憧れ、奮い立つ
ここ二週間ほど前からか、妙な視線を感じるようになった。それは屋敷で過ごしている時に限られるが、裏庭での鍛練の際には特に強く感じるのである。
敵意を含むものではないが、どこか熱のようなものをひたすらに向けてくるのだ。意図が掴めないが、私としては行動の妨げにならなければいい――。
こうした状況が一週間近く続いた頃、私宛に届いた一通の手紙。差出人はこの屋敷に仕える使用人の少女だ。前から私に声をかけたくとも勇気が出せず、それでも伝えたい思いをしたためたのだという。
綴られていたのは私への憧れの意と、弱い自分を変えたいという願い。そして特に目を惹いたのは、この少女も剣術に興味があるという部分だ。
最後の行には、私から指導を受けたいという旨も書かれていた。よく見ると所々文字が震えていて、この一枚を書くにも相当の勇気を振り絞ったのだろうということを窺わせる。
"一度だけなら、構わないか"。私は自分の中でそう結論付けると、少女に会うことを決めた。
***
「お、お忙しい中時間を割いてくださり、本当にありがとうございます。私は、ナナシと申します」
少女は小さな声で感謝の言葉と共に自身の名を名乗ると、深々と頭を下げてきた。手紙の文章から受けた印象通りの、内気で大人しい性格の人物であるようだ。
「手紙には剣術の稽古をつけてほしいとあったが、本当に私でいいのか?」
「はい……! 私はずっと前から貴方に憧れていましたから……光栄です!」
これはまた大袈裟なものだが、内心では悪い気はしない。毎日のように向けられていた視線のことについては、理由が分かった今追及する必要はないだろう。まずは基本から始めるべく、ナナシに指示を出す。
「早速だが、一回構えてみせろ。基礎である姿勢から見てやる」
ナナシは背中に背負っていた細長い袋を下ろすと、中から一本の竹刀を取り出した。手紙には、理想の強さに近付く為に買った物だと書いてあったな。
「は、はいっ。よろしくお願いします……!」
ナナシは私の指示に素直に従うと、竹刀を正眼に構えてみせた。柄の握りや足の置き方に多少粗さはあるものの、武具を手にして間もないことを考慮すれば及第点といったところか。
「ふむ……次は試しに一撃打ち込んで来い」
「えっ、あ、貴方に……ですかっ?」
「当然だ。何を躊躇う必要がある?」
淡々と返せば、ナナシは途端に狼狽えだした。竹刀を握る手は微かに震え、視線も揺らいでいる。
ここからが肝心な所で、彼女の心の内を測れる瞬間だというのに。私はナナシの目を真っ直ぐに見つめ、静かに口を開いた。
「ひとつ聞くが、お前は"強くなるため"にその竹刀を手に取ったんじゃないのか?」
「それは……そう、ですが……いざこうしてみたら、急に怖くなって、」
ナナシはか細い声を漏らし、竹刀を構えていた腕を下ろして俯く。それは彼女が追い求めているはずの未来に背を向けているも同然。そんな姿を見せたところで、私は甘やかすつもりはない。
「動機がどうであれ、武器を手にしたのなら相応の覚悟を持つべきだ。そこから踏み込めないのならこの時間に意味はない。私はただの遊びに付き合っている暇などないからな」
そう言い放つとナナシは弾かれたように顔を上げたが、その目は既に潤んでいた。あらゆる感情が混ざり合った雫が、黒の瞳に溜まっていく。しかしこの場で泣いて何になる。私は構わず言葉を続けた。
「文字を震わせながら書き上げた手紙。自ら選んで手にしたその竹刀。それらに込めたというお前の思いは全て偽りか?」
「……違います! 私は本気です!」
私の問いかけに目を見開いた瞬間――ナナシは大きく息を吸うと声を張り上げた。遂に溢れた涙をそのままに、真っ直ぐに私を見据えている。先程までとは別人のような面構え。なるほど、良い顔をするじゃないか。
「私は……っ、弱気な自分を変えるために……貴方みたいな、堂々とした強さを持った人間になりたいんです!」
振り絞ったであろう声は、まだ微かに震えていた。しかしその言葉に込められた意思を、私は今度こそ受け取ったのである。見るからに気弱で頼りない、武器を手にして間もない少女の、小さくとも確かな覚悟を。
「ならば、その思いを竹刀に込めて打ち込んでくるがいい。私が全て受け止めてやる」
「は、はい……っ! 行きます!」
ナナシが本気でかかってきた時から真の鍛練は始まる。彼女は涙で濡れた顔を拭うと、竹刀を構え直して力強く踏み込んで来た。ハリのある掛け声と共に、思いが詰まった一撃が私に向かってくる。こちらも全てを受け止めるべく、愛剣"ギャラクシア"の鞘に手を掛けた――。
***
「今日はここまでにする」
「はあ、はぁっ……ありがとうございました……!」
日が傾き掛けた頃、ナナシは深々と頭を下げて礼を言う。その表情には流れる汗と共に晴れやかな笑みも浮かんでいた。
「あの、また……こうして、稽古をつけてもらってもいいですか?」
「構わないが、今後は更に厳しいぞ」
「はい、覚悟の、上です……!」
ナナシは息を整えながらも迷いのない眼差しを向けてくる。それは彼女が今日の鍛練で見せた、確かな成長の証。剣の腕はまだまだだが、光るものを随所に感じた。ここで見出した長所は潰さないよう上手く伸ばし、課題となる部分を叩き直せば伸び代は充分にあるだろう。
「また来週、此処に来るといい」
「はい、よろしくお願いします……"師匠"」
ナナシははにかむような笑顔を見せ、もう一度頭を下げると覚束ない足取りで屋敷の中へと消えていく。おそらく疲労だけでなく、緊張の糸が切れたことによるものだろう。その後ろ姿を見送りながら、私は胸の奥でどこかむず痒さを感じていた。
「……"師匠"、か」
"一度だけなら"と考えていたものの、いつの間にか私の方がのめり込んでいたらしい。ナナシは私の教えを真剣に受け止め、それに応えられるだけの素質も見受けられた。
そして何より――必死に向かってきた彼女の瞳に宿る、炎のような揺らめきにあてられたからというのもある。"これは育て甲斐があるな"と、思わず仮面の裏で口角を上げた。
性格はアニメの方に寄せたつもり…です。