リンク短編4

Morning glow

もうひとつの戦い

「ふう、いい汗かけたな」

 表彰エリアから控え室へと戻ってきたオレは、マスターソードを鞘に収めて一息つくと窓の外に目をやる。
 夏の頃に比べると日も短くなっていて、五時過ぎともなると木枠に囲われた景色は薄暗いものとなっていた――
 この日は気分が乗っていたこともあって、今日の分の試合はノルマ通りに終わらせた。オレがステージに登場する度に、周囲のファイター達が目を丸くして見つめてきたのを思い出して苦笑する。
 皆オレの普段の振る舞いを知っているから無理もないか。一緒に戦ったファルコからは「明日は槍でも降るんじゃないか」とまで言われる有様だ。
 とにかく、これでまた数日間は試合を抜け出すことができるだろう。明日は森か湖、どっちに行こうかなんて考えている時だった――

「あははっ! 何それ、笑っちゃうっ」

 オレの近くにある階段、その下の方から何やら楽しそうな笑い声が聞こえてきた。しかもよく聞くと、声はナナシのものに似ている。
 聞こえてきたセリフから察するに誰かと雑談をしているらしい。一体誰と何の話しているのか。少し気になったオレは、そっと踊り場の方を見下ろしてみた。

「ロイってば、よくそんな場面に出くわしたねえ」
「いや、まさかあんな光景が見られるとは思わなかったな」

 ナナシと会話をしていたのは赤髪の剣士ロイだった。二人共満面の笑みを湛えて楽しそうに、親しげに言葉を交わしあっていた。
 視界に映る光景を目の当たりにして、少なからず動揺する。ナナシが浮かべているそれは、普段オレに見せてくるものと同じ。
 そして、ロイの瞳が優しげに細められていることに気付く。――彼は今、何を思ってナナシと話しているんだろうか。胸の中に黒雲のようなものが広がってくるのを感じていた。
 この感覚の名前を、オレは知らずにいる。若しくは知っているのに、その意味を受け入れることから逃げているだけなのか。
 脳が正常に働いてくれず、まるで全身が鉛のようになった感覚に陥る。呆然と立ち尽くしていたその時だった。
 視線を感じたらしく、ナナシの顔がこちらに向けられた。オレの姿を認めた途端、彼女はまたも顔をほころばせて手を振ってくる。

「あ、リンクじゃん。お疲れ様」
「リンクも乱闘終わったところなんだ?」
「……ああ」

 ロイの問いかけに対してオレは小さく首肯することしかできなかった。すると二人は顔を見合わせて不思議そうに首を傾げる。
 どうやら今のオレの様子は不自然極まりないようだ。何とか誤魔化そうと口を開きかけたものの、結局何も言えなかった。
 またナナシが声をかけてこようとして、背を向けてその場を離れた。背後から呼び止めるような声がかけられたが、足を止めることはしなかった。
 廊下を早歩きで進んでいくうちに、少しずつ冷静さを取り戻していく。同時に先程の光景が思い起こされて、オレは再び自己嫌悪に陥った――

***

  あれから数日が経つ。鉛のような感覚は依然として心の底に居座ったままだ。今日もオレは湖畔に赴き、釣りをしている。
 こうしてウキに集中していれば、その間は余計なことを考えずに済むからだ。しかし、それでも頭の片隅にはあの日の光景がちらついていて離れることはなかった。
 ナナシが見せる笑顔というのは、オレだけに向けられるものじゃない。彼女は屋敷のみんなが好きだから、誰にでも分け隔てなく接しているだけだ。
 頭では理解していても、どうしても割り切ることができなかった。これまで彼女が他のファイター達と楽しそうに過ごしている姿を見たことはあっても、ここまで気にかかったことはなかった。
 ――そもそも、オレはナナシのことをどう思ってるんだろうか。今はあくまで同じ屋敷に住む仲間として付き合っているに過ぎない。それ以上でもそれ以下でもないはずだ。
 なのに何故こうも苛立ちのようなものが湧いてくるのか。ついその理由を追い求めようとしてしまう。

「竿、引いてるよ?」

 視界の外から聞こえてきた声に思わず体が強張る。声の主が誰かなんて、確認するまでもない。あんな素っ気ない態度を取ってしまった以上、どんな顔をすればいいのか分からない。
 まともに目を合わせることすらできずにいると、沈んでいたウキがぷっかりと浮いてきた。どうやらバレてしまったらしい。

「珍しいね。リンクが魚逃がしちゃうなんて」

 ナナシの溜息が聞こえてくる。確かに、オレらしくない。そんなことは自分自身が一番よくわかっている。
 しかしその原因はすぐそばにいるんだ。思わず彼女を睨みつけたくなる衝動に駆られたが、ぐっと堪える。
 落ち着け、ナナシは何も悪くない。変わってしまったのはオレの方だ。しかしこのまま無視を決め込んでいても仕方がない。意を決して口を開く。

「今日は休日だろ。こんなところまで来てどうしたんだよ」
「えっ、暇だったし……なんとなく湖に来たらリンクがいたから」

 彼女はきょとんとした表情を浮かべてオレを見つめている。ほんのりと困惑の色を浮かべながら。

「……オレに構わずそのまま散歩してればいいだろ」
「リンク……?」

 ――しまった。当たるつもりはないのに、言葉の端々に刺を含んでしまう自分に嫌気がさす。もしかしたら、今のは心の奥底に燻っていた声だったのかもしれない。
 再びナナシとロイが微笑みを交わし合う光景が蘇ってきて、胸が締め付けられるように痛む。いい加減にしてくれ。オレはナナシをどう思ってるんだよ。

「ごめん、オレもう行くから――
「待ってよ!」

 竿を片付けようとすると、突然強い力で腕を引っ張られる。振り向くと、彼女が眉を下げ不安げな面持ちでオレを見上げていた。

「……何かあったんでしょ?」
「別に、何でもない」
「そんなわけない! 絶対おかしいもん。だって最近のリンク……全然笑わない」

 か細い声で紡がれた言葉に思わず目を見開く。ナナシは何かと他人を心配しては気遣おうとする。いつもなら彼女のこういうところが好ましいと思うのに――今ではそれが辛くて仕方がない。
 ここで本当にナナシを振り払ってしまったら、二度と元の関係に戻ることはできないだろう。そんな予感がした。ではこの状況の中でどうあればいいというんだ。
 追い詰められるほどに必死に悩み、初めてナナシという存在がとても大きなものになっているのだと実感する。

「……何でだと思う?」
「そんなの、分かんないよ。リンクってば普段から何考えてるか分かんないところあるもん」
「何だよそれ。オレってそんなに難しい人間に見えるのか」
「というか、質問を質問で返さないでよっ」

 ナナシはむくれると唇を尖らせる。その顔がなんだか可笑しくて、オレの口元も少しだけ緩む。やがて彼女の仕草に愛しさを見出すと同時に、胸の中に一つの答えが浮かび上がる。
 今までもナナシと接していて仄かに感じてきたもの。他の誰とも共有したくない感情を、彼女に抱いていたことに気付く。

――ああ、そういうことだったのか。

 改めてナナシと一対一で向き合うことで、少しずつ自分の気持ちを整理することができた。やっぱり、いつまでも悩んでいるのは性に合わないな。
 オレにとってのナナシは一体なんなのか、ようやく答えを出せそうだ。今なら素直に打ち明けられるはず。

「この間のこと、覚えてる? 階段での」
「うん、あの夕方の時でしょ。急に機嫌悪くしてどっか行っちゃうから、あの後ロイも心配してたよ」

 ナナシの口からロイの名前を聞いても、もう動揺することはない。でも、ロイもきっとナナシに友人以上のものを抱いていると思う。
 今思えば、彼のあの目で何となく分かってしまう。ナナシに向けていた視線は、乱闘の時に見せるものとは違う熱がこもっていたから。
 しかし本当にそうだとしても、オレは引くことはしない。ロイには悪いけど――ここで一歩前進させてもらう。

「……ナナシがオレ以外の男と仲良くしてるのを見て、モヤッとした」
「えっ……それってさ、」
「多分、嫉妬したんだろうなって思う」

 ナナシの顔がみるみると紅潮していく。今にも湯気が出そうなほど真っ赤になったところで、ついに耐えきれなくなったのか両手で顔を覆った。
 その様子を見て、思わず笑いが込み上げる。本当に分かりやすい反応をするな。でも、そんなところも含めて可愛らしいのである。

「ちょっと、またからかってんでしょ!」
「どうかな」

 そう言ってナナシの手を取ると、驚いたのかビクりと肩が跳ねる。そのまま握り込むと、彼女は抵抗することなく繋がれた手を見つめていた。
 そのままナナシの手の甲にそっと触れるだけのキスを落とすと、彼女の手が熱を持ち汗ばんでいくのが伝わってくる。

「リ、ンク……!?」
「一応、オレの気持ちということで」
「っ……リンクのバカっ、バカーっ!」

 限界に達したらしく、ナナシは叫ぶとそのまま踵を返して走り去ってしまった。遠ざかっていく後ろ姿を眺めながら、小さく溜息をつく。今のは少々やり過ぎたかな。
 初心すぎる想い人に、強力なライバルの存在。どうやらオレの恋は前途多難らしい。それでも、オレは決して諦めるつもりはない。もうひとつの戦いが、密かに幕を開けようとしていた――

リンクは吹っ切れるのが早そう。




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