クラウス短編1

Morning glow

誰そ彼

 私の住むタツマイリ村は、住人が互いに支え合いながら生活を営んできた。
 誰かが困難に見舞われていればすぐに人が集まり助けようとし、誰かが満たされれば周りにも分け与えようとする。
 もちろん諍いもあるけど、そこには確かに人としての"情"が溢れている。私はこの村に引っ越して以来、充実した日々を送ってきた。
 不吉の炎と悲しみの雨に包まれた、あの弔いの夜までは――


 "あの人"の葬式の朝。ミソシレ墓場に向かう私は村の門でクラウスと会った。リュカの姿がないということは、先に兄弟で墓場へ来ていたんだろう。

"クラウス……リュカは一緒じゃないの?"
"うん、ちょっとね。ナナシ、リュカは今あんなだから……ぼくの代わりにそばにいてやって"
"代わりって……クラウスはどこ行くの? そのリンゴは……?"

 クラウスは何も言わず微笑んだかと思うと、そのまま私達の横をすり抜けていく。去り際まで彼は、私が求めている答えを出してはくれなかった。
 追いかけて引き止めていたら何かが変わっていただろうか。今も彼は私の側にいてくれただろうか。いくら考えたところで、正解など永遠に見えてこない――

***

 彼の背を見送った朝から三年の時が流れ――タツマイリ村にも著しい変化が訪れていた。
 以前村中に"シアワセのハコ"と呼ばれる奇妙な箱が配られことから始まり、"カネ"という概念が生まれたことで人々は職に就き、働くようになった。
 それと程なくして、豚を模した軍服を纏う"ブタマスク"と呼ばれる人達が村の周辺を巡回するように。リュカやウエスさんは、彼らが村を狂わせた元凶だと語っていたけど、どこまで信じるべきか分からずにいた。
 そして何より問題なのは落雷が頻発するようになったことだ。それだけでも恐ろしいというのに、この雷は不自然かつ不気味なのである。
 何故なら、雷が落ちる場所は大体決まっていることに気付いたからだ。一定の周期で発生する落雷は、レジーさんのテントと――私の幼馴染であるリュカとクラウスの家を的確に捉えていた。
 一ヶ月の間、落雷した箇所を地図に記していた私は背筋が凍りつきそうになった。これではまるで意図的に狙っているようなものじゃないか。人の手が加えられていることは明らかだ。
 だというのに、この地図を住人達に見せたところで事態は変わらない。子供の戯言と笑う人。自分が標的でないことを知り安堵する人。
 私を異端だと決めつけ訝しむように睨む人。とにかく面倒な話に関わりたくないといった姿勢が態度に表れていた。
 日も暮れかけてきたし、今日はここまでにしておこう。明日はテッシーさんやライタさん、シルバーハウスに居るウエスさん達にも話してみよう。彼らならきっと私の声を聞き入れてくれるはず。
 本当ならリュカとフリントさんにもすぐにこのことを伝えたい。しかし最近彼は愛犬のボニーを連れて何処かへ出かけているらしく、中々会えずにいる。
 父親のフリントさんも滅多に家に戻らず、今でも行方不明のクラウスを探し回っていた。
 それでもこの足はリュカの家へと向かっている。皺だらけになった地図を握り締めて、彼らの家へと続く坂を登り始めた時――誰かの笑い声が聞こえてきた。
 もしかして帰ってきているのか。期待を胸に駆け上がった私の目の前には、例の軍服を着た二人組の背中があった。
 片方はよく見るピンク色の軍服で、もう一人は緑色のものを着ている。村の周辺では滅多に見かけない。恐らく階級の高い人物なんだろう。

「ここまで雷を落としても屈しないとはこの家の住人、中々強情だな」
「もう羊小屋だけじゃなく、家ごとやっても良い頃合じゃないですか?」
「ふむ、そろそろ検討してみるか」

 部下と思われる方が下品な声で笑う。私は足を出しかけたままその場に佇む。この男達の言い方、まるで自分達の意思で雷を操っているかのような。ならば以前リュカ達が語ってくれた話は真実ということ――
 私の中に抱いていた疑念が確信へと変わった瞬間だった。今度こそ動くようになった足は迷うことなく彼らの前に進み、リュカ達の家を庇うようにして立ち塞がる。

「やっぱり……あんた達なんでしょ、リュカ達の家に雷を落としてるのは!」

 ブタマスク達は呆気に取られていたものの、やがて鼻で笑った。ピンクの方がわざとらしく肩をすくめながら近付いて来る。
 改めて近くで見るとその体格差が如実に表れており、腰が引けそうになる。だけどここで啖呵を切った以上引き下がる訳にはいかない。

「こ、この家は、クラウス達の帰る場所なんだから……それを奪うなんて許さない!」
「はあ、クラウス……? 何言ってんだこのガキ。お前に何ができるって言うんだよ」
「あんた達が言ってた話、村の人達に話してやるから!」

 これで今度こそ村の人達も事実を受け入れて味方になってくれるのでは。現状を少しでも変えることができたら、きっと良い方向に――
 するとブタマスク達は顔を見合わせ、大袈裟に腹を抱えて笑い出した。微かな希望までも嘲笑うかのように。

「ああ可笑しい。お前みたいなガキの言葉、誰も信じる訳無いだろ?」

 地図を持つ手に力がこもり、くしゃりと音を立てた。こいつらは村をおかしくした張本人。真実を知っている数少ない人間として、なんとしても立ち向かわなければ。
 確かに何も持たない私だけど、心だけでも折るわけにはいかない。きっとクラウスだって、同じ気持ちで立ち向かっていくはずだから。
 私は震える足に力を込めると、下っ端の腹めがけて体当たりを仕掛けた。攻撃されるとは思わなかったのか、奴はよろめくと地面に尻餅をつく。
 勢いに任せて、私は頭や胸へ殴りつけていった。これは反抗の意思だ。この侵略者達を、一刻も早く追い出したい――その一心だった。
 しかし次に振り上げた拳が届くことはなかった。背後から襟首を掴まれたと思うと、軽々と持ち上げられてしまったのである。

「子供相手に不意を突かれるとは、私の部下ながら情けない」
「このっ……早く村から出て行ってよ! これ以上この村をおかしくしないで!」
「私達は忙しいんだ。子供は帰ってニンテンドーでもしていればいい」

 言い終わると同時に投げ出され、地面に全身を打ちつけてしまう。痛みに悶えていると、奴が荒々しく立ち上がり背負っていた銃に手を伸ばしていた。

「このガキ……! 痛い目に遭わないと分からないみたいだな!」
「武器を使うまでもあるまい。殴る程度でいいだろう」

 お許しが出たことで下っ端は今度こそ私ににじり寄ってきた。拳をすり合わせ、こちらを見下ろす姿は獲物を前に舌舐めずりする獣のよう。

「オレ達に楯突くとどうなるか、教えてやるよ!」

 振り下ろされた拳が迫ってくる。それは何故だか恐ろしく緩慢で、私は動けずにいた。このまま殴られたらどんなに痛いんだろう。
 やっぱり怖い。先程まであんなに自分を奮い立たせていたのに。この村を、リュカ達の家を守りたい一心で飛び出したはずなのに。
 それでも身体は動いてくれない。迫りくる恐怖に怯え、固く目を閉じたその時――

「そこで何をしている」

 閉ざした視界の中、耳が新たな声を拾った。いつまでも想像していた痛みがやって来ない。
 そっと瞼を上げると、緑のブタマスクの真後ろに声の主はいた。背格好は私と同じくらいで、声からして恐らく歳の近い男子だと思う。
 しかしこの少年も異質だということに気付く。頭から目元まで覆うヘルメットのような仮面。そして右腕には肘から先に砲台のようなものが付けられていた。
 謎の人物の登場に困惑する中、二人のブタマスクは慌てた様子で少年の前に跪く。この三人はどういった関係なのか。戸惑っていると、ブタマスクの一人が口を開いた。

「し、指揮官殿。制裁エリアの巡回をしていたところ、この子供に絡まれてしまいまして……」

 先ほどの威勢は何処へやら、ブタマスクの声は拙いものだった。"指揮官"と呼ばれた少年はこちらを一瞥したかと思うと、彼らの間を通り抜けて私の前に立つ。
 肌がひりつくような感覚。蛇に睨まれた蛙のように指一本動かすこともできない。少年は私を見つめていたかと思うと、さらに距離を縮めてきた。一体何をするのか全く読めず、硬直状態が続く。
 やがて互いの顔が触れ合うほど近くなったところで、彼の唇が小さく動いた。

――勝ち目が無いことなど、最初から解っていただろうに」

 それだけ告げると、少年は立ち上がり踵を返す。静観していたブタマスク達も彼に続くように走り去っていった。
 一人残された私は暫く呆然としていたものの、フリントさんの羊達に小突かれて我に返る。
 痛む腕を庇いながら立ち上がる間も、あの少年が最後に放った言葉が脳内で繰り返されていた。
 それだけじゃない。あの声も、懐かしさすら感じる匂いも、私は知っていた。まさか、もしかしたら彼は。

"――そんな訳、無いよね"

 心の中でもうひとりの私が否定する。あのクラウスだったら、ブタマスク達の悪事に加担するなんてことは絶対有り得ないはずだから。
 それでも胸のざわつきは収まることを知らず、夕焼けを見上げながら立ち尽くしていた。これから自分やリュカ達を待ち受ける運命も知らずに――

初のクラウス夢ですがクラウスとの絡みは少なめ。ちょっと切ねえ話です。




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