逆さまわり
私、ナナシはただいま大自然の中心で逆さ吊りとなっています。屋敷を囲むように広がる森の一角、大木の枝から垂れ下がる丈夫な蔦が、私の両足にしっかりと絡みついている。
――時は十五分前。私は友人のネス、リュカ、トゥーンといった面々と、この森の中で鬼ごっこをしていた。しかしこれはただの鬼ごっこではない。
自分の持つ能力や道具を使ってもいいという――何も持たない私にとっては非常にまずいもの。
ネスはいつでもPSIを使う気満々の姿勢。反対にリュカは能力を持たない私を気遣ってか、遠慮がちにこちらを伺っている。
トゥーンやむらびとは体のどこに隠していたのか、様々な装備を取り出して準備万端といった様子だ。
みんなにとっては乱闘の延長線上のようなものでしかないけど、シールドを張ることしかできない私にとっては過酷なサバイバルに様変わりである。
このまま戦いの中に身を投じれば真っ先に捕まるのは誰なのか、考えなくても答えは見えてくる。残酷な現実を突きつけられるも、焦らないよう冷静に思考を巡らせていた私は妙案を思いつく。
それは――鬼がカウントしている間になるべく遠くへ逃げ、その間に罠を仕掛けていくというもの。
蔦といった植物を使う簡単な罠の作り方は、以前スネークさんやリンクから教わったことがある。これなら非力な私でも足止めぐらいはできるはず。
後は誰が鬼になるかによって対処法を考え、自分の体力が続く限り逃げ続けるしかない。
しかし――鬼はよりにもよってネスで、彼は私に含みのある視線を向けると口角を上げる。
「ちょっと、何余裕そうに笑ってんの」
「だって僕の手にかかればナナシはすぐに捕まえられるし」
「それはどうかな。簡単には捕まらないから」
負けじとこちらも笑みを見せると、ネスはすっと目を細めた。虚勢でしかないのが悔しい所だけど、気持ちだけでも負けてはいけない。自分の持てる限りの力を尽くすだけだ。
「まあ、カウントが終われば分かることだよ。それじゃみんな、そろそろ逃げてね」
そう言うなりネスは側の木に両手をつけると、数を数え始めた。私やリュカ達は散り散りになり、遂に始まった"サバイバル鬼ごっこ"。
私は作戦通り距離を離すと、使いやすそうな植物を手当たり次第かき集める。まずは大きめの薄い葉を重ねて丈夫な細い蔓で縫い付け、身を隠す為のマントを作った。
次に枝から垂れ下がっていた手首ほどの太さのある蔦を二本絡ませ合い、ロープのようにすると罠を作製する。
これは輪っかの部分に足などが絡むと締まるようになっていて、そのまま対象を宙吊りにできるという漫画などでもよく見る定番のもの。
この輪っかの部分を立てて地面に置き、落ち葉で隠せば設置完了だ。急ごしらえだった為に効果については期待できないものの、何もせずに逃げ回るよりはずっとマシだ。
しかし、これが後にとんでもない事態を招くことになるなんて――この時は知る由もなかった。
「さて! 後はここから離れ――」
急いでこの場を離れようと踏み込んだ矢先、突然近くの茂みから物音がして反射的に後ずさる。そして迂闊にも付近に落ちていた大きめの石を踏んでしまい、よろめいた時だった。
踏ん張ろうとした右足首に何かが絡まった瞬間、全身を強烈な浮遊感が包み込むと同時に真上へと引き上げられる。
凄まじい勢いに身を強ばらせていると、その感覚はぴたりと停止する。恐る恐る目を開くと、鮮やかな青空が足元に広がっていた。
ここで愚かな私はようやく、自ら仕掛けた罠にかかってしまったことを悟ったのである。こうして現在に至る――。
「……私、ほんっとバカみたい」
この程度の罠、彼らなら自分の力で取り外すこともできただろう。しかし私に為す術はなく、風に煽られ左右に虚しく揺れるだけ。
ただ暴れるだけでは千切れそうもない。我ながら丈夫に作りこんでしまったものだと、自虐的な笑みを浮かべた時だった。
「――良い格好だね。僕が手を出すまでもなかったわけか」
愉快そうな声とともに茂みをかき分けて現れたのは、ネスの姿だった。彼は赤い野球帽の下でうっすら笑みを浮かべ、こちらを見上げている。
よりにもよって一番出会ってはならない人物が出てきてしまった。今の彼が何を言わんとしているのか、嫌でも分かってしまい居た堪れなくなる。
しかしこの状況を脱するには、誰かの手を借りる他にない。私は藁にも悪魔にも縋る思いで、逆さの地に立つ少年に救いを求めた。
「助けて……くれない?」
「んー、どうしようかなあ」
ネスは考える素振りを見せ、私の真下でわざとらしく歩き回る。この展開はなんとなく予想は出来ていたけど。
やがて彼は突然足を止めたかと思うと、とんでもないことを言い放ったのである。
「今日一日、僕の言うことを何でも聞く……って言うなら助けてあげようかな」
「……あのさ、君そんなキャラじゃないよね? "おもいやりのある つよいこに"ってママさんに言われてたでしょ!」
「何でナナシがそれ知ってんの?」
訝しげな視線を向けられたけど、細かいことはさておき。そろそろ頭に血が上り辛くなってきた。今はとにかく助かりたい一心で、ネスに懇願する。
「冗談はとにかく、早く助けてよ……!」
「ん? 人にお願いするときは、どうするんだっけ」
「くうぅ……お、お願いします、何でもするから助けてくださいぃー!」
なんとか動かせる両手で何度も拝んでみせると、満足したらしいネスはこちらに人差し指を向ける。
それと同時に閃光が足元を掠め、蔦が千切れる鈍い音と共に私の体は垂直に落下していく。確かに助けはしてくれたけど、これはあまりにも雑ではないか。
このままでは頭から激突してしまう――次に襲い来るであろう衝撃を覚悟して目を瞑ったものの、私の身が地面に叩きつけられることはなかった。
何故なら、既の所でネスがPSIを使い受け止めてくれたから。ゆっくりと地面に降ろされると、彼は私の肩に手を置いてくる。
「……ありがとう」
「――それじゃ今日一日、君は僕の言いなりということでよろしくね」
「はぁー……自分が嫌になりそう」
満面の笑みを湛えているネスと、跪き絶望に打ちひしがれる私。しかしこれは全て、私の行いが招いた悲劇。ただの自業自得でしかないのである。
彼の含みを持つ表情に見るに、色々と企んでいそうだ。恐らく今までのような軽い冗談や悪戯では済みそうもないだろう。
「言いなりって言っても、少しは手心を……」
「それは今後の君の態度次第かな」
口角を上げるその表情には最早優越を通り越して、嗜虐的なものさえ感じられた。とは言っても、決してネスは冷酷な人じゃない。
確かに彼は年不相応の達観した部分を抱えていて、それ故か時折こうして生意気な振る舞いをしたりもする。
だけど――その心の芯にはいつだって優しさを秘めていることを私は知っている。さっきだって、きっと私が要求を飲まなくても助けてくれていただろう。
「足首、見せて」
「え、急に何?」
「どうせ痣にでもなってるんでしょ。そんな状態で無理されても困るから」
そういってネスにジーンズの裾をめくりあげられると、紫色の線を描く足首が晒される。それを見るや否や彼は大きなため息をつくと、痛む足首に手をかざす。
その手からは淡い光が放たれ、暖かな感覚に包まれると瞬く間に痛みが引いていく。彼が手を離す頃には痣は綺麗に消えていた。
「ほら、これでいいよ」
「うん……ありがと」
そう、こういった具合に。今までも、何だかんだと言いつつも必ず最後には手を差し伸べてくれた。彼はそういう人なんだ。
最近ではそういったギャップに溢れる部分も好ましいとさえ思っている自分がいて、常に彼の言動に振り回されるようになっていた。
「何? さっきから僕の顔見つめてきて」
「い、いや! 別に……」
「そう、まあいいや。すぐリュカ達も捕まえてくるから、そこで待ってて。間違っても約束を破ろうとか思わないでね」
言うと同時にネスは森の奥へと駆けていった。あの勢いだと直に他の三人も見つけていくだろう。
問題は鬼ごっこを終えて、屋敷に戻った後だ。一体彼はどんな要求をしてくるのやら。
マッサージとかおやつを奢るとか、そういった軽いものであってほしいけど、あの微笑みを見るにまず無いだろう。
しかしいつまでも頭を抱えているわけにもいかない。いい加減腹を括らなければ。
間抜けな私を窮地から救ってくれたことには違いないし、これはあくまでも彼への感謝を示す為のものだから。
ひとり残された私は突き出している木の根っこに腰をかけ、枝葉に縁どられた青空をぼんやりと見上げる。
木々を抜けていく風を感じている時も、瞼にはネスの柔らかな笑顔が浮かんで離れずにいた。
黒というか……ツンデレ?