リュカ短編6

Morning glow

陰となり日向となり

 僕は子供の頃からナナシのことが好きだ。幼い頃、母と兄を喪い崩れそうな僕を何度も支えようとしてくれていた彼女は――正に"陽光"のような存在だった。
 二十歳となった今も変わらず想いを寄せているものの、僕達の関係は平行線のまま。僕には踏み込む余地がなかった。
 何故ならナナシは、フエルのことを好いていたから。それを知ったのは僕が彼女に想いを打ち明けようと決意した翌日――十八歳となった二年前の誕生日のことだった。
 二人きりになるため浜辺に連れ出そうと、ナナシに声をかけたあの朝。こちらが言葉を発するより先に、彼女は"前から言いたかったことがある"と呟いた。
 頬を赤らめて恥じらうような姿に、魅了されると同時に期待というものも高まっていく。
 そして、その愛らしい唇から告げられたのは――昔からフエルに好意を抱いていたという衝撃的な事実。

「いつまで経っても告白する勇気が出なくて。こうやって打ち明けられる人、フエルと仲の良い男性だとリュカだけで……」
「そう、なんだ」

 返事をしている間も僕の頭の中は真っ白になっていて、頬を抑えて微笑む彼女の顔をただ見つめていた。
 きっと僕と会話をしている今も、心の中にはフエルの姿が浮かんでいるんだろう。その笑顔だって、目の前の僕に向けられたものではない。紅潮している彼女の頬が、そう教えている。

「それでね、良ければ……たまに相談に乗ってもらえたら嬉しいな、って」
「ああ、分かった。いつでもいいよ」
「ありがとう、リュカ……!」

 僕の声は恐ろしく抑揚のないものだった。それに気付かないナナシは安心したみたいで、胸をなでおろす。
 こうして僕は、ナナシの恋愛相談の相手として"役割"を請け負うことになった――

***

 そうして二十歳の今に至る。ナナシはというと昔から奥手な所は変わらず、この二年でフエルとの間に大きな進展は見受けられなかった。
 僕に来る相談の内容も"笑顔を交わせたけど、その先どう繋げれば良かったか"とか、"この前よりも長い時間会話ができた。それだけで満たされる"といったものばかりで。
 聞いている立場としては、彼女がいつまでも足踏みをしているように見えた。だからだろうか、次第に苛立ちを募らせていくようになったのは。

"――ああ、何を尻込みしてるんだ。好きなら想いを打ち明ければいいじゃないか。早く、僕に諦めつけさせてくれよ。"

 フエルとは幼い頃から付き合いが深く、彼が身も心も男らしく成長してきたのを近くで感じてきた。
 父親思いで、働き者で、誰にでも物腰柔らかに接する姿。今は父のライタさんの後を継いで大工の親方となり、村を支えている縁の下の力持ち。僕にとっても自慢の友人だ。

 だから、ナナシが彼に惚れたとしても何も不思議じゃなかった。
 だから、心から応援するため彼女の悩みを受け止めようと努めた。
 だけど、肝心のナナシが中々踏み込まずにいることに――微かな希望を膨らませていたのも事実。

 淡く醜い期待を寄せている自分に嫌気がさして、いつしか自己嫌悪するようになっていた。
 ――そうして半月が経つ。ナナシが相談してくる頻度は日に日に落ちていき、僕と顔を合わせる機会も減っていった。
 そんなとある夏の日。タツマイリ村では今、毎年恒例の夏祭りの準備が進められている。僕も自分の仕事の間に屋台の設営や備品の運搬などで駆け回っていた。
 夕方になり作業を終えた僕は、なんとなく西の方角に靴先が向く。家に帰る前に潮風を感じながら休憩するのも悪くないか。
 やがてオオウロコ海岸に着くと、砂浜に見覚えのある後ろ姿があった。黒髪を風に靡かせ、座り込んでいたのはナナシ。
 一人でどうしたんだろうか。そっと側に寄ってみても彼女は気付く様子はない。ただ虚ろな瞳で、橙色に染まる空と海を見つめているだけ。
 声をかけていいものか迷っていると、ふいにその顔を僕の方に向けてきた。たった今存在に気付いたといった様子で、目を丸くしている。

「……リュカも、仕事終わった所だったの」
「うん。それよりどうしたのさ、こんな所に一人で」
「ちょっと、考え事したい気分だったから」

 ナナシが無理をして微笑んでいるのが伝わってくる。それを裏付けるかのように、彼女は大きなため息をついた。

「フエルに振られちゃった」

 波音に混ざるように響いたのは、思ってもいなかった言葉。僕の体も、思考も停止してしまう。返答できずにいると、ナナシは静かに続ける。
 ――時は少し前、今日の作業が終わった頃。ナナシはフエルを呼び出し、遂に告白をしたという。しかし彼から告げられた答えは"気持ちは嬉しいが、受け止められない"というもの。
 実はフエルには子供の頃から想いを寄せている人がいた。その女性とはパン屋の看板娘、アンジーのことだった。
 昔カロリーヌさんの元でお手伝いをしていた頃、共に働いていく内に心惹かれていったのが始まりだと。

「なんだか、昔からそんな気はしてたんだ。分かってても、どうしてもこの熱を振り切れなくて、もしかしたら……っていう希望も持ってて」

 そう言って、ナナシは自嘲するかのような笑みを浮かべた。その姿が僕の心を締め付けてくる。今の彼女の姿が、あの時の僕と重なって見えたからかもしれない。

「だから、いい加減自分自身に整理をつけたかった。最後に告白することで、すっぱり諦めようと思ったんだ。これで……ようやく終わった。振り切れたと、思う」

 長い苦悩の末、ナナシは断ち切ることを選んだ。その決意の重さが痛いほどに伝ってくる。こうして話している間、彼女の声が微かに震えていたから。

「ここ最近リュカの所に行かなかったのも、これ以上甘えないように抑えてたから……せめて最後は自分の力だけで終わらせたくて。長いこと……諦めの悪い片思いに巻き込んで、ごめんね」

 ”理屈”は道筋を通すために頭で受け入れるもの。"本能"は縛られることなく思うまま心に映すもの。その齟齬はいずれ"葛藤"となって自身を苛んでいく。
 そしてそれは何事であれ切り離せないということを、僕もナナシも痛いほど理解していた。僕達は、形こそ違えど似た者同士であった。

「謝らないでよ……辛い時はいつでも頼ってくれていいんだ」
「そんなこと言われたらさ……また甘えそうになっちゃうよ。リュカに何も返せてないのに、これ以上頼ったら駄目なんだって、」
「ナナシこそ子供の頃から僕を支えてくれてたじゃないか。君の助けになりたいっていう気持ち、それだけでも受け止めてくれないかな」
「……リュカぁ、本当に、ありが、と……うっ、」

 段々と声を詰まらせていくナナシ。遂に雫は涙として溢れていく。振り切れたなんて、本当は嘘だ。でなければこれほど泣きじゃくることもない。
 ここまで深く想われていたフエルが、とても羨ましくて堪らない。そんな彼もきっと、ナナシから受けていたものと同じく深い恋情をアンジーに向けているだろう。
 そして、僕がナナシに抱いてきた想いだって誰よりも強いはずだ――

「リュカ……?」
「そのまま、思いっきり泣いて」

 気付いた時にはナナシを抱き寄せていた。小さな頃、僕が泣く度に彼女はこうして慰めてくれたんだ。
 あの頃と違って、今では身長差は逆転しているけど。僕よりも小さな体は腕の中に収まり、少しすると胸元から再び嗚咽が聞こえ始める。
 宥めるように肩や頭を撫でていると、彼女はより身体を寄せてきた。今はこうして悲しみの拠り所にしかなれないけど、いつかは彼女にとっての"太陽"になりたい。
 そう願いを込めて、僕は愛しい人の温もりを感じていた――

***

 あれから一週間後。準備も整い、夏祭りは無事開催された。屋台の立ち並ぶ通りからは活気のある声が溢れていて、この暑さすら吹き飛ばすような勢いだ。
 そして僕は今、ナナシと一緒に屋台を巡っていた。まだ幼馴染の友人として、だけど僕にとっては大きな進展。
 周りを眺めながら歩いていると、前方にフエルとアンジーの姿が見えた。二人は寄り添っていて、誰が見ても"良い雰囲気”を醸し出している。
 すぐナナシの方に視線を向けると、やはり彼女も二人に気付いていたらしい。その瞳はほんのりと細められていた。
 それは僅かな未練を断ち切れずにいる心の表れ。無理もないのは分かっていても、僕としては切なくて苦しい。
 ナナシの表情を見ていられなくなり、僕は彼女の手を引くとフエル達とは反対方向に歩き出す。
 突然のことに背後から戸惑いの声が上がるも、構わずに人ごみを掻き分けていく。やがて村の門をくぐり、辿り着いたのはオオウロコ海岸。
 砂浜に降りるとそこで手を離す。夕陽が海面に反射して煌めいており、ナナシは眩しそうに俯いた。

「急にどうしたの、リュカ……」
「ナナシ……僕、もう限界だ」
「え、何が――

 そこまで言いかけたところで、僕は彼女を抱きしめる。驚いて固まっているのか、抵抗は感じられなかった。
 耳が赤く染まっているのが分かるくらいに密着し、心臓の音すら伝わってしまいそうだ。もう自分で押さえ込むには辛すぎる、膨張してしまった想い。
 以前ナナシは"自分の気持ちに整理をつけるため、フエルに告白をした"と言っていた。それなら僕にも、彼女に想いを伝えることを許してはくれないだろうか。

「……ねえナナシ。僕じゃ、駄目かな」

 子供の頃から好意を寄せていたこと。ナナシの恋心を聞き入れ、その上で応援しようと決めていたこと。
 それでも想いを振り切れずにいたこと。今まで一人で溜め込んできたものを、全て曝け出していった。

「弱っているナナシにこんな話をするのは卑怯だって、自分でも分かってる。だけど、もう抑えられない」
「ごめん。私、まだ答えを出せないよ……」
「分かってる。君の気持ちが落ち着いてから、今後ゆっくり考えてくれたら……嬉しい」

 僕の言葉にナナシは目を見開くと、小さく頷いてくれた。明るい兆しともいえるその姿は、僕の心に陽の光をもたらす。
 今は返事が貰えずとも、いつかナナシが振り向いてくれるよう自分を磨いていこう。そう決意すると、再び彼女の手を取る。

「そういえば屋台を回ってた途中だったね」
「え、うん。お腹すいちゃった……たこ焼きとか、食べたいかな」
「了解。いきなり連れ出したお詫びに奢らせてよ」

 気付けば夕日はほぼ沈み、明かりのない浜辺一帯は薄暗くなっていた。村の方角を見れば、色とりどりの華やかな明かりが煌々と輝いている。
 その鮮やかな光も、今の僕には前途を照らす道標のように感じられた――

 大人ネス夢は色々と書いてきましたが、大人リュカでも書いてみたいという意欲が突然湧き上がり、勢いに乗せて書きました。
 一応闇のドラゴンを呼び起こしリセットされた後の未来という世界線ですが、原作で既に亡くなっている人物達は復活していません。




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