蓼食う虫も
※「心までは」と同ヒロインです。
今日の乱闘のノルマを達成したオレは、すぐに屋敷を出ると近場の森を散策をしていた。あそこにいるといつまた他のファイター達に絡まれるか分からない。
あれらの中にはすすんで他人に関わろうとする物好きな奴が多い。そして今、オレの隣を歩いてるナナシという使用人の女もその一人だ。
今日の仕事は昼過ぎで終わったらしく、ピクニックに行こうとしたところで屋敷を出るオレを見つけてついて来たという訳だ。
「今日も良い天気で良かったよね。洗濯物もよく乾くから気持ちよく洗濯の仕事できたし」
「オレには関係ないが」
「そういえば今日も寝坊しそうになったんだよねえ。早朝からの仕事だったのに目が覚めたらもう6時半!冷や汗止まらなかったよ」
「夜更しをやめろ」
「それに隠しておいたお菓子、カービィに食べられちゃってたし」
「奴の嗅覚を見くびるな」
オレが視線を合わせずにそっぽを向いている間も、ナナシは引切り無しに話し続けた。その声を聞きながら、この女は一体何を考えているのかと思案してしまう。
ナナシはこの世界に来てまだ間もない頃から、他の連中ともすぐに馴染み始めていた。誰に対しても分け隔てなく接するからか、こいつを密かに気に入っている奴等もいるらしい。
とにかく他人と接することを心から楽しんでいるようだが、オレにはその気質が理解できない。それ以上に不可解なのは、オレの側にいる時には決まって穏やかな笑顔を浮かべていることだ。
「ねえ、聞いてる?」
不意に声をかけられて、オレは顔を上げる。すると視界を埋め尽くすようにナナシの顔があり、らしくもなく固まってしまった。どうやら思考に耽っている内に隙を見せてしまったらしい。
「――なっ、急に近付くな!」
「ごめんね。何か遠く見てたから、つい」
反射的に怒鳴ると、ナナシはすぐに元の距離まで体を離す。しかしそのまま黙り込んでしまい、沈黙が流れる。うるさいくらいに話し好きのこいつが黙り込んでいることが逆に落ち着かない。
次第にこの空気に耐えきれなくなったオレは無意識に舌打ちすると、ひとつ疑問を投げかけた。以前からずっと抱えていたものだ。
「いつもオレに付き纏うのは何故だ? 物好きな話相手なら屋敷にわんさかいるだろ」
単純な疑問だ。こいつは暇さえあればいつもオレを探し出し、見つけると途端に嬉しそうな表情を浮かべて駆け寄ってくる。
今まで何度も睨んだりした所で効果はなく、いつの間にかこうしてこの女が隣にいることが当たり前の光景になりつつあった。
ナナシはオレの問いに対して首を傾げると、少し困ったような笑みを浮かべた。返答することを躊躇っているかのような仕草に、段々と胸の奥が疼く感覚を覚える。
そんな時だった。静かな空間の中で、突然腹の底から響くような音が聞こえてきた。音の出所は探るまでもなく、文字通りオレの腹から出たもの。
ナナシは少しの間呆然としていたが、すぐにその表情を緩ませると小さく吹き出した。
最悪だ。よりによってこんな時に鳴らなくてもいいだろうが。思わず自分の腹部を押さえたが身体というものは常に欲に忠実で、意思とは裏腹に表に出てきてしまう。
ナナシはその様子を見つめたまま笑みを深めると、手に提げていたバスケットを差し出してきた。
「良かったら食べない? 作りすぎちゃったなって少し後悔してたんだ」
「何……?」
「ほら、座ろう。ここ、ちょうど木陰になってて涼しいよ」
促されるまましぶしぶと腰掛けると、ナナシはバスケットから弁当箱を取り出す。普段から何を考えてるのか掴めない女だ。
きっとその箱の中にはこいつの脳内を再現したかのような光景が広がっているに違いない。そんなことを想像しながらオレは奴の横顔を訝しむように見つめていた。
しかし蓋を開けてみれば、予想とは反するように彩り豊かなおかずが丁寧に詰め込まれていた。つい中身に見蕩れてしまったが、肝心なのは味だろう。ぽかんと開きかけた口元を一文字に結ぶと、差し出された皿と箸を黙って受け取る。
「ブラピの好みに合うかは自信ないけど、どうぞ召し上がれ」
「……ふん」
ここまで来たら食べてやる他ないだろう。取り敢えず卵焼きを一切れ摘んで口に放り込むと、ほんのりと甘い風味が広がった。ふわりと焼きあがっていて食感も申し分ない。
次に取った唐揚げもしっかりとした衣の中に柔らかな鶏肉が包み込まれていて、程よい味付けだ。まさかこいつにこんな特技があったとは思いもしなかった。
しかしここで素直に褒めると調子に乗りそうだ。オレは口の中に入っていたものを呑み込み、緩みそうになった頬を引き締めて眉を寄せながら呟いた。
「……食べられなくはない」
「そっか! 良かったあ」
素っ気ない言葉にも関わらず、ナナシは安心したように微笑む。やはりこいつはかなり変わっている女だ。それからオレ達は黙々と食事をしていたのだが、ふとナナシは箸を置くと口を開く。
「ねえ、ブラピは皆と交流したりしないの?」
「オレは馴れ合わん」
ばっさりと返してオレは再び卵焼きを口に放り込む。その態度を見てナナシは苦笑いを浮かべていた。あの屋敷に集う奴の中にはお節介焼きや世話好きが多い。
しかし中にはオレのように馴れ合いを好まない奴もそれなりにいる。だから別にこのままでも何も問題はない。
そう思っているのにも関わらず、何故だかオレはこの女を切り離せないでいる。その理由が分からないからこそ、オレは余計に苛立っていた。
「でもさ、皆良い人達ばかりだしピットみたいに気の合う友達だって――」
「アイツと一緒にするな! オレは馴れ合いするつもりはないって言ってるだろ!」
ナナシの口から奴の名前が出てきた瞬間、オレは怒鳴っていた。無意識の内にだ。オレの声に一瞬だけ驚いた表情を見せたナナシだったが、すぐに目を伏せて俯いてしまった。
「……やっぱり、私がいても迷惑?」
いつになく遠慮がちに問いかけてくる姿に、内心拍子抜けしてしまった。オレが突き放すように辛辣な言葉を放っても、いつもへらへらと笑って受け流しているだけだと思っていたからだ。どうやらコイツは今までのオレの態度を気にしてない訳ではなかったらしい。
正直、どうしていいのか分からなくなった。今ここで突き放してやれば、こいつは今度こそオレに絡んでこなくなるだろう。――何となく、そんな気がした。
今がナナシを引き剥がす絶好の機会だというのに、それを出来ずにいた。何故かなんてオレ自身が一番知りたい。こうして沈黙を続けていると、ナナシは小さく息を吐いて立ち上がる。
「ブラピが本当に嫌だって言うなら、もう話しかけたりしないよ。今まで絡んでごめんね」
オレからの返答がないことを肯定だと受け取ったらしく、ナナシは空になった弁当箱を黙々と片付けてバスケットに戻していく。
その瞳は寂しげに細められ、緩く弧を描いている唇は微かに震えていた。切なげな横顔を見ている内に、胸の奥がざわつく感覚を覚える。一際強い風がオレ達の間を吹き抜けていった瞬間――無意識に言葉が漏れていた。
「……お前の場合は、頻度を弁えろ」
その言葉を受けたナナシはぴくりと動きを止めると数秒の間固まった。俯いているためかその表情を伺い知ることはできない。
だが耳まで真っ赤に染まった顔がこちらを向いた時、ナナシは満面の笑みを浮かべていた。
「ということは、これからもブラピの所に行ってもいいんだね!」
「……勝手にしろ」
オレはぶっきらぼうに答えると立ち上がった。背後ではナナシが嬉しそうな声を上げ、腕に提げたバスケットを揺らしながら追いかけてくる。
「ブラピ! 待ってよー」
「うるさい。いい加減呼び名も改めろ」
「嫌だ! 何があってもブラピ呼びだけは譲れない!」
「はぁ? どういう拘りだよ!」
やはり鬱陶しいことこの上ないが、それでも振り払う気にはなれなかった。何故ならオレ自身も不思議と気分が高揚してしまうからだ。ナナシと話している時は何故かいつもペースを乱されてしまう。
それ故に、今まで感じたことのない妙な気持ちになる。――オレがオレでなくなるような、そんな感覚だ。こんなこと、口が裂けても言えんが。オレが複雑な思いを抱えている横で、この女は足取りも軽そうに隣に並んでくる。
「やっぱり、ブラピといると楽しい」
不意打ちのように呟かれた一言。その言葉はオレの意識を惹きつけるには強すぎるもので、思わず視線を奪われてしまう。しかしすぐに我に返ると舌を打つ。
「――ったく、どこまでも物好きな奴」
呟きはナナシの耳にしっかりと入ってしまったらしく、きょとんとした様子を見せるとこれまた嬉しそうに微笑むのだった。その笑顔を見るとまた胸が騒ついてくる。
ああ、本当にどうしたというんだオレは。近い将来、この感情の正体を嫌でも気付かされる事になるとは今のオレには想像もつかなかった。
最近は屋敷で度々ブラックピットとナナシによるデコボコな掛け合いが見受けられるようになった。
それがまた夫婦漫才を彷彿とさせるもので、屋敷の住人の間ではピットとパルテナに続く第2の漫才コンビが誕生するのではという噂が囁かれていることを二人は知らない――。
ブラピはいつの間にか他人のペースに巻き込まれてそうな印象。