そこが愛らしい

Morning glow

某日、酒場にて

 忙しない年末年始が過ぎれば、ようやく緩やかな日々が訪れる。私はというと、年末は実家のあるオネットに帰省し、年明けと共にスリークに戻ってきた。
 実は恋人であるネスもオネット出身ということで、年末は一緒に帰省するかという話が上がってはいた。しかし彼の元に急な依頼が舞い込んできたことであえなく断念。
 "来年こそはお互いの両親にご挨拶しよう"。別れ際にそんな誓いを立て、私とネスはそれぞれの形で新年を迎えたのであった。
 
 そして今――私は久々に友人に誘われ、フォーサイドにある行きつけのバー"ボルヘスの酒場"で飲んでいた。お互いに積もる話もあってか、お酒が進むにつれて会話も弾んでいく。
 話題は現在の生活環境から恋人の話へ、正確には惚気話へと発展していった。友人の方は既に出来上がっていて、紅潮した頬を抑えながらうっとりと語り続ける。

「それでね~……彼ってば"まだ帰したくない"とか言って強引に私を抱き締めてきてさぁ。って、ナナシ聞いてる?」
「一応ねー……てかその話、去年も通話で聞かせてきたじゃん。確かその後、彼氏さんの家に誘われて熱い一夜を明かしたってやつでしょ」

 呆れ顔で言うと、彼女は照れ隠しするように何度も私の肩を叩いてくる。酔っているせいもあるのか、普段よりも気分が高揚しているんだろう。

「何よぉ、別に良いじゃない! ナナシだってネス君に同じこと言われてみたいでしょ、ねえ!」
「ネスはそういうことは……いや、あの男なら言うか。多分」

 実は去年、私がネスと交際を始めたことは友人に伝えてあった。一応ネスには許可を取ってあるし、彼もその辺りのことに関しては寛容的だった。
 "ネスが超能力者であることは明かさない"という絶対の条件付きだけど、この秘密は私とネスを結ぶ絆の証でもある。
 探偵であることは隠さなくていいのかと尋ねると、それは現在彼が所属している事務所――超能力者が集うという極めて特殊な職場だからこそ秘匿する必要があったということ。
 今後事務所から独立する彼としては探偵として名前を広めておかないと、依頼を呼び込みにくくなってしまうというわけだ。
 ちなみにその辺りの話は既に所長さんと折り合いをつけていて、緊急時には助っ人として所長さんに力を貸すという条件の元で決まったとのこと。
 探偵としても、超能力者としても、所長さんにとってネスの存在が何れ程大きなものなのか伺い知れる――
 こうして過去の会話を振り返っている私の横で、友人は秘蔵の惚気話を展開させている。気付けば空のグラスが置いてあった場所には新たなお酒が用意されていた。

「ちょっとナナシってば、お酒進んでないじゃない。ほらもっと飲みなさいよぉ」
「もう、こっちにはこっちのペースってもんがあるの」

 そう言いつつも、彼女の勢いに押されるようにしてグラスに口をつけた。カクテルの味に酔いしれていると、店の入り口から微かに重厚感のあるベルの音が響く。
 ぼんやりとしたまま無意識に視線を向けると、そこには一人の男性の姿。その人物は私と目が合うと、途端に頬を緩ませた。

「あれ、ナナシじゃないか。奇遇だね」
「あ、え、ネス……!? どうしたの、こんなとこで……」
「どうしたのって、依頼が終わったから一杯飲もうと思ってたんだよ。明日は久しぶりの休みだからね」

 そこにいたのは、先程まで話題の渦中にいた人物――私の恋人であるネスだった。彼は柔和な笑みを浮かべながらこちらに向かって歩いてくる。
 私が硬直する中、友人はネスの姿を頭から足先までじっくり見つめていた。数秒の沈黙の後、彼女の口から飛び出た言葉は。

「この人がネス君……!? やだナナシ、イイ男じゃないの!」
「初めまして、ネスといいます。貴女はナナシのご友人の方ですよね。ナナシからよく話は伺っていました」

 ネスの言葉を受けた友人はほう、と感心したかのような表情を見せる。心配症な彼女のことだ、きっと彼に質問攻めでもするつもりかもしれない。
 ネスが私の隣の席に腰を下ろすと同時に、彼女の口からため息混じりの言葉が漏れ出す。

「あの恋愛事に疎くて残念だったナナシが、ここまで女らしくなれたのは貴方の存在があったからなのね……」
「残念って……もう少し言葉選んでよ」
「本当のことでしょ。ナナシが輝きだしたのは二年ぐらい前、丁度あんたとネス君が知り合ったばかりの頃だし」

 確かにそれまでの私は仕事や趣味のことばかり頭の中にあって、異性との関わりなんて皆無に等しい状態だった。きっとこれからもそうだろうと思っていた部分もある。
 それが今となってはかけがえのない大切な恋人が隣にいるんだから、人生何が起こるか分からないものだ。
 しみじみと思い耽っていると、ネスの方から小さな笑い声が上がった。

「そうだったんですね。そうか、ナナシはあの頃から僕のこと意識してくれてたんだ……嬉しいなあ」

 そう言って頬を染める彼の横顔を見ていられなくなり、友人の方に向き直るとこれまたいい笑顔を向けているではないか。終いには"熱いじゃない、ご両人!"とはやし立てる有様だ。
 いよいよ逃げ場を失った私は思いっきりカウンターに突っ伏して、この羞恥心を引き剥がす方法を模索していた。

「ナナシってば照れちゃって! 本当、こういう所が可愛くってねえ」
「よく分かります。ナナシはこうして追い詰められた時の仕草がとても愛らしいんですよ」

 暫くの間、友人とネスによる”ナナシ談義”が私の頭上を飛び交う。もう勘弁してほしい。穴があったら奈落の底まで潜りたい。

「私がもし男だったら、ナナシをモノにしてたかもしれないわねぇ」
「……悪いですけど、僕は相手が誰であってもナナシのことは譲りませんよ」
「あら、言うじゃない。生憎だけどナナシとの付き合いは君より長いのよ?」
「ちょ、ちょっと二人ともそれ以上は止めてよ!」

 不穏な発言を聞き咎め、慌てて身体を起こす。しかし二人の表情は至って穏やかなもので、狼狽える私を見るや悪戯っぽく口角を上げた。

「ほら、こういうところとか可愛いの」
「ええ、本当に。僕、惚れ直しちゃうなあ」

 ネスは目を細めると私を慈しむように見つめてくる。よく見れば彼にも酔いが回ってきているのか、その頬は仄かに赤く染まっていた。
 彼の瞳には熱が灯っていて、その視線に晒されるだけで胸の奥が疼いてしまう。思わず顔を逸らすも、肩を掴んで引き寄せられた。

「ナナシは照れだすとすぐ逃げようとするから、こうして捕まえておかないとね」

 そのまま抱き締められる形になり、耳元で吐息混じりの声が聞こえてくる。アルコールに染まったそれは、確かな熱を宿していた。

「ちょっと、ネス……酔ってるでしょ!」
「え、酔ってないよ?」
「酔ってる人は皆そう言うんだってっ――

 ネスは私の言葉を聞かずに首筋に顔を埋めてきた。肌に触れる吐息がくすぐったくて身を捩るも、彼は私の肩を離そうとしない。
 友人はというと、面白がっているのか黙って私達の様子を眺めている。助けを求めるように目配せするも彼女は楽しげに微笑むだけだ。
 恨めしげに睨みつけるが、アルコールに浮かされた今の彼女には通じない。それどころか暑苦しそうに首元を仰ぎだし、ため息混じりに一言。

「やれやれ、胸焼けするぐらい甘すぎて見てらんないわあ~」
「いや、助けてっての……!」

 友人はグラスを傾けながら、呆れたような眼差しを向けてくるだけ。ネスに至っては頬ずりを始める始末。
 辛うじて動かせる腕で彼の胸板を押し返そうとすれば、巻きつく腕に力が込められる。もう為す術は残されておらず、ただひたすらに彼からのスキンシップを受け入れるしかなかった――

***

 解放してもらえた頃、時刻は十時を過ぎようとしていた。それと同時に友人の携帯から軽快なメロディが鳴り出すと、彼女は喜々として電話に出る。
 明るい声色と返答の内容から察するに、通話相手は彼氏さんだろう。通話を終えた彼女の顔は緩みきっていて、熱の宿る頬を抑える姿からは幸福感が溢れ出ていた。

「今の彼氏さん?って、聞くまでもないか」
「当ったり~っ、今から迎えに行くからって!」

 私に答えながら、彼女はテキパキと帰り支度を始める。最後に財布を手に取ると、中からお札を取り出して私の前に置いてきた。

「これ、私の分ね。悪いけど一緒に精算しておいて!」
「はいはい、了解」
「じゃあお先に。今夜は付き合ってくれてありがと。また連絡するから!」
「うん、気をつけて帰ってよね」

 友人は満面の笑みを浮かべて立ち上がり、そのまま店を出るかと思った途端――ネスの前に行くと顔を寄せる。
 そこには先程のような柔らかなものは微塵も感じられず、真剣な瞳で射抜くように彼を見つめる横顔があった。

「ネス君。君も知ってるとは思うけど、ナナシは寂しがりやのくせに意地っ張りな所もある……だけど、常に誰かを思いやれる暖かい人なの。だから……万が一ナナシを傷つけるようなことがあったら、私が許さない」
「そんなこと、絶対にしません。その代わり……嬉し泣きならいくらでもさせるつもりです」

 ネスの表情には曇りというものはなく、実に晴れやかなものだった。その声色は凛としていて、彼の想いの強さを表しているかのよう。友人は彼の返事を聞くなり、ようやくその頬を緩ませる。

「そっか……ナナシが君みたいな人に出会えて本当に安心した。これからもこの人を宜しくね、ネス君」
「ちょっと、何そのお母さんみたいなセリフ……!」

 彼女は私をあしらいつつネスの肩を軽く叩くと、ドアを開けて外へと消えていった。その姿を見届けた後、ネスは私の方へと振り返ってくる。

「あの人は、本当にナナシのことを大事にしているんだね」
「……普段からマイペース過ぎるところもあるけど、実はどこまでも優しい人なんだ」

 ネスは私の言葉を受けて柔らかく笑うと、おもむろに立ち上がった。そしてこちらに手を差し伸べてくる。
 そろそろいい時間だし、私達も頃合いだろう。ふわふわとする身体に喝を入れてネスの手を取ると、椅子から立ち上がった。
 会計を済ませて店を出ると、寒空の凍てつく空気が吹き付けてくる。これでも、お酒が回って火照った身体には丁度良いのかもしれない。
 酔い醒ましも兼ねてゆっくりと歩きだせば、自然と繋いだ手に力が入る。

「ナナシ、大丈夫? 途中から結構飲んでたみたいだし」
「んー……ちょっと友人のペースに飲まれたかな。あの人ってば、お酒が回るといつもあんな感じだから」
「でも、良いご友人だよね。ナナシのこと大切に考えてるんだって、言葉の端々から伝わってきたから」

 彼女は私にとっても大切な存在に変わりはない。よく人を見ていて、時には的確なアドバイスをしてくれる頼もしい人。
 ネスの言葉に顔が綻ぶと、彼は私の手を握る力を僅かに強めた。思わず反応すると、彼は小さく息を漏らして言葉を続ける。

「僕も、ナナシのこと心配してるんだよ。変な男に言い寄られてないか、また事件に巻き込まれてないかとか……普段仕事をしてる時も、君のことを想わない日は無いんだ」

 彼の口から紡がれていく言葉の数々を聞いている内に、徐々に鼓動が早くなっていくのを感じた。
 私だって、毎日のようにネスのことばかり考えている。彼は探偵の中でも特殊な立場にあり、時には身の危険に関わるような仕事まで請け負う人物だから。
 言葉の代わりに彼の胸板に顔を埋めると、上着越しに彼の存在を感じられて心が満たされていく。
 この温もりをずっと傍で感じられるのならば、私はどんな困難にも立ち向かっていける。そんな確信めいたものが、心の中に芽生えていた。

「ねえ、ネス……」
「どうしたの?」

 呟くとともに彼を見上げる。街灯に照らされた瞳には慈しみの色が浮かんでいて、思わず吸い込まれそうになる。
 私はそっと彼の頬に手を伸ばすと、精一杯の笑顔を見せた。

「私、今夜はまだ帰りたくないなあ……」

 途端にネスの目が大きく見開かれたかと思うと、頬を赤らめて口元を手で覆う。その様子を見た瞬間、自分がとんでもない発言をしてしまったことに気がついた。
 しまった。私にとってあまりにも大胆すぎる発言ではないか。いや、これはお酒の力によって引き出された言葉でしかないんだ。それと、雰囲気に乗せられたというのも否めないけど。
 急いで言葉のあやだと訂正しようとすると、それを遮るようにネスが勢いよく私の腰に手を回して抱き寄せてきた。

「丁度良かった。僕もまだナナシを帰したくないって思ってたところ」

 耳元で囁かれると、ぞくりと背筋が震え上がる。決して冷えた空気に曝されているからではなく、これは本能による疼きからくるものだ。
 そのまま至近距離で顔を覗き込まれると、黒紫色の瞳がそっと細められる。

「ナナシ、明日は休み?」
「うん。だから今日は友人と飲みに来てたんだ」
「そっか。それなら……今夜は二人でゆっくり過ごそう。もう僕、我慢できそうにない」

 ネスはそう言うと、私を抱き締める腕に更に力を込めてきた。彼の頬は熱を帯びていて、それは次第に私の心身にも伝播していく。
 今、私達の中を巡っているのは互いを求める"欲"だ。

「うん……もっと一緒にいたい」
「ありがとう。それじゃ、行こうか」

 やがて私達は肩を寄せ合うと、その足を夜の光瞬く街路に向ける。こうしてネスと共に過ごすことで、私の"平穏"は再び形を変えてゆく。
 探偵として独立しようとしているネス、そして彼に寄り添う私にも新たな景色が見えてくることだろう。
 それがもたらすものは決して"安寧"だけではない。しかしそれも、彼と共に在ることを望んだ私の人生を彩る欠片になるのである――

この友人は五話に出てきた人と同じです。

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