3rd.リクエスト6

Morning glow


アンスリウム

 僕、ピットにはひっそりと抱えている秘密がある。それも上司のパルテナ様すら知らないトップシークレットだ。それは、ある一人の女性に心奪われているということ。名前はナナシさんといって、僕より年上のお姉さん。
 僕達が暮らす屋敷で働く使用人の一人であり、洗濯、清掃、炊事といったあらゆる仕事を卒なくこなしていくプロフェッショナルだ。
 更には後輩達に対してそれぞれ得意な部分を把握しているらしく、的確な指示を出して円滑に作業を進行させるリーダーシップも兼ね備えている。その上性格は優しくも芯は強く――親衛隊隊長を務める僕にとって見習う所しかない素敵な女性なんだ。
 最初の頃は本当にただ憧れていただけだった。しかし意外なことに心霊といったホラー物に弱かったり、可愛いものに骨抜きになったりとお茶目な部分も見えてきて、日々ナナシさんのことを知る内にいつしか親近感というものが芽生えていた。
 だから、やがて異性として惹かれていくのは自然なことだった。意識してからは何度もアプローチをしてきたけど、どれもなしのつぶてといった所で。それでも諦めようと思ったことは一度もない――

「ナナシさん、お疲れ様! 何か手伝うことありますか?」
「あらピット君、お疲れ様。後はこのシーツ干し終わったらひと段落つくから大丈夫。それに君は試合終わったばかりなんだから休まなきゃ」

 僕を気遣ってくれる優しさに胸が熱くなるけど、ここはしっかり男をアピールしなくては。ナナシさんの足元に置いてある籠の中には山盛りになったシーツ。少しでも頼りになる所を見せたい僕はそれを一枚手に取ると洗濯ロープに干していく。

「ほら、かなりの枚数あるじゃないですか。僕はまだまだ体力が有り余ってるから全然大丈夫ですよ」
「……実はこれ、突然追加で増えちゃった分でね。予定より干す時間掛かってたから本当に助かるよ」

  眉を下げて両手を合わせるナナシさんに、心臓をぐっと掴まれた気がした。普段の完璧に仕事をこなす姿とのギャップにくらりときてしまう――って今はそれどころじゃないぞ。
 こうして二人で共同作業をするというのも嬉しいけど、それ以上に僕のことを少しでも頼ってくれたことが何より心満たされた。
 しかし浮かれ切っていた僕は手に持っていたシーツの裾を踏んでしまい、思い切り転けてしまったんだ。

「え、わああっ!?」
「ピット君……!」

 咄嗟に目を瞑った瞬間訪れるであろう衝撃に備えたけど――地面にしては柔らかいな。恐る恐る目を開けるとそこには純白の布地があって、それが僕の下敷きになってくれたのだと瞬時に理解した。
 そう、つまりは今僕が顔を埋めているのはナナシさんが履いているスカートの上ということで。すぐに身体を起こしたものの、あまりの恥ずかしさに全身が燃え上がるように熱い。何てことをしてしまったんだ。

「ご、ごめんなさい……!」
「大丈夫だよ。ピット君こそ怪我がなくて良かった。この汚れたのは午後の洗濯に回すから気にしないで」
 
 恐る恐る顔を上げると、ナナシさんは怒るどころか優しげに微笑んでいた。しかしこんな状況だというのにも関わらず、僕の身体には布越しの太腿の感触がありありと残っている有様。

"柔らかかったな……って、そうじゃないだろ! 今の僕ダサすぎる……!"

 頭の中で渦巻く邪念を振り払おうと躍起になっていると、いつの間にか籠からシーツの山が消えていた。洗濯ロープには皴ひとつ無い幾つもの白が風に揺られてはためいている。あれ、いつの間に。あまりの手早さに唖然としていると、彼女は籠を手に取る所だった。

「それじゃ手伝ってくれてありがとう。助かったよ」

 何事も無かったかのように去っていく後ろ姿を見詰めていた僕は慌てて追いかける。このままじゃ格好がつかない。どうにか挽回しなければ。

「ナナシさんっ、あ、あの、後日お詫びさせてください……!」

 振り返ったナナシさんは"気にしないでってば"と笑うけど、引き下がりたくなかった僕の勢いに押されたようで苦笑しつつも頷いてくれたのであった――

***

 あれから数日経った日曜日の昼下がり。目の前のナナシさんはソファーに腰かけ、クッキーを美味しそうに味わっている。そして窓に激しく打ち付ける雨音にため息を漏らす僕。
 本当はこの休日を使って街へ行き、ナナシさんにお詫びとして美味しい物をご馳走する予定だったのに生憎の大雨。という訳で急遽僕の部屋に招いて秘蔵のお菓子を出してみたんだけど、気に入ってくれたらしく一安心だ。

「ご馳走様。とっても美味しかったよ」
「それは良かったです……」

 どうしよう、会話が途切れてしまった。こういう時に余裕のある大人だったらスマートに話を続けることが出来るんだろうけど、僕には到底無理だ。激しい雨音と湿った空気の中、まるで二人だけ世界に置いてきぼりになってしまったような錯覚を覚える。
 こんな機会、もう二度と訪れないんじゃないか。そんな考えが頭を過ると居ても立ってもいられなくて、意を決した僕は口を開いた。これで駄目なら、今度こそ諦めよう――

「ナナシさん……僕の気持ち、あれから一ミリも変わってないです。僕はあなたのこと、」
「ピット君、前にも言ったでしょ。そういうのは大切な人が見つかった時に伝えてあげなきゃ」

 照れもせずやんわりと口元を緩める彼女。その顔はまるで興奮した子供を宥める時に向けるものと酷似していて、僕の中の何かがぷつりと切れた音がした。
 こんなにも焦がれるほど好きなのにどうして伝わらない。僕が年下だから、いつまでも本気で受け取ってくれないのか。この気持ちはおふざけでも何でもないのに――

「ピット、くん……?」

 気付けば僕は彼女の手首を掴み、ソファーの上に組み敷いていた。驚きのあまり見開かれた瞳を覗き込みつつ顔を近づければ、お互いの吐息が混ざり合う。彼女からほのかに漂う花のような香り、薄く開かれた小さな唇。
 そのどれもが今の僕の理性を狂わせていく。熱に浮かされるまま彼女の鎖骨に口付けると、びくりと震えたのが分かった。

「ん、やっ……、」
「ここまでしないと、分からないんですか?」

 静かに問いかけると、ナナシさんは小さく息をついて瞳をそっと閉じた。今の僕はどんな顔をしているんだろう。あれだけうるさかったはずの雨音すら今は耳に入ってこない。
 僕は取り返しのつかないことをした。後から襲い来る罪悪感に苛まれながら、せめてこれ以上困らせないよう身体を起そうとした瞬間――彼女の両手が伸びてきて僕の顔を包み込むと、左頬に温かく柔らかな感触。

「分かった、降参。でも今は想いだけ受け取っておくね。君が年齢を重ねて、それでも気が変わらなかったら……その時は必ず応える。それまで私の隣は空けておくから」
「ナナシ、さん……!」

 想いが通じた興奮からか、僕の声は震えて上擦っていた。よく見ればナナシさんの頬にも赤みがさしていて、今の言葉が嘘偽りでないのだと分かっただけでも十分過ぎるほどに幸せだ。ここからが僕達の本当の始まり――
 

 まさかピット君があそこまで本気だったなんて。あの目は間違いなく少年ではなく"一人の男"のもの。 私はもうあの真剣な眼差しからは逃れられそうにない。
 さて、これからどうやって彼と接していけばいいのか――なんていつもの余裕もなく悩む私は、いつしか"あの約束"が実現することを心の底で望んでいた。

 4月17日にリクエストしてくださった方へ。"お姉さん夢主に頑張ってアタックするピット"というシチュ希望とのことで、どこまでも一途なピットと、彼の熱意に絆された大人夢主という形になりました。ご期待に添えられましたら幸いです。
 今回は素敵なリクエストをありがとうございました! お持ち帰りは当作品をリクエストされた本人様のみとさせていただきます。



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