黒で染まる
早朝四時三十分、起床。身支度を終えた私は、集合の時間になるまで自室でゆっくり過ごしていた。その中で密かに楽しみにしているものがある。
それは、ニュース番組の中に含まれている占いの内容をチェックすること。毎朝五時に始まるこのコーナーでは、星座別で今日の運勢やラッキーアイテムが紹介されている。
「さて、今日の私の運勢はどうかな?」
結果を確認する、この瞬間がささやかな刺激となっていた。次々に他の星座の運勢が流れていく中、最後に出てきたのは私の星座のものだった。
『12位のあなた、今日はハプニングに見舞われそう。行動するなら慎重に。ラッキーカラーは黒。あなたをピンチから救ってくれるかも?』
画面には錆び付いた色に染まった"12位"という文字。最悪の結果に、私は盛大にため息をついた。昨日は一位で最高の運勢だったというのに、ここまで転落するものだろうか。
しかもラッキーカラーはよりにもよって"黒"。せめてピンクやオレンジといった明るいものなら、まだ気持ち的にも立ち直れたのに。
たかが占い、されど占い。頭では分かっていても、心の内では多少なりとも影響されてしまうものだ。
「……まあ、こんな日もあるよね」
肩を落としながらため息を吐こうとして慌てて口を塞ぐ。"ため息をつくと幸せが逃げる"というじゃないか。
しかしそんなのは根拠のない迷信だと自分に言い聞かせ、テレビの電源を落とすと自室を後にした――。
***
この日割り振られた作業は早朝から昼までのもので、午後から動く先輩への引継ぎが終わればそのまま自由となる。
労働からの開放感によるものか、今朝の占いの結果などすっかり忘れていた私だったけど――思わぬ形で思い出すこととなった。
買い物でもしようと街へ繰り出せば信号無視をした車に轢かれそうになるし、気を取り直して売店で買ったパンは鴉の群れに奪われてしまう始末。
おまけに買う予定にあった物はほぼ売り切れ。こうして目的すら失った私は今、公園のベンチで気が抜けたように項垂れていた。
「……なんなのこれ」
これではまるで厄日だ。最初は単なる偶然だと自分を励ましていたものの、それも長くは続かず。不運の連続に段々と恐怖感が押し寄せてきた。このまま外にいては命すら危ういのでは、と。
すぐにでも屋敷に帰って部屋に引きこもろう。そう思い立ち、公園を出ようとした時――突然背中に襲撃が走り、前のめりに倒れこんだ。
砂利に身体を打ち付けた痛みに顔をしかめていると、今度は強い力で左肩を引っ張り上げられる。
一体何事かと身を起こすと、黒のパーカーを着た男が私のバッグを抱えて今にも走り出そうとしていた。
これは紛れもなく――"ひったくり"と呼ばれる行為じゃないか。
「ちょっと……待って、返して!」
震える声を絞り出して叫ぶも、当然男は聞く耳を持たず。こちらを一睨みすると今度こそ駆け出した。私は膝が痛むのを堪えつつ男の後を追いかけようとする。
しかしその差は縮まるどころか大きく離されていき、遂には足がもつれてその場に崩れ落ちた。肩で息をする間、脳裏には今日の出来事が浮かんでは消えていく。
そういえば、今日のラッキーカラーは”黒”といっていたか。思い返してみれば、あの時私を轢きそうになった車の色は黒。
襲ってきた鴉なんて、身近な動物の中で最も"黒"を象徴している存在じゃないか。それに、さっきのひったくり犯も黒の服に身を包んでいた。
結局どの"黒"も私を助けてくれるどころか、災難を引き起こした元凶でしかない。唇を噛んで俯いている内に、悔しさと怒りで視界が滲んでいく。
黒なんて――大嫌い。
「――そんな所で何跪いてる」
地面に影がかかると同時に、馴染みのある声が降りてきた。呆然としたまま顔を上げると、奪われたはずの私のバッグが視界を埋め尽くす。
さらに視点を上げればそこには、背に黒の翼を生やした少年"ブラックピット"の姿。彼は私が住み込みをしている屋敷に住まう"ファイター"の一人。
普段からぶっきらぼうな振る舞いで、こちらから挨拶をしても返ってくることはまずない。一言で言えばひどく無愛想な少年なのである。正直に言うと、私は以前からこの人が苦手だった。
そんな彼が今、私にバッグを差し出している。状況を掴みきれずにいると、それを私の腕に収まるように投げ渡された。
「あの、これは……どういう、」
「間抜けな悲鳴が聞こえたから見に来ただけだ。ったく、あんな下らない人間にまんまと奪われやがって」
吐き捨てるように言うと、ブラックピッ卜は踵を返す。もしかして私の悲鳴だと知った上で、駆けつけてバッグを取り返してくれたというのか。
彼の不器用な優しさに気付かされ、急いで立ち上がると黒の背中に向けてお礼を口にする。憎らしいとさえ感じていた"黒"は、思わぬ形で私を救ってくれた。
しかし返事はない。どうやらこれ以上言葉を交わす気はないらしい。私は今まで彼に対して誤った見方をしていたことを恥じる。
挨拶を返さない、無愛想という所だけで避けて、この人の表面しか見ていなかった。まず、知ろうとも思わなかったから。
「本当にありがとう……! この恩は、絶対に忘れない。近い内にお礼させて!」
これも聞き入れられないかもしれない。それも承知の上で告げると、ようやく彼は振り返る。その表情はいつもの仏頂面ではなく、少しだけ口角が上がっているように見えた。
珍しい光景に私はただ驚くばかり。そんな表情もできる人だとは思わなかった。もっと彼のことを知りたい――そんな欲求まで湧いてきた自身に戸惑う。
熱にも似たこの感情の正体。まだ答えが出せないけど、いつか自然に解る日が来るんだろう。
そうなる頃には今より少しでも距離を縮めていけたら、というささやかな願いも生まれていた――。
これが、私とブラピの馴れ初め。今でもこの話をすると、彼は決まって顔を逸らして黙り込むのである。ほんのりと紅色を浮かべる横顔は、私の頬にも同じ色を与えてきた。
艶やかな黒髪、どこまでも混ざりけのない黒衣、彼を象徴する黒の翼。私の一番大好きな色に染まった彼とともに、今日も想いを重ねていく――。
当サイトのブラピはツン7:デレ3ぐらいの比率。