底知らず
「この湖すごく綺麗……! あっ、この雪山の景色も良いなあ」
「そこは"へブラ山"っていって、ハイラルの中で二番目に高い山。年中雪に覆われてるところなんだ」
今、私はリンクの装備品のひとつである"シーカーストーン"というアイテムに保存されている画像を見せてもらっているところ。正確には"ウツシエ"というらしいんだけど、私が元いた世界でいう写真とほぼ変わりないものだ。
やがて風景から動物や人物を中心としたものに切り替わっていく。旅の中で出会った人々。草原を駆ける野生馬の群れ。森の奥深くにいるという青白く輝く奇妙な生物。
突然不気味な魔物の顔が全面に写し出されたものを見た際には、思わず悲鳴が飛び出してしまう。そうすればリンクは悪戯に成功した子供のように口角を上げるのだった。
「面白いほど驚いてくれたな」
「いきなりあんなの出てきたら誰だって驚くでしょうが……ッ!」
気を取り直してリンクの解説を聞きながら次々とページを開いていく。しかしある一枚のウツシエを見た時――私の指は止まった。
いや、正しくは動かせなかったのである。何故ならそこに写し出されていた一人の女性に見蕩れてしまったから。その人は砂漠の景色を背景に、鮮やかな水色の民族衣装に身を包んでいた。
背後の砂丘に混ざることのない輝かしい金髪。一切の無駄がなく引き締まった身体。青く美しい瞳は柔らかに細められて、穏やかそうな印象を受けた。布で口元が隠れているものの、雰囲気だけで美人だというのが伝わってくる。
この女性もリンクの知り合いなんだろうか。もしかしたら、とても親しい仲なのでは。いつまでも私の反応がないことに気付いたのか、リンクが横から顔を覗き込んできた。
「ん、どうしたんだ?」
「いや……綺麗な人だなって。この人もリンクの知り合い?」
リンクに視線を合わせることなどできず、俯いたまま問いかけてみる。私は彼の恋人ではなく友人の一人でしかないのに――それでも胸の中では醜い欠片が顔を見せ始めていた。
こんなことは認めたくないのに、否定もできない自分はどこまでも愚かだ。これではまるで、私がリンクに恋をしているみたいじゃないか。
ただ、彼という存在があまりにも眩しいから。私とは正反対の存在だから。憧れとして意識しているだけ。そうに決まっている。
しかし引きずり出された熱を抑え込もうとしたところで、もう誤魔化すことはできない。一度気付いてしまったら、もう止められなかった。
だからこそ今はリンクの顔を見ることができない。眩い光から目を逸らすかの如く、真っ直ぐに向き合うことを拒んでいる。
ああ、どうしてこうなったんだろう。昨日までの自分が別人のように感じられて、胸の中がかき乱されていく。そんな私の心情とは真逆に、何故だかリンクは口元の笑みを深めていた。
「まあ、オレにとって大事な存在かな」
「やっぱり……だよね。この人とリンク、お似合いだと……思うし」
「へえ、ナナシにはそう見える?」
「そりゃあ、こんなに綺麗な人だし……今まで出会った誰よりも美人かも」
「そうか、そこまで言ってくれるんだ」
それはもう。こんなに美しい人、滅多にお目にかかれないと思うから。力なく頷いて見せると、突然ガッツポーズを取るリンク。その動きが意味するものを掴めないまま呆気にとられる私。
すると彼は懐からハンカチを取り出し、自身の口元を隠して見せた。青い瞳は半月を描くように細められていて、このシーカーストーンに映し出されている女性と瓜二つ――まさか、この女性は。
「やっと気付いた? その写ってるの、オレだよ」
「は、えっ、えぇぇぇ――!?」
とんでもない種明かしに顎が外れそうになる。私は目の前のリンクとウツシエを何度も見比べた。
確かに背丈や目の色、鼻立ちはほぼ一致していると思う。女物の衣服を着ているから気付かなかったものの、よく見れば骨格や筋肉の付き方はれっきとした男性のもので。
「まさか、そういうこと……? な、なんで、女装とかして……!?」
「確かこの時は男子禁制の街に入る必要があって、仕方なくってとこ。でも何でか結構ウケが良くて、記念に一枚残してあったんだよな」
あっけらかんと言い放つリンクを前に頭を抱えるしかなかった。こんな衝撃的な事実を知らされて、どう処理しろというのか。
普段から美青年っぷりを遺憾なく発揮しているというのに、女装をしてもここまで気品ある美しさを醸し出すとは恐ろしい男だ。反則にも程があるだろう。
「にしても、"今まで出会った誰よりも"か。嬉しいこと言ってくれるな」
不意に放たれた言葉に胸が高鳴り、頬が熱くなる。リンクはどういった意図で喜びを表しているんだろう。
そこには決して他意はないはずだと思っていても、彼の言葉にはどこか期待させるような響きが含まれていた。自惚れるな、勘違いするな、と心の中で何度唱えてみても鼓動が速まるばかりで。
「そ、それは、言葉の綾というか……!」
「じゃあさっきのは嘘だっていうのか?」
ずい、と顔を寄せられて更に動揺してしまう。リンクへの想いが顔を覗かせている今、これ以上近付かれたら心臓がどうにかなってしまう。
とにかく距離を置こうと後退りを試みるものの、素早く腕を掴まれて逃げられない。そしてそのまま引き寄せられると腕の中に閉じ込められてしまった。
「取り消さないでよ。さっきは本当に嬉しかったんだ」
耳元へと囁かれた言葉はどこまでも甘くて、脳髄まで溶かしていくようで。ああ、駄目だ。これは本当にまずい。
密着する身体からは体温が伝わってきて、背中に回された腕は逞しくも優しい。少しでも身動ぎすれば互いの心音が聞こえてきそうで、それが余計に羞恥を煽るのである。
何か言わなければ、と考えても言葉が出てこない。どうしよう、どうすれば。もがけばもがくほど私の心は彼に溺れていく。
――いや、このまま沈んでしまえば楽になれるじゃないか。追い詰められた末にそんな考えが頭を過った瞬間、私の腕は彼の背に回っていた。
「……少し訂正させて。リンクは、今まで出会った中で一番素敵な人だよ」
言ってしまった。恥ずかしさのあまり逃げ出したくなる衝動に駆られたものの、なんとか堪えることができたのは彼に抱き締められているお陰かもしれない。
「本当、君っていう人は……」
頭上から降ってくる声は柔らかなもの。顔を上げれば真剣みを帯びた鋭い瞳と目が合った。もう逸らすことも忘れ、吸い込まれるように見つめ合う。
しかしそれも束の間、彼は表情を緩めると私の手からシーカーストーンを取り上げ、隣に並ぶように促してくる。
「一緒に撮ろうよ。オレとナナシの両想い記念ってことで」
「りょ、両想い記念!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。私はこの一日でどれだけ驚いただろうか。固まる私を他所に、リンクは肩に手を添えてきた。
我に帰った時には既にシーカーストーンのレンズらしき部分が向けられていて、独特のシャッター音が鳴り響く。
そこに映し出されていたのは――満面の笑顔を浮かべるリンクと呆けた顔をしている私。
彼はどこか嬉しそうに画面を見つめていて、私はというとこの急展開に思考が追いついていない。
「このナナシの顔、最高」
「だ、誰のせいで!」
不意打ちなんてあんまりだ。しかし文句を言おうとした唇は、リンクのものによって塞がれてしまった。
ああ、本当に狡い。文句の代わりに出たのは吐息だけで、火照る頬を隠す術もなく。そんな私とは対照的に余裕綽々といった様子の彼は、もう一度唇を重ねてくるのだった。
悔しいけどこれが本当に心地良いもので。こうして私は心のままに、際限なく彼の中に沈んでいく――。
Realの方で上げてたネタより。初女装した時のリンクの照れる仕草がかわいいです。