寄生
休日の昼過ぎ。特に行く宛もなく庭の木陰で寛いでいたオレの肩に一人分の重みが掛かる。視線だけ向けてやると、寄り掛ってきた女"ナナシ"は照れ隠しかのように微笑んでいた。
「そう言えばさブラピって、私のどこを好きになってくれたの?」
「そんなの、今更言うことかよ」
「もう、今だから聞いてるの! 私達付き合ってから……もう二ヶ月経つし」
半ば怒りつつも次第に小さくなっていく声。言い終えた頃には頬を染めて目を閉じ、オレからの返答を静かに待っていた。
しかしいざ"何処を"と聞かれると当てはまる言葉が浮かばないというのが実情だ。もし浮かんだとしても言うつもりはないが。何よりこいつは一度調子付かせると喧しさに拍車が掛かるからな。
「だから、今になって聞くことかって、」
「へえ、答えられないんだね。私はブラピの好きな所、沢山言えるのになあ」
ナナシの拗ねたような口調に、内心"しまった"と天を仰ぐ。認めたくないが、オレはこいつを前にすると途端に上手く立ち回れなくなる。それは出会ってから付き合うに至るまで変わらず、時にはこのように突き放したような印象を与えてしまうこともあった。
それでもこのナナシという女はオレの横から離れようとせず、真っ直ぐに見つめ続けてくる。本当に物好きな奴だと呆れ果てるが、こいつの存在が隣にいることが当たり前であり、ある種の心地良さを感じていることは否定できない。
「……成る程、分かっちゃった。実は照れてんでしょ?」
「っ、お前な……!」
「あ、今ドキッとした。もう素直じゃないなあ」
このように、上手いことナナシのペースに乗せられてしまうと下手に反発できなくなる。しかし、それすらも好ましいと感じるオレもまた存在していて――そんな自分を認めることも癪で、ついムキになってしまう。それがこの女の思う壺だと分かっていてもだ。
「ふふふ、照れてるブラピも良いよねー」
「うるさい、黙れ」
「だって、そんな姿を傍で見られるのは私だけの特権だもん。悪い?」
その言葉を聞いた途端、オレは衝動的にナナシの手首を掴んでいた。このオレの心を意図も容易く乱すこの女を、いっそのこと滅茶苦茶にしてしまえたら――オレと同じ所まで堕ちてくれるだろうか。
「あれ、ブラピ……まさか、怒ってる?」
「お前にはそう見えるか」
「だって、何か迫力あるんだもん。怒ってないって言うなら一体、」
一瞬の隙をついてナナシの唇を自分のそれで塞ぐ。しばらくして顔を離すと、彼女の瞳には熱の色が宿りオレを真っ直ぐに見つめ返してきた。ああ、この目だ。この目に惹かれたからこそ、オレはこいつと今の関係に収まったのだ。
「あのさ……キスするならもっとこう、雰囲気作ってからにしてよ」
「挑発したお前が悪い」
そう返してやればナナシは"何それ!"と赤らめた頬を膨らませる。その煽るような表情を、潤んだ瞳を、すぐ傍で眺められるのはオレだけの特権。当然他の奴らに譲るつもりは毛頭無い。
「……ブラピのそういう訳分かんない所だって、私は心から好きだって言えるのに」
「はあ……ここまでオレに拘る女なんて、これからもお前だけだろ。横に居る理由なんてそれだけで充分だ」
それ以上の言葉は要らない。ナナシの腰に手を回し抱き寄せると一瞬驚いた様子を見せたが、やがてオレの胸に顔を埋めると小さく笑い声を漏らして肩を震わせた。
「本当君って素直じゃないなあ。私はそういう所がかわいいと思ってるけど」
「……もう一度その減らず口を塞いでやろうか?」
「むしろ塞いでもらいたくて、って言ったら……どうする?」
顔を上げたナナシは悪戯に目を細める。すっかりこいつの思うままに流れを握られているのは癪だが、誘いに乗らない訳もなく。オレは再び彼女の唇を奪うと、その勢いのまま木陰へゆっくり押し倒していった。
「おお……積極的」
「煽った癖に何驚いてんだ。今更後悔しても遅いからな」
「やだな。ブラピを好きになってから、一度も後悔なんてしたことないよ」
木漏れ日に照らされながら微笑むナナシはどこか凛としていて、オレは思わず息を飲む。そうだ。元々こいつの瞳に惹かれただけじゃない。
オレの心の芯にまで違和感なく自然に入り込み、自分の思うままに掻き回して見せるのがこの女だ。そんなこいつだからこそオレはどうしようもなく受け入れてしまう。
「……まるで"寄生"だな」
「ん、何か言った?」
聞き取れなかったらしく首をかしげるナナシへ、返事の代わりに口付ける。今後オレ達の関係が行き着く先は何処なんだろうか。そんなことが僅かに脳裏を過ぎったが、お互いの唇の隙間から漏れる吐息と水音が"それは些細なもの"だと掻き消していった――。
心をほぼ掌握されてるけど、それにすら心地好さを覚えてしまったブラピさん。