年末年始4

Morning glow


響かせて

 今年最後の夜風が頬を撫ぜていく。大晦日の晩、私は屋敷の近くにある丘に来ていた。特に理由というものはないけれど、なんとなく今年は外で年を越したいという気持ちがあった。
 ふと見上げれば雲一つない穏やかな夜空が広がっていて、月を中心に星々が煌めいていた。世間が年の変わり目で賑わう中、空はこうして今も昔も世界を等しく包み込んでいる。
 そろそろ小腹が空いてきたな。私はこの夜のために用意してきたものをバッグから取り出していく。
 コッフェルと小型のガスコンロ、ミネラルウォーターにお気に入りのカップ蕎麦。そして手作りのおにぎり。外で星空を眺めながら夜食というのも素敵じゃないか。
 自然と気分が高揚していくのを感じつつ、ランプの明かりを頼りにお湯を沸かし始めた時だった。

「Good evening. ナナシ」

 肩が跳ね、手に持っていた水のペットボトルを落としそうになる。自分以外誰もいないと思っていた所に、突然声をかけられれば誰でも驚くだろう。
 もうすぐ日付が変わる時間だというのに、こんな人気のない場所に来る人がいるなんて。随分と酔狂なことを考えるものだ。
 自分のことを棚に上げながらも恐る恐る振り向くと、目に映ったのは夜の闇に混ざらない鮮やかな青。その姿を認めると、張っていた肩から力が抜ける。

「なんだ、ソニックかあ……驚かさないでよ」
「お前こそ、こんなとこで夜食か?」

 彼は目を丸くしながら私のそばに置いてある道具を一通り眺める。確かに大晦日の深夜に女一人、丘の上でガスコンロを用意している姿を見かければ奇怪に思うか。

「まあ……そんなとこ。ソニックこそ、どうしたの」
「オレは走り納めってとこかな」
 
 "走り納め"。走ることを誰よりも愛してる彼らしい言葉の響きだ。きっと明日も日の出とともに、"この世界"を思うがまま駆け抜けていくんだろうな。
 一方私はというと。他の人物と遭遇するとは微塵にも考えておらず、上手い返答を思いつけずにいた。どうかこのまま何も見なかったことにして去ってはくれないだろうか。
 何も言わずにこちらを見つめてくるソニック。困り果てる私。そんな二人の間を風が吹き抜けた時、間抜けな腹の音が静かな夜に響いた。これは私のものじゃない。

「まさか……夕食も食べずに走ってたの?」

 私の問い掛けにソニックは答えず視線を逸らすけれど、その沈黙は肯定の意を表していた。いくらなんでも食事を抜いてまで走ることに没頭しなくてもいいじゃないか。
 呆れつつもバッグからおにぎりの入った袋を取り出す。三個も用意はいいものの、作りすぎかもしれないと後悔していたところだから丁度いい。
 ラップに包まれたそれを彼に差し出すと、一瞬戸惑うような顔を見せた。

「What? それ、ナナシのだろ。オレのことは気にすんなよ」
「そんなこと言って。体は正直じゃん」

 彼の胃は早く食べ物を入れたくて堪らなくなっているはず。そう確信しているからこそ、おにぎりを差し出した手を下げることはしない。
 私が引かない姿勢を見せると彼は観念したみたいで、礼を言いながら受け取ってくれた。おにぎりを頬張る姿を見ていると、コッフェルの方からお湯が沸き立つ音がし始める。

「さてと、私も食べようっと」
「へえ、カップ麺で年越しってワケか」
「こういうのも乙なもんでしょ。そうだ、ソニックにも分けてあげる」

 言いながら予備に用意してあった容器に半分ほど移し、ソニックに手渡す。意識していなくても、凍てつく空気は容赦なく身体を冷やしていく。
 だからこそこうして熱いものを取り入れて、身体の内から温まろうというのである。暗闇に湯気が立ち上る中、聞こえるのは麺を啜る音だけ。
 何の変哲もないカップ麺だというのに、食べる場所を変えるだけでより美味しく感じられるのだから不思議なものだ。
 熱々の汁を飲み終えると同時に、何処からか鐘の音が鳴り出した。一年の終わりと新年の始まりを告げる、清らかで穏やかな響き。

「はあ……遂に今年も終わりだね。明けましておめでとう、ソニック」
「Happy New Year. ナナシ、今年もよろしく頼むぜ」

 空になった器を片手に、二人で微笑みを交わし合う。前の大晦日は一人きりだった。
 きっと今回もそうなるんだろうと思っていたところに――偶然とはいえこうして一緒に過ごしてくれる人が現れた。
 それが何だかこそばゆくて、胸の奥から暖かなものが溢れてくる。白くなった息の行方を追うように視線を上げれば、星々も新年を祝うかのようにその輝きを増していた。

澄んだ空気に響く鐘の音は心地良い。



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