悶々勇者
午前中に入っていた試合を消化したオレは、恋人のナナシとロビーで寛いでいるところだ。この日彼女のシフトは休みで、いつもの見慣れた作業着ではなくラフな私服に身を包んでいる。
気楽なはずの休日。しかし今のナナシはやたらと不機嫌そうだった。何かあったのかと聞いても"別に何もないよ"の一言で流されてしまう。その割には難しそうな顔をしているのだから、恋人であるオレとしては非常に落ち着かないのだ。
「なあ、やっぱり何か抱えてるんだろ? オレにできることなら何でも言ってくれよ」
「だから、本当に大したことないんだって。リンクは心配し過ぎ」
そういうナナシの眉間には今も皺が寄っていて、明らかな矛盾を生み出していた。こうしてみると、彼女はとことんポーカーフェイスには向いてない性格だと思う。オレとしては分かりやすくてある意味助かるんだけどな。
「そんな顔見たら絶対何かあるって思うだろ。オレもナナシの力になりたいんだよ」
なんとか核心に踏み込もうとするが、ナナシは眉をひそめて口をもごもごとさせるだけ。やはり簡単に答えてくれるつもりはないらしい。しかしオレこそ引くつもりはない。別の方向からアプローチを試みるべく、そっと彼女の手を取り包み込んでやる。
「恋人の心配をするのは当たり前だろ?」
「それは、そうかもしれないけど……っ」
「だから、もし何か悩みがあるならオレに話してくれないか? ナナシの力になりたいんだ。それともオレが頼りなく見える?」
「……ああもうっ、分かったからそんな子犬みたいな顔しないで!」
こちらの熱意が伝わったようで、ナナシはほんのりと頬を染めるとため息混じりに頷いてくれた。オレは喜び勇んで彼女に詰め寄ると、少しでも気を抜いて欲しくてその肩に軽く手を添える。一体、何故それ程に思い悩んでいるのか。
「それで、どうしてそんな険しい顔してるんだ?」
「えっと……つ、詰まったの」
「詰まった、って何が」
「だから、は、歯に……さっき食べたナッツが詰まって取れないの! 恥ずかしいんだから言わせないで!」
予想外もいいところだ。まさかそんな些細な理由だなんて思いもしなかった。あの不機嫌に見えた表情も、ナッツの欠片と格闘していたことによるものだったと。
オレはというと張っていた肩をがくんと落としていた。さっきまでの緊張感は何だったんだ。言うほど恥ずかしい内容でもないと思うけど――しかしまあ、ナナシらしくて笑みがこぼれる。
それにしても今の彼女はあたふたと必死に取り繕うとしていて実に可愛らしく、できることならもう少し眺めていたい。だけどここはひとつ、彼氏として手を差しのべるべきではないだろうか。
「よし、そうと分かればオレが取ってあげる。目を閉じてじっとして……」
「へ……っ、な、何する気!?」
「何って、オレが代わりに取ってやろうかと」
「余計恥ずかしいわっ!!」
近付けた顔はナナシのファイター顔負けな突っ張りによって迎撃されてしまい、流れに任せてキスしてやろうという目論見は呆気なく崩れ去る。
「残念、せっかくチャンスだと思ったのに」
「何のチャンスだよ! もう、部屋に戻って取るから!」
「えっ、オレと部屋で二人きりになりたいって?」
「んなこと言ってない! どんだけご都合解釈だっ!」
さらに追撃をかけようとしたオレの顔を彼女はぐにぐにと押し退けてくる。これ以上は流石に本気で怒られかねないので、大人しく引き下がることにした。駆け足気味でロビーを出ようとする彼女。廊下に差し掛かると突然足を止め、おずおずとこちらに振り向く。
「すぐ戻ってくるから……何処にも行かないで待っててよね!」
「大丈夫だよ。ナナシの為なら……オレはずっと待ってる」
「ちょっ……そうやって私をからかうなバカ! 好き!」
頬に熱の色を宿しつつ叫ぶように言い放つと、今度こそロビーを出て行ったナナシ。その姿が見えなくなると同時にオレは片手で顔を覆っていた。ふざけて放ったセリフは強烈なカウンターによって、見事に心臓を打ち抜いてきたのである。
いつもは強気で意地っ張りなナナシ。中々素直に甘えてこないくせに、オレが少しでも迫っていくと途端に照れだす姿はなんとも愛らしい。だけど、オレだって君の思いがけない言動にいつも心を揺さぶられている――それに気付いているんだろうか。
さて、やられたままっていうのは性に合わない。ナナシが戻ってきたら今度はどの手で仕掛けてやろうか。さっきのリベンジがてら、不意打ちでキスなんてのもいいかもしれない。そんなことを考えながらオレは火照る頬をそのままに、彼女が戻ってくるのを心待ちにするのだった――。
とある日常の切り抜き的な。