3rd.リクエスト4

Morning glow


銀の糸に結ばれて

「はあ、はあ……今日こそ、此処からっ、」

 私は息を切らせ、何度も周囲を警戒しながら薄暗い廊下を駆けていた。床を踏み込む度に舞い上がる埃が、ひび割れた窓から差し込む陽光に照らされてチラチラと輝く。
 此処はどこかの廃墟となったホテル。周囲は林と更地になっていて、遠くに住宅街が見えるだけ。私はある日突然"彼"によってここに連れてこられ、監禁されている。
 それも"私を自分だけのものにしたい"という、なんとも身勝手な理由でだ。今までも何度か抜け出そうと試みたものの、"彼"は恐ろしい程に察しが良いので私から目を離すことは殆どなく、部屋から出ることすら叶わずにいた。
 風呂の際は銭湯に連れていかれるものの、周りに助けを求めたとしても"まさか12歳頃の少年が一人の人間を監禁している"だなんて誰も信じてくれない。
 そしてその"彼"は今、用事でこの廃ホテルを離れている。つまり脱出するには絶好の機会。廊下の突き当たりにある階段を幾度も駆け降り、ようやく一階へたどり着いた私は一旦呼吸を整えた。

「うぅっ、はぁっ、やった……!」

 砕けたガラス片が散らばるフロント。外へと通じる唯一の出口は剥き出しの鉄骨で縁取られており、そこからは柔らかな陽光が溢れていた。
 此処に閉じ込められてから一週間、やっと外へ出られる。膝を震わせながらも一歩踏み込もうとした瞬間――突然私の右手は何かに包み込まれた。

「ナナシ、久しぶりに運動できて満足した?」
「ネ、ス……?」

 この右手をそっと握っているのは、私を此処に連れ出し監禁している少年"ネス"だ。しまった、いつ帰ってきたのか。気配すら感じられなかった。掴まれている部分から全身にかけて、冷たいものが伝っていく。

「ふふ、今の君の顔……すごく良い」

 うっとりと目を細めたネスは私の頬に右手を添えると、親指でそっと撫でてくる。彼が何を考えているのか、これから何をされるのか分からず恐ろしくて堪らない。
 必死に振り払おうとすると掴まれている手を更に強く握られてしまい、指の関節が悲鳴を上げた。

「い、痛いっ、離してぇ……!」
「ナナシが悪いんでしょ。いつもみたいにあの部屋で僕の帰りを待ってれば良かったんだよ」
「だって、ネスが……っ、」
「僕が、何?」

 ネスの瞳には光というものはなく、ほの暗い黒紫色の視線が私を射抜く。こうして見つめられただけで、まるで金縛りにあったかのように動けない。怖いのに目が離せない。触れられている手から、頬からじわりと染み込んでくる体温を拒めない。

「さて、もう充分外は楽しんだでしょ。部屋に戻ろうね」
「ひっ、やだ……っ、あんなとこ戻りたくない……っ」
「ええー、折角君が暮らしやすくなるように家具とか色々新調してあげたのに。いくらテレポート使えるからってこの廃墟まで運ぶの大変だったんだからね」

 そう話す彼は拗ねたように口を尖らせ、有無を言わさず左手首を掴み直して歩き始めた。足が縺れそうになりながら半ば引き摺られる形で階段を登り、廊下を進んでいく。
 廊下に積もった埃が、先程私が走り抜けた足跡をくっきりと残していた。それに気付いたらしいネスは小さく笑うとこちらに顔を向ける。実に楽しそうに、にこやかな笑みを浮かべて。

「そんなに外に出たかったら僕に言ってくれればいいのに。ナナシが気に入りそうな場所ならリサーチしてるんだからさ。引っ越し先だって幾らでも用意してあるしね」
「……私を解放する気なんてないくせに」
「当たり前じゃん。そしたら君をここに連れてきた意味ないでしょ。何より僕と一生を過ごすのが前提なんだからさ」

 呆れたように事もなくそう言ってのけたネス。私は言葉を失ったまま彼の顔を見つめるしかなかった。本当にこのままこの廃墟の中、彼と二人きりで過ごすしかないのか。
 やがてひとつのドアの前に着くと歩みが止まる。ああ、また振り出しに戻ってきてしまった。ネスがドアノブを掴んで開くと、先に中へと通される。
 元々ホテルなだけありそこそこの広さを持つ個室。しかし窓は塞がれていて無いものも同然。廃墟には不釣り合いな綺麗に整えられた調度品の数々。埃の無い床にはカーペットが敷かれていて、部屋の隅には新品のベッド。そして掛け布団の上には――鈍く光る銀色の鎖と足枷が置かれていた。

「ああ、気になる? 今日はアレを買いに出かけてたんだよ」

 部屋の中心に立っていたネスは笑顔を崩すことなく私をベッドに座らせ、足枷を楽し気に揺らして見せる。金属が擦れ合う度に不快な音を生み出し、今から私が何をされるかを教えていた。

「お、お願い……やめて、こんなのおかしいってば……!」
「僕だってナナシに鎖なんて着けたくないよ。でも今日の逃げようとする君を見て確信したんだ。やっぱりこうするしかないんだってね」
「待って、私はただ……かはっ、」

 突如強烈な痺れが全身を襲い、短い声を漏らすと今度こそ脱力してベッドに倒れ込む。ぼやけた視界の中、彼の人差し指に宿る煌めきを見て自分の身に起こったことを悟った。
 ネスは指一本動かせなくなった私を押さえつけると足首に枷を嵌めていく。その無機質な重厚感、冷たさに触れて肌が粟立つのを感じた。やがて拘束が完了してしまうと、彼は足枷の鍵を大事そうにズボンのポケットにしまい込む。
 もう二度と自由になることは叶わないのだと痛感して、次第に涙が溢れてきた。ネスは泣き崩れる私の目尻を指で優しく拭う仕草をする一方で、蕩けるような笑みを浮かべていた。

「ナナシ……そうやって泣いても簡単には許さないよ。そもそも勝手に出ていこうとした君が悪いんだから。これからは部屋の外に出たいなら僕に言わなきゃ駄目だよ。良いね?」

 最早抵抗する気力も無くなってしまった私の頬を愛おしげに撫でるネス。ここで頷かなければ次は何をされるか分かったものではない。
 それを理解しているからこそ、私は何も出来ずにされるがままだ。きっとこれからも。ああ、どうしてこんなことになってしまったんだろう。どこで間違えてしまったんだろうか。

「そうだ、実は新居に移る準備を進めてるんだよね。ここよりもっと綺麗な場所でさ、きっとナナシも気に入ると思うんだ!」

 "ネスが昔から伝えてくれた気持ち……もっと早くに受け止めていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない"

 なんてこと、今更考えた所で全てが手遅れであることを思い知るだけだ。この地上で私の行方を知るのは、この足に繋がれた冷たく硬い"糸"を握りしめる少年ただ一人――

 千夏さまへ。ネスのヤンデレか甘夢ということで、今回はヤンデレの方で書かせていただきました。いつまでも自分の気持ちを軽くあしらってきた夢主に痺れを切らし狂ってしまったネス、というのが事の始まりです…。
 この度は素敵なリクエストをありがとうございました! お持ち帰りは千夏様のみとさせていただきます。



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