ブラピ短編1

Morning glow

心までは

 ある日突然、オレは『この世界』に呼び出された。オレをここに召喚したのはマスターハンドとかいう奴で、そいつからはオレ達ファイターの存在と『この世界』の関わりについて語られた――
 その後のオレはというと、試合だけは出てやるという条件を呑んでこの屋敷に留まっている。なんでもそれがこの世界に存在するための最低限の条件らしい。
 しかしオレの他に呼び出された連中の中には、あの天使と女神の姿もあった。当然奴らはオレをネタにして絡んでくるようになった訳だが、オレは誰とも馴れ合うつもりはない。
 今日も試合が終われば屋敷の外へ出向き、好き勝手にやらしてもらっているというわけだ。しかし屋敷の外で悪目立ちすればそれなりのペナルティはあるらしい。なんとも面倒だ。
 そしてオレにはもう一つ悩みの種とも言える存在があった。それは――

「お、いたいた。プラピー!」

 またあの女、ナナシの無駄に明るい声が聞こえてきた。こいつが俺の悩みの元凶と言っても過言ではない。
 奴の気配を感じて木の上で枝葉に身を隠していたというのに見つかるとは。オレは眉を寄せると、小さく舌打ちをする。

「段々見つけにくいところに行っちゃうんだからさあ」
「当然だ。お前に見つからないようにしてるんだからな。後その呼び方はやめろ」

 吐き捨てるように返してやるとナナシは面白くなさそうに口を尖らせていた。オレは本心を言ったまでだ。

「ブラピって呼びやすくて良いと思うんだけど。それにさ、どうせいつも一人で暇なんだろうから遊びに来てるのに」
――ならお前はオレ以上の暇人ってことだ」

 毎回こいつとはこんなやり取りが繰り広げられる。ナナシと出会った頃、こいつは黒い翼を生やしたオレを興味津々といった様子で遠くから見つめていた。
 それだけならどうでもいいことだったが、時が経つにつれてこの女は少しずつ距離を縮めてきた。気付けば近くにいるようになり、睨んで追い払っても懲りずにやってくるようになった。
 いい加減鬱陶しくなってきたオレは威嚇するように言葉を吐きつけたことがあった。しかしそれが切っ掛けだったのか、物怖じするどころか余計に絡んでくるようになった。
 どうにもならなくなったオレは身を隠すようにして過ごしてきたが、どういう訳か今ではあっさりと見つかるようになってしまった。こいつには探知能力でもあるのか。
 そして一番の問題は――こいつがいつも側にいるせいで他の連中から勘違いされ始めているということだ。特にあの天使と女神からは新たなイジりのネタにできそうだと言われていて最悪だ。
 オレの苦悩も知らずに、いつの間にかナナシはオレのいる高さの枝まで登ってきていた。猿かこいつは。そして枝に腰をかけると得意気に笑いかけてくる。

「私も木登り得意なんだよ。知らなかったでしょ」
「知るもなにも、オレにはどうでもいい」
「そう? 知ってて損はないと思うけどね」

 この通りオレが嫌みを言っても、こいつは動じることもなくどこか愉快そうに振舞ってくる。暖簾に腕押しとはよく言ったものだ。
 大体、何でこいつはいつもオレに絡んでくるのか理由が思い当たらない。要はオレにはこの女の考えていることが読み取れない。

「前から思ってたんだけどね。ブラピってさ、黒髪だし和装も似合うと思うんだよね」
「お前はいつも唐突に変なことを言うな」

 時にこの女はこうして奇妙奇天烈な言動をする。オレとしてはかわしにくくて鬱陶しくてかなわない。一度こいつの脳内を覗いてみたくもなるが、それはそれで余計にオレの頭痛が酷くなるだけな気がする。

「見てみたいなあ。絶対似合うって!」
「断る」

 きっぱり言うと同時に木から飛び降りる。頭上からは不満そうな声が聞こえてきたが無視してやった。これ以上ナナシといると奴のペースに引き込まれかねない。
 丁度いいことにあいつは今木の上。つまりすぐに逃げられるという訳だ。そのまま奴に背を向けて歩き出そうとした時だった。
 背後からオレを呼ぶ声が聞こえてきて、それが震えたものだったからつい振り向いてしまった。見上げるとナナシがくしゃりと眉を下げてオレを見下ろしていた。まさか、こいつ――

「ブラピ……降りられなくなっちゃった」
「ふん、木登りが得意なんじゃないのか?」
「うっ。登るのは得意だけどさ、降りようとしたら意外に高くて……どうしよう」

 木の幹に手を添えて、ナナシは怯えた様子で助けを請うように潤んだ瞳で見つめてくる。そんな目で見てもオレには助けてやる義理はない。こいつが勝手に登っただけだ。
 しかし、こいつをここで見捨てると後で他の奴らに何て言いふらすか分かったものではない。それがあの女神の耳にでも入った日には――
 オレは聞こえるように舌打ちすると地面を蹴り、奴のいる高さまで飛び上がると枝の上に立つ。ナナシは呆気に取られた表情でオレを見上げていた。

「何やってる、早く掴まれ」

 ナナシは枝の上で慎重に立ち上がると、おずおずといった様子でオレの背中にしがみついてきた。奴の体温が背中に伝わってきて奇妙な感覚に襲われる。
 生々しい感覚だが、不思議と不快ではないような。そこまで感じた所で思考を閉ざした。一体オレは何を考えている。
 そのまま背負う体勢になると枝から飛び降り、ゆっくりと下降して地面に着地する。オレから降りた後もナナシは呆けた顔をしていたが、我に帰ったのかすぐに頭を下げてきた。

「あの、ありがとう」
「これに懲りたらもう木登りなんて止めるんだな」

 これで今度こそこいつから離れられる。さっさと一人になれる場所を探すか。そう考えながら背を向けて歩き出そうとした時――突然後ろに引っ張られて思わず声を上げた。奴がオレの腕を掴んできたことによるものだ。

「やっぱりピットの言ってた通りだ! ブラピって優しいんだね」
――な、何言ってやがる! 離せ!」
「あはは、赤くなってる」

 指摘されて初めて顔に熱が上っているのを実感してしまう。力ずくでこの手を振り払うこともできるはずなのに、今のオレは固まってしまってそれどころではなかった。
 その横でナナシは実にいい笑顔を向けていて、ここでオレは気付いてしまった。

「まさかお前……さっきのは――
「うん、ごめんね。本当は自分で降りられたんだけど……ブラピなら助けてくれるんじゃないかって信じてたんだ。黒いピットだからって、悪い人じゃないんだろうなって」

 俯きがちに呟くその顔には少し紅が差していた。この女はあの天使の言葉を鵜呑みにしてオレを試していたっていうのか。
 ここまでされると却って清々しいものを感じてしまう。しかしそれは顔に出してはやらない。調子に乗って付け上がられたらたまったものではない。

「もういい、離せ」

 大人しく手を離したナナシはオレの隣に付くと並んで歩きだした。まさかまだ付いてくる気なのか。これ以上こいつといると次は何をしでかすか分からない。
 また奴のペースに乗せられてしまうのは癪だ。付き合いきれないと言うように、オレは飛び上がると木々を伝って飛んでいった。後ろからは小さく声が聞こえたが、今度こそ足は止めない。

「行っちゃった……また遊ぼうね、ブラピ!」
「その名前で呼ぶなって言ってるだろ!」

 最後に叫ぶように返すと今度こそ空へ飛び上がった。奴の顔は見えずとも、今もニヤニヤと笑っているんだろうということは安易に想像できてしまう。この日オレは奴の顔が見れなくて、居心地が悪かったのは言うまでもない――

ブラピはイジり甲斐があるなあ。 




戻る
▲top