飴と鞭
「よし、僕の勝ちだね」
「あ~あ。負けちゃった……まさかそんな動きするなんてさあ」
「今回は大幅にスキル変えてきたからね。上手くいって良かったよ」
今僕達が遊んでいるゲームはこの世界で人気のタイトルで、以前からナナシとは通信プレイで一緒に遊んだりしている。
そこそこやり込んできたゲームだから僕もナナシも腕に自信はあったし、最後まで良い勝負だった。僅差だったけどなんとか勝利した僕はほっと一息吐く。
軽く落ち込みながら自信あったのに、と口を尖らせてるナナシは可愛い。この間は"強くなりすぎた。敗北を知りたい"なんて言ってたし、自分が勝つと信じて疑わなかったんだろう。さて、勝負あったことだしここからが本題だ。
「じゃあ、約束の罰ゲーム」
「うっ」
「受けてくれるよね?」
僕はナナシの肩を掴みながら問う。逃げ場を失った彼女は目を泳がせて返答に困っているみたい。今回の対戦は負けた方が勝った方の言うことを聞くというシンプルなルールを付けたもので、これはナナシから提案してきたものだ。
普通に対戦するのもいいけど、たまには別の刺激もあった方が面白いと思っていた僕にとって断る理由は無かった。
「ご、ごめん。やっぱりダメ――」
「君から言い出したんだろ。今更取り消すのは無しだよ」
顔を背けて僕の手から逃れようとするナナシの手首を掴んで制する。実は提案に賛同した時点で罰ゲームの内容は決めてあったんだ。僕は棚から一本のゲームソフトを取り出し、ナナシに手渡す。
「じゃあ、これ」
「え? 何こ、れ……」
パッケージをまじまじと見つめていたナナシの顔が少しずつ青ざめ強ばっていく。終いにはソフトを持つ手が震え出していた。
それもそう、このゲームは所謂ホラーゲームというもの。こういったジャンルに耐性の無い彼女への罰ゲームとして選ぶにはこの上ない代物だ。
「……これ、マジ?」
「マジだよ。今日中にクリアできたら罰ゲーム達成。でも出来なかったら、明日に持ち越し。頑張ってクリアしようね」
「ひっ……そんなぁぁぁ――!」
絶望に打ちひしがれるナナシの姿を見ていると自然と口元が緩む。普段日頃から僕を振り回してばかりいるお返しが出来ると思うと嬉しくなってしまう。
ソフトをゲーム機にセットし、コントローラーをナナシの手に握らせれば楽しい時間の始まりだ。
「……ひ、ひぃぃぃ、来ないで、やめてっ、助けてぇぇ!!」
進めている道中、クリーチャー顔負けの奇声を上げたり仰け反ったりと、見ていて本当に飽きない。ナナシの反応一つ一つが可愛くて仕方がないんだ。僕は隣で笑いたくなる衝動を抑えつつ彼女を見守っていた。
恐怖に支配された彼女の目には涙が滲み始めていて、時折嗚咽まで漏らしている始末だ。こんな姿を見せられたらますます嗜虐心がくすぐられてしまう。
「ほら、もうちょっと進むペースを上げないと夜中までに終わらないよ」
「だって、怖いもん! 無理、ほんっとに無理!! なんでこんなゲーム選んだんだよぉぉ!」
「何でって、見てて楽しいから」
そう答えるとナナシは泣きべそをかきながら恨めしげに睨み付けてくる。そんなことしてる間にも時間は過ぎていくよ。そう促すと彼女は渋々と画面に意識を向けた。
――その後、何度かゲームオーバーになりながらもナナシはなんとかゲームの終盤まで進めていく。もうすぐこのゲームの山場であり、最も恐怖を植え付けられる場面が迫ってきていた。僕はこの局面に差し掛かった時の彼女の反応を見るのが一番の楽しみだったんだ。
「……え、何これ? あっ、ああぁぁーっ! う、嘘でしょ……!?」
このゲームのボスが登場したものの、ナナシはその姿に怯えきってしまい画面を見つめたまま動かなくなった。その表情は引きつっており、顔面蒼白になっている。
やがてパニックに陥ったナナシのキャラクターは、HPを失い無残に倒されてしまった。そして血まみれになった主人公の亡骸に化け物が覆い被さり、目も当てられない光景が広がる。
ナナシは小さく悲鳴を上げてコントローラーを落としそうになるのを堪えながら、恐る恐る僕の方へ視線を向ける。
まるで救いを求めるような眼差しに胸が高鳴り、ゾクッとした感覚に襲われた。いいね、すごく良い。
「ね、ネス……もう無理だよ……!」
「頑張って、後少しじゃないか」
「いやあの、ホントに、限界だからさ、お願い……」
今にも消え入りそうな声で懇願してくるナナシに笑いかけながら、ゲームの進行を促す。ここまで来て止めてしまったら意味が無いからね。彼女からは鬼だの悪魔だの罵声を浴びせられるけど、それすらも心地良く感じる。
「ねえ、本当にもうこのゲーム、止めよう? それが世の為人の為、私の為だよ!」
「何言ってるの? 君は"僕の為"にこのゲームをプレイしてるんだよ。それが今回の罰ゲームでしょ」
そう告げるとナナシは呆然とし、やがて大粒の涙を流し始めた。どうやら僕が思っていた以上に追い詰められているようだ。
こちらとしてもここまでするつもりは無かったんだけど、あまりにも彼女が可愛いからついやり過ぎたと反省する。一旦ゲームを中断させ、すすり泣く彼女の背中を撫でてやる。
「ごめんって、まさかこんなに怖がるなんて思わなかったよ」
「ううっ、私がこういうの苦手なの知ってたくせに!」
「でも君から罰ゲーム付けることを提案してきたんだろ?」
「そうだけど、でも、限度ってものが……!」
まだナナシの目尻には雫が残っていて、時々しゃくり上げながら喋っている。まだ彼女の脳裏にはあの怪物が暴れ迫ってくる光景が染み付いているようだ。そんな様子を見ている内に、僕の中にはひとつ疑問が浮かび上がる。
「今だから聞くけどさ、もしナナシが勝ってたら僕にどんな罰ゲームをさせようとしてたの?」
するとナナシの身体がぴくりと固まる。俯いていて表情は伺い知れないけど、髪からのぞく耳は真っ赤に染まっていた。彼女は一体何を望んで罰ゲームを提案してきたのか。僕ははやる気持ちを抑えて静かに返答を待ち続ける。
「……最近街に新しくできたレストランがあって、そこで……食べ放題に付き合ってもらおうって。ふ、二人なら料金が安くなるから!」
恥ずかしげに発せられた言葉の意味を理解するのに数秒かかった。それから顔が熱くなるのを感じて顔を背ける。これはつまり、二人きりで食事をしようというお誘い。
僕にとってそれは罰でも何でもなく、むしろ嬉しいものでしかない。頼まれなくたって喜んで付き添うさ。
「それだったら罰ゲームなんかじゃなくても、普通に誘ってくれればよかったのに」
「だって……なんか改まって誘うとか、ちょっと気まずかったっていうか、照れ臭くて」
泣き笑いのような表情を浮かべ、上目遣いで見つめてくるナナシ。その顔を見た途端、胸の奥が跳ね上がった。反則だ、こんなの。
普段の強気な振る舞いとはかけ離れた、しおらしい姿。そんな彼女の一面を見てしまえば、愛しさが込み上げて仕方がない。しかし彼女にはこのゲームを完遂して欲しいと気持ちも残っていた。
実はこのソフト、ファンの間ではシリーズの中でも一番怖いと評判のもの。だけど、最後は主人公が最高の形で報われるという綺麗なエンディングが用意されているんだ。
だからこそナナシにもクリアしてもらい、その感動を共有したい。僕はコントローラーを手に取ると、そっと彼女に手渡す。
「じゃあ、こうしよう。君がこのゲームをクリアできたら、一緒に食べ放題に行こう」
僕がそう告げると、文句を言いかけたナナシの動きが止まった。そして大きく深呼吸すると、力強くコントローラーを握る。そこには勇敢に立ち向かう一人のプレイヤーの姿があった。
「……約束だからね!」
そこから先は驚くほどの勢いでゲームは進んでいき、とうとう最後の局面を迎える。ラスボスである化け物との死闘が始まり、ナナシはその迫力に圧倒されながらも果敢に立ち向かっていった。そして激闘の末、ボスが断末魔の雄叫びを上げながら地面に崩れ落ちる。主人公の勝利だ。
「や、やった……!」
呆然としたままエンディングのムービーを眺めるナナシ。その瞳からは先程までの恐怖の色は消え失せており、代わりに達成感に満ちた輝きが宿っていた。穏やかなBGMと共にエンドロールが流れる中、僕はナナシに声を掛ける。
「おめでとう。よく頑張ったね、ナナシ」
労いと祝いの言葉をかけると、ナナシは僕の腕に抱きついてきた。彼女の温もりと柔らかさが伝わってきて、思わず心臓が大きく脈打つ。そのままの状態でしばらくいると、やがて落ち着いたのかゆっくりと離れていく。
「これで……約束守ってくれるんだよね?」
「勿論。来週にでも行こう。予定は必ず空けておくからさ」
僕の返事にナナシの顔がぱあっと明るくなる。恐怖から解放されたその笑顔はエンディングのムービーに映る美しい朝日を彷彿とさせるもので、僕までつられて嬉しくなってくる。
――この一件以来、どういう訳かナナシは恐怖感やスリルが癖になってしまったようで、面白そうなホラーゲームを買っては片っ端からプレイするようになった。
そして、僕はそれに毎回付き合わされるハメになったのである。でも、こうして彼女と過ごせるならそれも悪くないかなって思う僕がいるのであった。
黒ネスその2。