村人みたい」
「正に今のオレとナナシの役割はそれと同じってことだな。そこの門の辺りにいれば立ち寄った旅人から声掛けられるかも」
町の入り口である石造りの門の下、ひとまず私とリンクは通りを歩く人々を眺めてみた。
馬を連れ、鎧を身に纏った兵隊。ぱんぱんに膨らんだリュックを背負う行商人。付近の村から買い物に来たであろう親子と、様々な顔触れが流れていく。
「……中々旅人らしいの来ないね」
「まあ、そんなホイホイいるようなもんじゃないか」
その後は市場や城門の付近など、場所を変えたりしつつすれ違う人々を眺めている内、昼を告げる鐘の音が響き渡ると二人して大きなため息をついた。これは余りにも途方のないものだと気付き始めたからだ。
「正直甘く見てたかも。まさか一人も見つからないなんて……」
「焦っても仕方ないし、少し休んだらまた門の方に回ってみるか」
取り敢えず休憩のため近くのベンチに腰を下ろそうとした時、私達の足元に複数の影が重なった。いつの間にか周囲には大柄な男性達が立っており、誰もがニヤニヤと歪な笑みを浮かべている。
「そこの彼女っ。さっきから町中歩き回ってるみたいだけどさあ、もしかしてこの町初めて?」
「俺達が案内してやるよ。そこのチビは置いといて一緒に行こうぜ」
「俺らこの町じゃちょっとは顔広いからさ、色々知ってんぜ? "楽しいお店"とか」
なんとも質の悪いお約束のようなナンパに、思わず顔が引きつり乾いた笑いが出てきた。それを男達は拒否されていないと都合よく受け取ったのか、私の肩を掴もうと手を伸ばしてきたものの――それが届くことはなかった。
「悪いけどオレ達やることあるから。邪魔しないでくれ」
リンクは男の手首を強く握りしめていて、その部分から骨が軋む音が聞こえてきそうな程だ。男が痛みに顔を歪めて手を引っ込めると、他の仲間は苛立ちを顕にし一斉にリンクに向かっていく。
「てめえに用は無いって言ってんだろぉっ!」
怒号と共に大きな拳がリンク目掛けて振り下ろされるも、私は冷静に成り行きを見守っていた。何故なら奴らは彼に秘められた強さを知らないただの不良。
その証拠に、リンクが瞬く間に男達の間をすり抜けながら懐や後頭部に肘打ちや手刀を叩き込んでいくと、次々に呻き声を漏らして呆気なく崩れ落ちていった。
「流石だね。あっという間に倒しちゃった」
「何処の世界にもいるんだなあ、こういう奴ら」
リンクは両手を軽くはたきながら、地面に転がる男共を呆れたように見下ろしている。私はというと、彼が自分を守ってくれたという実感が後から湧いてきて、なんだか胸が熱くなった。
「リンク、ありがとうね」
「別に良いって。ただ……ナナシが他の男に触れられるの、何となく嫌だったから」
そう言いながら顔を背けたリンク。今の言葉、私はどういう意味で受け止めればいいのか。恐る恐る聞こうとした時――突然周囲から拍手と喝采の嵐が巻き起こった。
「兄ちゃん、今の凄かったぜ!」
「こいつら町で暴れ回ってたから迷惑してたのよ!」
あっという間に囲まれ、口々にお礼や称賛の言葉を掛けられる。そんな中リンクの腕前に惹かれたという旅人まで集まってきたことで、私達はこれ幸いと彼らに冒険のヒントを教えていくのであった――。
ああ、慣れない物を身に着けているせいか歩行が安定しない。動く度にベルトが身体を締め付ける感覚に眉を寄せる。まさか自分がゲームに出てくるような防具を着ける日が来るなんて思いもしなかった。
「アイク……一応着られたけど、こんな感じで良いのかな?」
「どれ……腰と腕のベルトはもう少し緩めてもいい。きついと反って動きにくくなるぞ」
アイクに手直しされ、先程よりは身体が楽になった気がする。目の前の彼も私と同じようなデザインの防具を身に纏っていて、違和感は微塵にも感じられない。流石は傭兵団団長を務めていた人だ。
「しかし俺だけならまだしも、ナナシまで傭兵としてこの村を守れだと……どういうつもりなんだアイツは」
「まあまあ、マスターの考えてることは本人にしか理解できないと思うよ」
この"仮想空間"にてマスターから私とアイクに課せられたミッション、それはこの村の傭兵となり今晩攻めてくる魔物の群れから村を防衛するというものだった。
ちなみに戦闘経験のない人間でも戦えるように、私の身体能力は一時的に強化されているらしい。一通り準備を済ませ小屋から外に出てみれば、村人達が不安げな面持ちを浮かべつつ今夜の戦いに備えている光景が広がっていた。
「遂に奴らがやってくるのね……」
「日が暮れる前に子供達を地下室に避難させるぞ!」
あちらこちらから聞こえてくる声には、これから起こる戦いへの不安と覚悟が入り交じっていた。それぞれ倉庫から斧やスキといった農具をかき集め、武器として分け与えたり丈夫な革製の防具を用意したりと忙しない。
「来たぞ、奴らだ!」
日が落ちた頃――誰かの叫び声に視線を向ければ、魔物の群れが村を囲むように迫ってきていた。魔物達はそれぞれ翼を持つ者、四足獣のような姿など多種多様だ。
周囲で悲鳴や怒号が響き渡る中、魔物を目にした私は足先から震えが走るのを感じていた。これが武者震いではないことは嫌でも解りきっている。
そんな私目掛けて一体の魔物が頭上を飛び回ると、翼を仰ぎ空気の刃を飛ばしてきたではないか。どうしよう、避けたいのに足がすくんで動けない――。
「ナナシ、しゃがめ!」
覇気の込められた声で我に返ると、目の前にはアイクが私を守るように立ち塞がっていた。そして飛んできた刃を剣で弾き返すと、ちらと視線を向けてくる。
「無理はするな。お前は地下室へ回って女や子供達を守れ」
まるで気遣うような優しげな声色に、私の視界は恐怖と情けなさで滲んでいく。下駄を履かせてもらっておいて、いざとなったら足手まといになるなんて――悔しい、このままでいい訳がない。
「さっきはごめんアイク! わ、私も皆と一緒に戦いたい……!」
今も震えている足を奮い立たせ、私はアイクの隣に並んだ。辺りでも村人と魔物が戦いを始めていて、あちこちから金属のぶつかり合う音や魔物の咆哮が聞こえてくる。
「無理はするなと言っただろう」
「でも、私も何か力になりたいんだよ……このままじゃ嫌だ!」
私の思いが通じたのかアイクは呆れたように溜め息をつくと、こちらに迫ってくる魔物に向けて大剣ラグネルを構えた。その鋭い視線は剣先と同様に真っ直ぐ敵を捉えている。私が元の世界で何度も見てきた、憧れの姿。
「……解った、俺の背中はお前に任せる。遅れをとるなよ」
「うん、任せて!」
あのアイクが私を認めてくれた。そのことが嬉しくて、今度こそ恐怖を打ち払った心が身体までも軽くさせる。今なら思う存分戦えるはずだ。
そう確信した私は自分の武器である槍の柄を握りしめると、アイクと共に迫り来る魔物の群れを迎え撃つべく駆け出した――。
***
夜が明け、朝日が村を照らし出す頃。一晩戦い抜いた私達は勝利の雄叫びをあげていた。幸いなことに犠牲者が出ることはなく、村を守り通すことができた。
私はというと、大した怪我もなく掠り傷程度で済んでいた。これもアイクの活躍があってこそだったけども。
"結局守られてばかり"と肩を落とす私の頭に、突然大きな掌が乗せられた。見上げればアイクが穏やかな笑みを浮かべていて。
「頑張ったな、ナナシ」
「アイク……ありがとう」
その一言だけで再び瞳が潤むのを感じながら、私はアイクに微笑みを返した――。
薄暗い部屋の中、私の意識は突如響き渡る雷鳴によって覚醒させられた。すぐさま飛び起きると、今度は周囲の光景に目を疑うこととなる。窓に切り取られた空は血のような色をしており、流れてくる黒雲は稲光を宿らせていた。
「……な、何なのこれー!?」
「ったく、やかましい……何処だ、ここ」
遅れて目を覚ましたブラピも、窓の外に広がる景色に目を丸くしていた。混乱しつつもなんとか記憶を辿り、ここがマスターの言っていた"仮想空間"のひとつだということを思い出す。
それにしてももう少し楽しそうな場所なら良かったのに、と心の中で愚痴りながらもこれからどうするか話し合おうとしていた時――突然扉の方からノック音が鳴り響いた。
「ブラックピット様、ナナシ様。魔王様がお呼びです」
「はい? ま、魔王……?」
「そういうことか。早く行くぞ」
何を感じたのかブラピは納得した様子で、困惑する私の腕を掴むと扉を開け放つ。廊下に出るとそこには悪魔のような翼を持つ魔物の姿があった。
彼は私達に一礼すると案内するかのように前を歩き出す。今はとにかく流れに乗るしかないと判断した私達は、黙々と魔王の待つ玉座の間まで歩くことにした――。
***
「まさか私達が魔王軍の幹部とはね……もろに悪役じゃん」
あれから玉座の間に着いた後、魔王は私達が魔王軍の幹部であることを語り、同時にひとつの命令を下した。それは"この城を目指している勇者一行を撃退すること"。これこそがマスターが言っていたミッションで間違いない。
「それにしても……なんだよその格好」
「仕方ないでしょ、これ着ろって言われたんだから……私だって恥ずかしいの!」
私は自分の格好を見ながら溜め息を吐く。黒のボンテージに膝丈のロングブーツ、背中から太股までを覆う長めのマント。
黒尽くしでありながらも、所々にあしらわれた赤のラインがアクセントを醸し出していた。これもマスターの趣味なんだろうか――。
一方のブラピは翼に装飾が施されていて、黒を基調とした軽鎧には金の縁取りが入っていた。私からすれば無難に纏まっていて羨ましいぐらいだ。それに一応似合ってるし。
「偵察部隊の情報によると目的の勇者共はこの森に入ったらしい」
ブラピは先程手下から受け取った羊皮紙に目を通すと、丸めて懐にしまった。今私達は魔王城を囲む森の中に潜伏し、勇者達が通りかかるのを待ち伏せしているところだ。
木の上で息を潜めていると、やがて複数の足音が近付いてきた。人影の数からして三人組だろうか。相手はこちらの気配に気付く様子もなく歩いてくる。
「ふん、剣士に魔法使いに僧侶か。お約束の面子だな」
「……良い作戦思い付いた。私が注意を引き付けて、ブラピの攻撃で一網打尽にするの」
「何勝手に決めてやがる……っておい!」
私は決心すると木から飛び降り、勇者達の前に躍り出る。突然の襲撃に彼らは驚くも、素早く戦闘態勢に切り替わった。
元々数の上ではこちらが不利。その上私の戦闘力は皆無に等しい。だからこそ自ら囮となってブラピに全てを託そうと思い付いた。
しかし三人の連携は想像以上のもので、私は隙を突かれて魔法使いの拘束呪文に捕らわれてしまう。
「よし、俺がトドメを刺してやる!」
剣士は自信満々に剣を構えると勢いよくこちらに駆けてくる。ああ、私って本当にドジだ――これは自業自得だと、覚悟を決めて目を瞑る。しかし、剣士の刃が私に届くことはなく。
「ぐあっ、背後から攻撃が……!?」
動揺した勇者達が私から意識を逸らした瞬間、身体を縛り付けていた魔法の力が消えていった。この隙に離れると、今度は紫に光る矢の雨が彼らを襲う。
確かこの矢は、ブラピがいつも乱闘で使っているものでは――そこまで考えた途端、私の身体はぐん、と上空へ舞い上がっていた。実際にはブラピが私を抱えて飛び上がったからだけど。
「まだ仲間がいたとは……追うか?」
「待って、ここまで私達もかなりのダメージを受けてる……一度引こう」
こちらを睨んでいた勇者達は追跡を諦めたようで、武器を収めると元来た道へと引き返していった。その背中が見えなくなると、ブラピはようやく息を吐く。
「……勝手に飛び出しやがって」
「ブラピ……ごめんなさい」
「あんな連中、オレだけでなんとかできたのによ。お前に何かあったらオレは……」
最後の方が聞こえず、もう一度聞き返すとブラピはそっぽを向いてしまった。そんな彼の横顔がほんのり赤いのは、この不気味な空模様のせいだろうか――。
「はあ……私達の役は魔王の手先だって、あんまりだよ……」
「ま、たまにはヒールも悪くないさ」
"仮想空間"の中で目覚めた私とソニックの設定。それはこの世界に潜むという魔王の配下だった。今この身に纏っている衣装は魔王から着るようにと命じられ仕方なく着ているもの。
黒を基調とした妙に際どい造りになっており、肩や足の露出度が高いせいで落ち着かない。その上マスターの言っていたミッションというのが、"魔王の支配下にある町や村から貢ぎ物を集めてこい"というもので。
バーチャルとはいえこれから悪事に加担させられるのかと思うと、背中に広がるマントがより重たく感じられた。
「そんな落ち込むなって。このミッションもただのお使いみたいなもんだろ?」
確かに各地の村や町に赴いて貢ぎ物を集めてくればいいだけの単純なもの。しかし、あの如何にも意地の悪そうな魔王に従うということに嫌気がさしているのである。
「そりゃそうだけど……あの魔王の命令だってのが尚更嫌というか。あの人、"ホーッホッホッ"とか変な笑い方するし」
「何かアイツ、オレの知ってる誰かさんそっくりなんだよなあ。"天才"を自称してる所もそっくりだぜ」
あの魔王の姿はとても印象的だった。真っ黒な丸眼鏡をかけた老人で、尖った鼻の下を覆う髭は顔からはみ出る程に延びていて、風船のように大きく膨らんでいる腹には不釣り合いな細長い手足をしていた。そのシルエットはまるで大きな卵から手足が生えているかのようで。
おまけに魔王らしく横柄な態度で、玉座にふんぞり返って手下達をこき使っていた。その手下達も皆ロボットのような身体だったのが引っ掛かる所だけど。
「ソニックの世界にも、あんな感じの人いるんだ……もしかして友達とか?」
「No way! まあ"アイツ"は腐れ縁っていうか……暇潰しにうってつけって奴さ!」
ソニックの言う"暇潰し"とは一体どんな意味なのだろう。とりあえず穏やかな間柄でないことは確かだけど。
「そんなことよりさっさと外出ようぜ。この城、暗くて居心地悪いったらないぜ」
「そ、そうだね……」
いつまでも動かない訳にはいかないか。きっと町に着いたら無数の敵意を向けられるんだろうなと思うと、喉の奥がぐっと詰まるような心地がした――。
***
「こ、これが魔王様へ捧げる機械の部品です。どうぞお納めを……」
「あ、あの、ありがとうございます。では私達はこれで……」
貢ぎ物の入った革製の袋をそっと受け取り頭を下げると、町長は困惑した様子でこちらを見つめてきた。それもそうか。私達はこの一帯を支配している魔王の手下。本来脅威である存在からお礼を言われるとは、夢にも思っていなかっただろう。
「これが魔王へのプレゼントねえ……どれも何かの部品ばかりだな。こういうのに目がない所も似てるとは恐れ入るぜ」
あれから一通り町を巡り、貢ぎ物を集め終えた私達は報告の為に魔王城に戻ってきた。ソニックが金色の刺繍が入った袋を振ると、中で固い物が擦れ合う音がする。
実はどの袋や箱の中身もこういった金属類ばかり。あの魔王はこんな物を集めて一体何をするつもりなんだろう。
「報告したらミッションクリアってことだよね。早く元の服に着替えたーい」
「なあナナシ。もうちょっとだけ楽しんでいかないか?」
解放感に浸り背伸びをしていた私はソニックの発言で固まってしまう。
「オレとしてはアイツの言いなりになったままじゃ癪なんでね。いっそのこと魔王サマ出し抜いて、誰にも縛られずこの空間を楽しんでみようぜ」
いきなり何を言い出すかと思えば、如何にもソニックらしい提案だった。私だって悪役でなければこの世界を楽しんでみたいという気持ちは大いにある。
それにどんな方法であれ集めた貢ぎ物を魔王に渡せばミッションは達成される。つまり真面目に忠誠を示す必要はないということか。ソニックはこうしたシステム上の穴を突こうと考えてるのかもしれない。
しかしあの魔王のことだ。下手に裏切ればどんな手を使ってこちらを粛清しようとするか分かったものではない。
「そんなこと、できるのかな……」
「まずはやってみなくちゃ分からないさ。さーて、どう仕掛けてやろうかな?」
何処か楽しげに赤黒い空を見上げるソニックの横顔を見ていると、今ならどんなこともできるような気がしてきた。どんな世界にいたとしても、決してひとつの型にはまることはない。ソニックはいつだってそうだった。
「そこまで言うなら……私もとことん付き合うよ」
「OK.そうこなくっちゃな!」
嬉しそうに口角を上げるソニックにつられて、自然と笑みが溢れていた。これからどうなるかは想像もつかないけど、彼と一緒に精一杯楽しんでやろうじゃない――。