アイク短編2

Morning glow

惚れた理由

「アイク、今日もお疲れ様。これ、いつものやつね」
「ああ、済まない」

 こめかみから滴る汗をタオルで拭いながら、恋人のナナシが持ってきてくれた差し入れを受けとる。彼女は付き合う前からもこうして鍛練している俺の所に来ては何かしら気遣ってくれていた。以前は"なんかアイクのこと、放っておけなくて"というのが口癖だったが、その視線は俺の全身をくまなく見つめている気がして居た堪れなかった。
 それでもほぼ毎日のように自身を気遣ってくれるナナシに不思議と嫌な気はせず、拒む理由もなく交流を深めていく内に彼女の内面が見えてきたことで少しずつ惹かれていた。次第にナナシの前でならありのままの姿を晒すことが出来るようになっていたし、彼女もそんな俺を受け入れてくれたのである。

「相変わらず凄い練習量だよね……筋肉痛になってたりしてない?」
「問題ない。休日の鍛錬は筋力を維持する為のものだって、お前も知ってるだろう」
「あっ、そうだよね。流石この肉体美……いや、実力を保ち続けてるだけのことはあるよ!」

 どこか含みのある笑みを浮かべながら見つめてくるナナシの視線には慣れつつあるものの、やはりこそばゆいものがある。俺は誤魔化すように受け取った飲み物を口に含んだ。

「……ん? 何だこれは。この味は初めてだな」
「気付いた? 最近街で流行ってるらしいんだけど、疲れが取れる上に気分を整えてくれるって評判なんだよ」
「確かに飲みやすいな。甘さはあるがしつこくはない」

 俺の感想に満足したのかナナシの表情はぱっと明るくなった。この実に分かりやすい性格のお陰で、特に気疲れすることもなく接することができる。

「でしょ! それにたんぱく質も程よく配合されてるから……筋トレにも最適なんだって」

 以前から薄々感じてはいたが、ナナシはやたら俺の筋肉について気遣ってくる。別に不快なものではないが、その手の話となると決まって彼女の瞳がうっとりと細められていくので分かりやすい。
 現に今もナナシは俺の二の腕辺りをじっくりと見つめていて、その頬は僅かに紅潮していた。一体俺の何が彼女を興奮させているのか――

「やっぱり、アイクの筋肉っていつ見ても……」
「俺の筋肉がどうした?」
「あっ、何でもないよ!」

 驚いた素振りを見せた後、ナナシはすぐに笑顔になった。一体何を言いかけたのか気になり、再度聞き直してみる。謎が残ったままでは気持ちが悪いし、この辺りではっきりさせるには良い機会だろう。俺は近くの壁にナナシを追い詰め、彼女の両側に手を着いて逃げ道を塞いでやった。

「何でもなくはないだろう、ナナシ」
「あ、あわわ……胸筋が、こんな近くにっ」

 慌てふためくナナシの視線は俺の顔ではなく、胸元に釘付けとなっていた。それが面白くない俺は彼女の顎に手を添えて強引に顔を上げさせた。

「しっかり俺を見ろ」
「は、はひ……腕の筋肉も、すごっ……」
「さっきは何を言いかけたんだ? はっきり言ってみろ」

 少し強めに問い詰めるとナナシは視線を泳がせていたが、観念したように口を開いた。

「じ、実は私……筋肉を見ると興奮しちゃって、所謂"筋肉フェチ"ってやつで……」
「つまり……お前は俺の中身じゃなく外見だけで惚れたということか?」

 そうであってほしくないのに、自然と口から声が溢れていた。彼女は目を見開くと今度は悲しげに歪ませて、何度も首を左右に振る。

「違うよ、そんな訳ない! 筋肉に惚れたのは本当だけど、もちろん中身も全部大好き。大食いなのも、ちょっと不器用なのも……全部アイクだから。それに例えこの先筋力が衰えたとしても、私は死ぬまで貴方の傍にいたい……!」

 突然放たれた熱烈な告白に今度はこちらがたじろいでしまう番だった。プロポーズにも似た想いを受けて顔に熱が広がっていくのを感じるも、それを止める術を知るはずもなく。戸惑う俺を他所にナナシは恐る恐るといった様子で、両腕を伸ばしてしがみついてきた。

「でもアイクの筋肉を愛でるのも私の生き甲斐だし……こんな私だけど、受け入れてくれる?」

 俺の胸板に顔を埋めながら放たれた声は微かに震えていた。馬鹿だな、そんなことは聞くまでもないだろう。俺はナナシの両脇に腕を差し入れ、そのまま勢いよく持ち上げてやると彼女は小さな悲鳴を漏らした。

「び、びっくりしたあ……!」
「悪い。こういうのは嫌か?」
「そんなことないよ、嬉しい」

 瞳を潤ませて微笑む姿につい見惚れてしまう。この笑顔を見るのは恋人である俺だけの特権だ。誰にも渡さない。下ろしたと同時に抱擁するとナナシも俺の背に腕を回してくれた。腕の中の温もりが心地よくて、このままずっと離したくなくなってしまう。
 俺よりも小さく柔らかな身体に触れる度に、彼女も一人の女なのだと改めて思い知らされる。戦いの中に身を投じてきた俺にとって恋愛など縁遠いものだとばかり思っていたが、人生とは何が起こるか分からないものだ。これから先どんな未来が訪れるのか分からないが、願わくば死ぬまで共に歩み続けたいと思える存在に出会えた喜びを感じていたかった――

筋肉フェチという属性持ちなので思い切りギャグに走るか甘い方に向かうかでかなり迷った。




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