ネス短編1

Morning glow

ある夏の日の僕らは

 とある真夏の午後。厳しく照りつける太陽の下、僕とナナシはマスターに頼まれた買い物を終えて帰る途中公園で一休みすることにした。丁度木陰のベンチが空いていたから、二人でラッキーなんて呟きながらすぐに腰掛ける。
 おまけに横には自販機まであって、僕達は適当に水を買って喉に流し込む。ナナシは相当喉が渇いていたのか、二本目まで買って飲み始めていた。

「本当あっついわ。こういう日に限ってマスターも色々頼んでくるんだから……」

 ナナシはマスターへの愚痴を零しながら、再びペットボトルの水を火照った身体に取り入れていく。僕は適当に相槌を打ちながら、水を飲んでいるナナシを見つめる。

――今のナナシを笑わせたら、どうなるかなあ。

 今までも何度か思ったりしたことはあったけど、実行に移したことはない。でも、何故だか今日はやってみたくなった。なんとなくだけど。
 そんな僕の考えも知らずにナナシは黙々と水分補給をしている。なんか今のナナシ、面白い顔になってるな。弄りたいけど怒られたくはない。でも、触れたい。
 微かな躊躇いを振り払って、僕はそっと立ち上がるとナナシの背後に回り込み、脇腹に手を当ててみた。

「んうっ!? ぶふぅ――っ!!」

 突然敏感な部分に触れられ、ナナシは噴水顔負けの勢いで噴き出した。その様はさながら砲台の如く。
 吹き出た水は見事な放物線を描きながら虹を生み出し、落ちていくと土に染み込んでいく。
 その光景を見た僕も堪えきれずに噴いてしまった。思わず声を上げて笑うと、ナナシは振り向き鋭く睨んできた。

「ねぇ! 急に何すんの!?」
「ごめんごめん、今の顔面白かったからつい……くく……あっははは!」
「何それ……! もう許さない!」

 怒鳴ると同時にナナシはペットボトルの蓋を締め、中身の残っているそれを僕の頭めがけて振り下ろしてきた。

「おっと、」

 僕はそれを軽くかわし、ナナシから距離を取った。彼女はむきになったのか、また殴りかかってくる。それからしばらくの間、炎天下の中での追いかけっこが続いた――

「避けるな!」
「はははっ、悪かったって!」
「ダメ! 一発入れないと気が済まない!」

 ナナシは息を切らせながらも僕に向かってくる。いい加減疲れてきた僕は、避けたり受け止めたりするのをやめて立ち止まった。

「本当に悪かったから、許してよ……ぶふっ」
「はあ、はぁっ……そんなこと言いながらまだ笑ってるじゃん!」

 水を吹き出すナナシの姿を思い出すだけで再び笑ってしまう。その様子を見てさらに怒りを燃やしたナナシは、今度こそペットボトルを僕の頭にヒットさせた。

「あたっ」
「本当はもう一回叩きたいところだけど、一回で許してあげる」

 僕は叩かれた箇所をさすりながら、少し涙目になっていた。笑いすぎてまだ腹が苦しい。ナナシを見ると、彼女は汗だくになりながら肩で呼吸をしている。僕達はベンチに戻ると、どかりと腰を下ろした。
 よく考えたらこの暑い中、走り回るとか正気の沙汰じゃないな。ナナシは額に張り付いた前髪を手で払うと、ため息交じりに呟いた。

「私が水噴くところ、そんなに面白かった?」
「うん、凄く」

 即答した。だって本当に面白かったんだから仕方ない。するとナナシは再び膨れっ面になり、ペットボトルを握り締めた。怒りを表すかのように、彼女の手の中でパキパキと乾いた音を立てる。

「やっぱもう一回叩かせて」
「勘弁してよ」

 ナナシの手からペットボトルを奪い取ると、キャップを開けて中身を全部飲み干す。これで叩かれることはないな。安心していると、今度は頬を軽くつねられた。
 驚いて横を見るとナナシの顔がすぐ目の前にあり、ばっちりと視線がかち合った。しかし目が合うとすぐに逸らされる。そして小さく一言。

「……ネスの目、綺麗だね」
「え? 急になんだよ……」

 予想外の言葉に戸惑うと、ナナシは照れた様子で俯いた。彼女はいつもこう。時々こんな風に突拍子もないことを言うことがあるけど、そういう時は決まって顔が赤いんだ。
 彼女の考えていることはよく分からないけれど、その仕草には僕の心を惹きつける"何か"が秘められている。

「いや、なんとなくねー。気にしないで」

 彼女は軽く背伸びをすると空になったペットボトルをゴミ箱に投げ込み、ぱんぱんに膨らんだ買い物袋を持って立ち上がった。

「そろそろ屋敷に帰ってさ、クーラーの効いた部屋で涼もうよ。ネスが変なことしてきたせいで余計に汗かいたし」
「え、ああ。そうだね」

 僕も立ち上がると残った荷物を持ってナナシと一緒に歩き出した――

***

 街を抜けるとやがて人気のない河川敷沿いの道に差し掛かった。通りかかる人もなく、聴こえてくるのは川のせせらぎと蝉の声だけ。
 時折吹く温い風すらも涼しく感じられるほどに暑い。ナナシは吹き出る汗をハンカチで拭きながら、どこか遠い目をしながら歩いている。

「……ねえ、」
「ん?」
「私達ってさ、ずっとこのままなのかなぁ」
「えっ?」
「ううん、なんでもない。忘れて」
「……そう」

 僕は小さく返事をして、再び無言になった。どうして突然そんなことを言い出したんだろう。やはりナナシの考えている事が分からない。
 その気になれば彼女の思考を読むことはできるけど、そんなことはするもんじゃない。ナナシが何を考えてるのか途轍もなく知りたいけど、彼女から話してくれるまで待つべきなんだ。

「……何か、今日はいつも以上に暑い気がする」
「そうかな。確かに暑いけどさ、いつも通りだと思うよ」
「そっか。私だけなのかな。公園出てからずっとこんな感じなんだよねえ」

 そう呟くナナシの頬はほんのりと染まっている。まさかこの暑さで具合を悪くしたのかな。公園でのこともあるとしたら僕のせいかも。熱中症にでもなったら大変だ。
 僕は被っていた帽子を取ると、ナナシの頭に被せた。突然視界を塞がれたことに驚いたのか、彼女は慌てた様子で声を上げた。

「わっ、何?」
「それで少しはマシになるでしょ」
「でも、ネスが暑くなっちゃうよ」
「大丈夫だよ。ほら、行こう」

 僕はナナシの少し前を歩く。振り返ると、彼女は呆気にとられた表情を浮かべながら被せられた帽子に片手を添えていた。
 彼女が僕の帽子を被っているという状況にほんのりとしたものを感じつつ、再び前を向いて歩き出す。するとナナシは慌てて追いかけてきた。

「帽子、洗って返すから」
「いいよ、屋敷着いたら返してくれれば」
「……ありがと」

 それは小さな小さな呟きだったけど、僕の耳にはしっかり届いていた。少し嬉しくなり、無意識の内に頬が緩む。
 僕の中では早く帰って涼みたいという気持ちと、もう少しだけ二人で歩いていたいという気持ちが静かにせめぎ合っていた。
真っ青な空に立ち上る入道雲が、そんな僕等を悠々と見下ろしていた。

自分のトレードマークを預けられる関係性って良い。




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