結び目
ああ、またこの夢だ。暗闇の中で一人佇む自分。そして歪な過去の記憶達が映像として現れ、一枚のフィルムのように連なると自分を取り囲んでくる。やがて四方からは幾つもの"声"が溢れて重なり、それは不協和音となって脳の髄にまで響いて――。
「はあっ、はぁ……またか」
気付けば俺は踠くように身を起こしていた。部屋の中はあの夢を再現するかのように暗く、まだ夜中であることを教えていた。
このように魘されるのも何度目になるだろう。"この世界"に来てから更に酷くなった気がする。本当の自分を取り戻したとしても過去が変わる訳ではないというのに。今の俺に出来ることなんて。
しばらく呼吸を整えていると、雨粒が窓に激しく叩きつける音が段々と煩わしくなってきた。このまま寝付ける気もせず、とりあえず水を飲みに部屋を出ることにした――。
「ん、あれは……?」
食堂を出て自室に戻る途中、階段の踊り場に人影を見つけて思わず足が止まる。とうに日付が変わった頃だというのに、一体誰だ。
自分のことを棚に上げつつ目を凝らすと、それは一人の女性の姿だった。彼女の名はナナシといって、この屋敷で働いている使用人の一人。今は窓辺に寄りかかり雫に塗れた景色をぼんやりと見つめているようだった。
確か"この世界"に迷い込んで日も浅く、大人しくて内気なのもあるのか中々周囲に溶け込めずに孤立しているとか。実はそんな彼女に以前から親近感のようなものを感じていた。
俺も此処に来てからというもの様々な人物と出会い、競い合いながら寝食を共にしてはいるがこれといって碌な交流はしていない。
一応顔を合わせれば挨拶ぐらいはするがその程度だ。特に不便ではないけど、それでも気を許せる仲間がいれば違う景色が見えてくるはずで。
もしかしたらナナシと絡めば、何かが変わるのではないか。この夜は俺にとっての転機となるかもしれない。不思議とそんな予感がしたと同時にこの足は階段を一段ずつ踏みしめていて、気配に気付き振り返ったナナシと俺の視線はこの時初めて結びついた――。
***
"え、クラウドもこの世界に来たばかりなんだ。私と同じ……って一緒にされたら困るよね"
"クラウドも剣を使って戦うんだね……その、カッコいい、と思う"
"実は私ね、絵を描くのが好きなんだ。もし良かったら……その、クラウドを描いても良い? あ、嫌なら言ってね?"
あの雨の夜からひと月が経ち――俺とナナシは互いに少しずつ歩み寄り、友好的な関係を築けている。その内ナナシも次第に心を開いてくれて、よく笑顔を見せてくれるようになった。
初めは警戒されていたが本当の彼女は寂しがり屋で自分に自信がなく、それでも他人との繋がりを求めているような節があった。そんな所まで俺と似通っていて他人とは思えず、彼女が側にいることで自然と自己肯定感を高めてくれていた。
そんな日々を繰り返していく内に、ナナシに心惹かれていくのは自然なことだったのかもしれない。いつしか俺の中で彼女の存在はより大きくなり、彼女にとっての俺もそうであって欲しいと願うようになっていた。
"ナナシには俺さえいれば充分だ。そうだろ?"――なんてことを口に出してしまいたくなるほどに。しかしそんな想いを嘲笑うかのように、この関係は着実に変化していて。
"この前話したあの人が私の描いた絵、褒めてくれて……凄く嬉しくて"
"聞いてクラウド、先輩が今度一緒に買い物に行こうって誘ってくれたの"
そう、いつの間にかナナシの周りには人が集まるようになっていた。それに比例するように俺と過ごす時間は減っていく。そんな中、彼女はこんなことを言い出した。
「内気だった私がここまで変われたのはクラウドのお陰だよ。貴方と出会えて本当に良かった……みんなもいるし、もう寂しくなんかないよ」
ナナシは俺に感謝すると共に柔らかな微笑みを向けてくる。それが何を意味しているのか、何となく解りかけてきた。
ナナシは俺が傍にいなくてもこの世界でやっていけるのだと。あれだけ互いに寄り添っておきながら俺を一人置いていくのか。それは駄目だ、お前は今までのように俺だけを頼っていれば良い。
そうだ、それなら俺の手でナナシの心をリセットしてやればいいんだ。簡単なこと、ナナシと彼らを繋ぐ"結び目"を解いてやればいいだけ。手段は今までの彼女を見てきた俺ならいくらでも思い付く。
「……そうか。良かったじゃないか」
つい浮かんだ笑みを向けてやるとナナシははにかみながら頷いた。俺の笑顔の意味を悟ることもなく――。
あれから二週間。今にも雨が降り出しそうな曇天の下。人気のない裏庭の片隅で、膝を抱えて俯くナナシとそんな彼女の肩を抱き支える俺がいた。理由は単純。俺の狙い通りナナシは再びこの屋敷で孤立したからだ。
方法は実にシンプル。俺が裏でひっそりと使用人達の間に手を回したことで、次第にナナシに寄り付こうとする人間は消えていった。
しかし連中も連中だ。こうもあっさりとナナシとの縁を切るとは。それ程までに彼女と奴らの"結び目"は緩いものだったのか。
「また、一人になっちゃった。私、調子乗ってたのかなあ……笑えるよね」
「何言ってるんだ、一人じゃない。ずっと俺がいただろ」
「クラウド……ありがとう。私のこと、見捨てないでくれて」
「お前を受け入れないあいつらが悪いんだ。なあ、もう使用人なんて辞めて街で暮らさないか?」
ナナシは虚ろな瞳で"でも、働き口が"と零し、俺の提案を拒絶する。それなら俺のファイトマネーで養ってやればいいだけ。元々稼いでいる方だし、ナナシを確実に囲い込めるなら安すぎるぐらいだ。
「大丈夫だ。次の仕事が決まるまでの間、俺が支えてやる。ついでに良さげな家も探しておくさ」
まあナナシが"次の仕事"に就くことは永遠に無いけれど。これからは俺の管理下で生活をするのだから働く必要も無くなる。何も知らないナナシは今度こそ首を小さく縦に振った。
「お願いクラウド、迷惑かけないように頑張るから……お願いだから、私のこと一人にしないで……!」
今にも不安と孤独に押し潰されそうなんだろう。遂には俺の身体に縋り付きながら泣き出すナナシ。まるでそれが合図だったかのように、冷たい雫がひとつふたつと俺達の身体を濡らしていった。
もう彼女には俺しかいないのだと、湧き上がる高揚感を噛みしめる。その震える背中を優しく撫でる俺はどれ程満ち足りた顔をしているんだろうか――。
3月31日にリクエストをくださった方へ。大変お待たせしました。久しぶりにヤンデレ夢を書いたものでどんどん筆が乗ってしまい…!
ヤンデレなクラウドに囲われるというシチュとのことでしたが、ご期待に添えられましたでしょうか…。この度はリクエストありがとうございました! お持ち帰りはリクエストした本人様のみとさせていただきます。