改めまして

Morning glow

某日、私の家にて

 "黄金像事件"が解決してから約五ヵ月が経った。あの長きに及んだ非日常も、今となっては遠い昔のことのように感じられてしまうのだから時の流れは恐ろしい。
 私とネスはというと、去年から恋人という関係になったにも関わらず、以前とほぼ変わらない接し方をしている。これはこれで心地良いんだけども。

「へえ、このチーズ旨いなあ」
「でしょ、結構したんだからよく味わって食べてよね」

 そして今、私はネスと一緒に自宅でたった二人きりの酒盛りをしている最中。明日は私が休みで彼は夜から依頼人と会う約束なので、たまには酒場ではなく家でゆっくり飲もうという話になったのである。今月は遂にネスが私立探偵として独立し自分の事務所を開くこととなり、その前祝いも兼ねていた。
 ちなみに明日受ける依頼はネスにとって、今勤めている探偵事務所で最後の仕事になるとのこと。このように職場や最近の私生活についてなど互いに積もる話もあって、時間が過ぎるのも忘れるままに盛り上がっていた。

「あれ、もう無いや。おかわりある?」
「あんたがポクポク食べてくからでしょ! 私まだ二個しか食べてないのに!」
「まあまあ。僕の前祝いなんだから……って、うわ、頬引っ張るなよっ」
「このっ、少しは遠慮しなさいっての!」
 
 こんな風にしょうもなくじゃれつき合ったりなのも変わらずで。流石にここまでするのはアルコールによる高揚感が後押ししてるのもあるけど。

「ナナシ、もう三缶目じゃないか。飲むペース早くない?」
「えぇー、まだ全然酔わないよお?」
「いやいや顔赤いし、何か目も据わってるからね?」

 そんなやり取りをしつつ、私はまたお酒を一口。正直に言えば少し飲み過ぎたかなとは思っているけど、気持ちの高ぶりがそれを隅に押し退ける。これもネスと二人きりという状況のお陰かもしれない。

「また二日酔いになっても知らないよ。前の時は相当酷かったらしいじゃないか」
「そん時はネスの"ヒーリング"で治してもらいま~す」

 もうどうにでもなれ。完全に酔いが回ってきた私は、もたれ掛かるようにネスの腕に巻き付いた。彼の肩に頭を預けると、そのまま目を瞑る。

「ちょっとナナシ、重いよ」
「ん~、女に"重い"は禁句でしょ~……」
「はいはい、ほら水飲んで」

 ネスに促されるままコップを受け取り、喉の奥へと流し込む。冷たい水が食道を通っていく感覚が気持ちいい。そのお陰か少しずつ冷静になれた気がする。

「ありがと、少し落ち着いてきたかも……」
「ならいいけど、あまり無理しないでよ。君、そんなに酒強い訳じゃ無いだろ?」

 まあその通りですけど。返答の代わりに再びネスへ寄りかかると、身体の方に腕を回してみた。そして薄いシャツ越しに筋肉の厚みを感じた私は、その感触を確かめるようにあちこち手を添えていく。

「おいおい、急にどうしたのさ」
「うーん、やっぱ筋肉質だなあって」
「結構前からジムで鍛えてるからね。前にも話しただろ?」

 そういえばそうだったね、なんて相槌を打ちながら脇腹の方まで手を這わせてみると、くすぐったいからと手首を掴まれて阻止されてしまう。
 こちらも負けじと軽く抱きついてみると、今度はネスの方から私の肩を抱いてきた。こうして包み込まれていると全身から力抜けてしまいそうになる。それだけ彼が心から信頼し、安心できる男性という訳で。
 振り返ってみれば、私はこの人に何度も守られてきたんだ――しかし、何時までもこのままでいいのだろうか。私だっていい加減自分の身ぐらい守れるようになれたら。

「ネス……あのさ、このタイミングで言うのも変な話なんだけど」
「どうしたのナナシ、改まって」
「……私に教えてくれない? 護身術」
「え?」

 予想通りネスはぽかんとした表情になった。それはそうだろうね。でも声に出した以上引き下がれない。

「ほら、"黄金像事件"の頃……私、強盗に襲われたじゃん。何も出来ずにアイツに好き勝手やられた時、怖かったのもあるけどそれ以上に悔しくてさ……」
「ナナシ……それは、」
「もうあんな思いしたくないし、いつまでもネスに助けられてばっかなのも、恋人としてどうなのかなって」

 ネスは暫く考え込んでいた様子だったけど私の思いを理解してくれたのか、"仕方ない"とばかりに微笑みながら口を開いく。

「わかった。ナナシがそう言うなら、良いよ」
「ほ、本当に?」
「ただし教えるのは初歩的なやつだけだよ」
「うん、ありがとうネス」

 意気揚々と気合いを入れてみた訳だけど、私はそれ以前に大きな問題を抱えていたことに気付いていなかった。それはネスに基本姿勢を教えてもらう時に発覚することとなる――

「ほら、ここはもっと腕上げないと」
「い、いたっ、これ以上無理だって……!」
「いや、もっと上がるはずだよ。僕が手伝うから、いくよ?」
「え、待って待ってっ、いだだっ、ぎゃああぁっ!」

 そう、節々の間接が凝り固まっていたのである。職業柄、一応体力には自信があるけどこれは盲点だった――自分の身体の衰えに絶望していると、ネスは"まずは柔軟からだな……"とため息混じりに呟いた。再びソファーに座った後も落ち込む私の頭を、彼は優しく撫でてくれる。

「はあ……自分が情けない」
「うーん、予想以上の硬さだったな。でも……ナナシが僕のことを思って考えてくれてるのは嬉しかったから」
「うぅ、ネス……こんな私に惚れてくれてありがとねぇ……」
「どういたしまして」

 ネスの両手が私の頬を包み込むとそのまま視線を合わせられた。彼も酔いが回ってきたのか、頬が鮮やかな紅色に染まっている。

「なんだ、ネスも出来上がってるじゃん……」
「お互い様だよ」

 目を柔らかに細めてほんのりと口角を上げる様は色気溢れていて、年下のくせにちょっと生意気だとか思わなくもない。それでも"ああ、やっぱり顔まで良いな"なんて見惚れていると、彼の唇が私のそれに深く重ねられた――

新たな門出を前にいちゃつく二人。番外編の話数的に、最早第二部では的な。

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