雲の行方
青空を背景に、黄色く輝くヨーヨーが滑らかに弧を描きながら舞う。それは陽の光を受けて綺麗な回転を見せていたかと思うと、真っ直ぐにネスの手元に戻っていく。私は一連の流れに目が釘付けになっていた。
「凄い、今の!」
「ふふ、ありがとう」
感激するままに拍手を贈ると、ネスは照れくさそうに頭を掻いた。今、私は屋敷の庭でネスの特訓を見守っているところ。
彼曰く、そろそろ新しい技を完成させたいとのこと。なので最近は休日でも関わらず、こうして鍛錬に力を注いでいるみたいだ。
「ねえ、もう一回見せて!」
「いいよ。じゃあ、次はこれだ」
ネスは表情を引き締めると再びヨーヨーを構える。そして今度は違う動きを見せ始めた。彼の手を離れたヨーヨーは大きく宙返りをして、彼の背に回ると前方へと鋭く飛び出す。
その動きはとても鮮やかでまるで魔法みたいだと思った。ヨーヨーとはこれほど複雑な動きをするものなのか。
「さっきの、どう?」
「うん、今のも凄かった! 乱闘でも使えそうじゃない?」
「ありがとう。でも、僕としてはもっと安定して使える技を増やしたい所なんだ。もっと頑張らないと」
今でも十分上手いのに、まだまだ向上心を絶やさない彼を心の中で尊敬する。私もネスみたいになりたいな。その一歩という程でもないけど、私もヨーヨーをやってみたくなった。
「そうなんだ。ねえ、私もやってみてもいい?」
「お、いいよ。これ貸してあげる」
ネスはどこか嬉しそうに微笑むと、快くヨーヨーを手渡してきた。受け取った私は紐を指に付けて、とりあえずヨーヨーを下に降ろして回転させる。
上下に手を動かすとヨーヨーは静かに回転を繰り返しながら、私の手元に戻ったり下に降りたりを繰り返す。思ったより簡単なのかな。
「へぇ、手首の使い方も良い感じだね」
「そう? ならもっと凄い技とかできるかも!」
「え、ちょっと――」
ヨーヨーが下に降り切ったタイミングで勢いよく手を前に振り回すと、ネスが小さく声を漏らした。
次の瞬間、紐が伸びきりヨーヨーが跳ね返ってくる。それが見えたと同時に、鈍い音を立てて私のおでこを直撃。視界が一瞬真っ暗になり、星が舞ったかのようにちかちかとした。
「いったぁー……っ!?」
あまりの衝撃に思わずしゃがみ込む。悶えていると頭上からネスの笑いをこらえるような声が聞こえてきた。ちらっと見上げると、肩を震わせている。
「笑うこたないでしょ……!」
「ごめんごめん、そこまで綺麗にヒットするとは思わなくて」
「お、おのれ」
痛いやら恥ずかしいやらで居た堪れない。涙目になりながらも立ち上がる。恐る恐る額を摩ってみると、鈍痛が走った。これはこぶが出来たかもしれない。
「大丈夫? 調子に乗るからだよ……」
「……だって、私も何か技ができたらいいなって思ったんだもん」
「だからってあんな勢いよく投げなくても良かったでしょ」
確かにネスの言う通りで、調子に乗りすぎたと思う。彼に少しでも良いところを見せたくて、つい勢い付いてしまった。
反省しつつヨーヨーをネスに返すと、近くのベンチに力なく腰掛けた。私の意気込みは彼の操るヨーヨーみたいにはいかず、空回りしただけに終わった。
「ナナシってば、そんなに肩落とさないでよ。笑ったお詫びにもうひとつ技を見せるからさ」
ネスは項垂れる私の肩を優しく叩くと、ヨーヨーを構えて集中し始めた。一体どんな技が飛び出すんだろう。思わず手に力がこもるのを感じながら、固唾を呑んで見守る。
頭上に高く投げられたヨーヨーは彼の体を纏うように回転しながら宙を舞い、高速で動き回っていた。ヨーヨーの姿を目で捉えることができない程だ。
「す、すご……」
私の口からは無意識に声が漏れ、ヨーヨーの残像を必死に目で追う。そして、それを操る彼の横顔は乱闘の時に見せる鋭いものと同じだった。
普段の穏やかな振る舞いとのギャップを感じて、不意に胸が高鳴る。見とれている間にヨーヨーは再び上に飛び上がると、弧を描くようにして軽やかにネスの手に戻っていく。
「ふう、こんな感じかな」
「そこまでできるようになるまで、どれぐらい練習してきたの……?」
「うーん、それなりに頑張ってきたよ」
素直に感嘆の声を上げる。その時、私はふと思い出した。確かこの前読んだマンガの中にこんなことが書いてあった気がする。"ヨーヨーの動きは操る人の心を映している"と。
――だとしたら、あの洗練された一連の動きは彼の心の現れなわけだ。そう思うと益々彼が遠い存在のように感じてしまう。
ネスはヨーヨーだけじゃなくて野球も上手いし、おまけに超能力まで使いこなしている。私なんて家事がそこそこできるぐらいで、戦うにしても覚えたてのシールドを張ることぐらいしかできない。
そんな私が彼に釣り合うはずがない。天と地ほどの差を見せつけられている気がして、更に気分が落ち込んでくる。
そして、こんなことを考えている自分自身が嫌になった。突然黙ってしまった私を見て、ネスが心配そうに覗き込んできた。
「ナナシ……?」
「あ、何でも無いよ!」
慌てて笑顔を作る。いけない、こんなことでは駄目だ。せっかくネスと一緒にいるのに、落ち込んでいる時間が勿体ない。
何とか楽しいことを考えなければ。そうでもしないと今の私は潰れてしまいそう。まずは顔だけでも上げようと、空を見る。
雲一つなく澄み渡っていて、太陽の光が眩しい。ああ、今日は本当にいい天気だ――このまま私の心も晴らしてくれたらいいのに。
行き場のない暗雲を胸の内に秘め、青空に思いを巡らせる。すると彼が私の隣に座ってきた。その瞳は真っ直ぐこちらを見つめていて、逸らすことすらできない。
「ねえ、何考えてた?」
「えっ、空が青くて綺麗だなって……」
「違うよ。その前」
誤魔化すことを許さないような強い眼差し。それでも言いたくなくて、つい思ってもないことが口をついて出てくる。
「えぇっと、今日の晩御飯どれにしようかなって」
「嘘だね」
「……心、読んだの?」
「まさか。君の顔見てたらそんなことしなくたって分かるよ」
言い終えると同時にネスが私の腕を掴む。今度こそ逃げられない状況になってしまった。普段は見せないような強引な動作。彼の気迫に圧倒され、動揺してしまう。
「本当のことを言ってくれるまで離さないからね」
「……言えばいいんでしょ」
観念してため息をつく。掴んでいた手が緩められたのを確認してから口を開いた。私は劣等感を抱いていて、ネスと自分はあまりにも違いすぎる。そういった思いを語る。
その間彼は黙って私の話を聞いているみたいで、一言も喋らなかった。私は恐る恐る彼の表情を伺う。その表情は無としか言いようがなく、何も読み取れない。
「ごめん……怒ってる?」
居た堪れなくなった私が恐る恐る訊ねると、ネスは首を横に振ってくれた。それでも空気が張り詰めている感覚がして、もう一度謝罪の言葉を述べた後続ける。
「ネスは超能力とかヨーヨー使えるし野球もできるじゃん。私と雲泥の差がある訳で……こんな私といてもつまらないんじゃないかって、」
「……なんでそんなこと言うんだよ!」
突然ネスが声を荒げて私の肩に掴みかかってきたことで、続きの言葉を失ってしまう。そっと顔を上げると、彼が悲しそうに眉を寄せていた。
「確かに僕はヨーヨーにも野球にも自信はあるよ。でも、だからと言って君が僕の側にいちゃいけない理由にはならないでしょ?」
真剣に語るネスの言葉に、思わず目頭が熱くなる。そして同時に申し訳なさがこみ上げてきた。
彼はこんなに私のことを想っていてくれているのに、私自身は自分を否定するようなことばかり思い浮かべていて。
私はいつからこんなに弱い人間になってしまったんだろう。こうして自分の弱さに気付いた時点で考え方を改めなければいけない。
これ以上淀みに浸かり続けていたら、きっと明るい場所には戻れなくなる――。ネスがかけてくれた暖かな言葉が私を踏みとどまらせてくれた。
「それにさ、ナナシより僕の方が君の良いところを多く挙げられると思う。君自身が気付いていないだけで、魅力的な部分はもっとあるはずなんだから」
「ネス……ありがとう」
今まで散々自分を卑下してきたけど、彼はそんな私のことをずっと認めてくれていたんだ。本当はそれだけで十分なのかもしれない。
誰でも自分だけにしか醸し出せない魅力が、私には私だけの良さがあって、それに気付いてくれる人がいる。
私にとってのネスがそうであるように、ネスにとっての私もそういった存在になりたい。今、心を満たしているのは優しく暖かなもの。
こうして心の中を染めて渦巻いていた黒雲は、ネスの巻き起こした風によって綺麗さっぱり吹き飛ばされていったのだった。
ネスは人を慰める時には思いっきり本音をぶつけてそうなイメージ。