蒼は浸々と
「ゲッコウガっていいよね。忍者みたいな身のこなしとか格好いいし」
「分かる! 水の手裏剣とか身代わりの術に、後は"ちゃぶ台返し"からの最後の切り札!」
「トゥーン、"たたみがえし"だよ」
日曜日の昼下がり。前庭からは軽快な足音と共に賑やかな声が響いてくる。
今、ネス達の間では忍者ブームが巻き起こっているようで、先週みんなで観たアクション映画の影響を受けていることは明らかだった。
そんな訳で現在、子供達の注目を浴びているのが"しのびポケモン"のゲッコウガ。彼らの言う通り、乱闘では俊敏な動きで相手を翻弄しつつ、忍術のような妙技で攻めていく戦法を得意としているファイターだ。
話題の渦中にある彼は今、私が腰掛けるベンチの背後にある木の上。太い枝の上に座り、幹に背中を預ける形で静かに佇んでいた。
「今度忍術を教えてもらおうよ!」
「いいね。影分身の術とかできるようになったら楽しいだろうなあ」
「じゃあさ、これから街で忍び装束売ってる店探しに行かない?」
そんなやり取りを交わす声は少しずつ小さくなっていく。どうやら本当に衣装を買いに向かったらしい。彼らの行動力にはいつも手を焼かされてきたけど、今回ぐらいは多めに見てあげようか。
「これは当分の間人気者だね」
軽く見上げて言葉を送ってみれば、ゲッコウガの首に巻き付いている舌のマフラーが左右に揺れる。その動きからはどことなく嬉しさを感じられて、満更でもないと言わんばかりだ。
「……そういえばあの話、考えといてくれた?」
"あの話"とは、私と組んで更なる高みを目指す。つまり、仲間としてゲットさせてくれないかという打診のことだ。
かつて私は"この世界"に迷い込み、マスターハンドという存在と出会い彼の屋敷で暮らすことになった。そして住み込みで働く生活の中でポケモンという生物を知り、次第に興味を惹かれていった。
そんなある日――偶然ゲッコウガの試合を観戦した私は、初めて見る勇姿にすっかり心を奪われてしまったのである。彼は"スマッシュブラザーズ"の中では新参と聞いていたけど、歴戦のファイター達に引けを取らない強さと個性を秘めていた。
以降すっかり魅了されてしまった私は、このゲッコウガという存在をより深く理解したいと求めるように。それを切っ掛けにポケモンについて本格的に学び始め、レッドの出身地であるポケモンの世界に通っては相棒達と共に修行に明け暮れる日々をおくってきた。
その甲斐あって今ではカントー地方のジムバッジを全て揃えるまでに至り、トレーナーとして多少の自信は付いてきたと思う。きっと今の私の声なら聞き届けられるのではないか、という淡い期待を抱いていた。
「君が仲間になってくれたら心強いんだけどな。私のポケモン達も君と鍛練してみたいって、いつもおねだりしてくるんだよ」
しかしこの問いかけに返ってきたのは沈黙のみ。初めてこの話を持ちかけたのは二週間前。その時も彼は明確な答えを出してはくれなかった。
「せめて反応のひとつぐらいは頂戴よ」
思わず溜息がこぼれてしまう。そう簡単に頷いてくれるとは思っていなかったけれど。ふとゲッコウガの方に視線を向けてみると、そこには先程までいたはずの姿はなかった。今回もふられてしまったか、と軽く落胆する。
しかし生憎、私は諦めの悪い人間だ。いつか必ず彼と心を通わせて、本物のパートナーになってみせる。ここまで心を奪っておいて、逃げ続けようなんて絶対にさせないんだから。
我ながら随分と身勝手な理由だと思いつつも、彼への情熱は留まることを知らない。私が頑張ってこられたのはゲッコウガという目標があるからこそ。いつか彼の隣に並んでも恥ずかしくない女になりたい。
そして将来は彼にとって唯一無二の存在になりたい――と、ここまできたら最早"憧れ"ではなく"恋慕"じゃないか、と自嘲気味に笑ってみる。しかしそれと差し支えないぐらい、彼の存在は私の中に染み込んでいるのだから否定はしない。
「……私も、忍術教わってみようかな?」
なんとも冗談めいた台詞だけど、別の角度からアプローチするのも悪くはないかもしれない。一度でも立ち止まって振り向いてくれたら、今度は私が彼の心に染みついてやる――なんて思いながら、彼と同じ色をした空を仰いでみたのだった。
塩なゲッコウガさん。