隣にいるべきは
いつからだろうか、君に想いを抱くようになったのは。
今思えば幼い頃――僕の家の近所に君が引っ越してきたあの日から、全ては始まっていたんだ。
遊びに誘えば愛らしい笑顔で応えてくれて、意見が食い違えば真っ向から言い合える。時には離れてみたり、時には心を支えあいながら共に年月を重ねてきた。
その中で君に恋心を抱くようになるのは、極自然なことだったんだろう。年齢をひとつ重ねるたびに僕の心は君の声、姿によって埋め尽くされる。
想いは薄れるどころか色濃く、より深いものへと変わっていった。そこで僕はようやく確信できたんだ。彼女へ抱いてきたものはこれまでも、これからも不変のものだと。
"初恋は実らない"といったくだらないジンクスも、僕にとっては何の障壁にもならない。
どこの誰が創り出したか分からないものに振り回されたり、諦めるようならこの恋情はとうの昔に霧散している。
それに想いを結実させるのは他の誰でもない。形はどうであれ、自分自身の"心"と"力"があってこそ成せるものなんだ。
だからこそ僕なりの方法で君を手に入れることに決めたよ、ナナシ――。
***
この日、僕は十八回目の誕生日を迎えた。これでナナシと年齢が並ぶ。僕の家では毎年誕生日になるとホームパーティーを開くことになっていて、今日も地元の友人達を招いて賑やかな夜を過ごす。
当然ナナシも招待していて、幼い頃から欠かさずお祝いに来てくれている。それどころかパーティーの準備を手伝いたいと申し出てくれることも度々あった。
このように昔から家ぐるみでの交流も深く、母さんと妹のトレーシーも彼女のことをとても好いている。最近では"ウチに嫁いでこないかしら"と茶化すぐらいだ。
ナナシの両親も、僕と会う度に"ネスちゃんになら娘を任せられる!"というのが定番の口癖になりつつある。
このように両方の家族公認であるし、僕としてはこれ以上にない好都合な環境。後はナナシの心次第だけど、僕のことをどのように見ているのか、どう考えているかは掴めていない。
でもそれは問題の内に入らない。近い未来、ナナシは僕のものになる。この事実だけは変わらないから――。
夕方になり、パーティーの時間が近付く。僕が着替えを終えると程なくしてチャイムが鳴り響き、玄関先には招待した友人達の顔ぶれが集っていた。
ジュニア・スクールの頃から長い付き合いのある友達や、ハイ・スクールで新たに知り合った人達。皆見事に着飾っていて、華やかな姿が並ぶ。
「久しぶりだな、ネス。今年も招待してくれてありがとうよ」
「やあフランク。忙しいところ来てくれて本当に嬉しいよ。今日は楽しんでいってね」
「せっかくのお前の誕生日だ。予定ならいくらでも空けるつもりだぜ」
こうして次々に友人達と挨拶を交わす中、まだナナシの姿が見えないことに不安を募らせていく。彼女の真面目な性格からして、連絡もなく土壇場でキャンセルするということはないはず。
もし本当に来ないなら、僕から迎えに行くまでだけど。一旦皆に一言かけてから玄関を出ようかと考えた時だった。
庭の入口から誰かが駆けてくる気配が近付いて来る。その人影を捉えた僕は、自然と頬が緩んでいた。
「はあ、はあ……こんばんは、ネス。ごめんね遅れちゃって」
「来てくれて安心したよ。何かあったの?」
「身支度するのに手間取っちゃった。髪がうまく纏まらなくってさ……」
そう言って玄関の明かりに照らされたナナシの姿を見て、僕は息を呑む。そこには普段の素朴な私服とは全く違う、落ち着いたデザインのワンピースに身を包む彼女が佇んでいたからだ。
いつも下ろしてある艶やかな黒髪もアップにまとめていて、化粧を施した顔はいつもより大人びて見える。
「ど、どうかな? 変じゃない……?」
「うん、凄く似合ってるよ。綺麗すぎて言葉が出なかったぐらいだ」
素直な感想を包み隠さず伝えれば、照れくさそうに頬を染めるナナシ。まさかここまでめかしこんでくれるなんて。これは期待してもいいのかな、なんて自惚れてしまうほどに。
「そっか……良かった。誕生日おめでとう、ネス!」
「ありがとう、ナナシ。今夜は一緒に楽しもう」
招待した人物が揃ったところで、僕のバースデーパーティーが始まることとなった。母さんと妹お手製の料理を囲み、賑やかな談笑の声が溢れる。
主役の僕は友人達との会話を楽しみつつも、ずっとナナシの横をキープしていた。何故なら、先程から友人の一人が彼女を見つめていたから。
あの視線に込められているのは紛れもなく好意を含んだ熱。同じ男だし、嫌でも分かるものだ。だから僕は牽制するように、ナナシの側に居続けた。
「あ、ネス。ちょっとお手洗い借りるね」
「うん。場所は……って、君なら分かりきってるか」
「それは勿論。すぐ戻るから!」
さすが勝手知ったる、といった様子で席を外したナナシを見送る。君は子供の頃から僕の家で遊んできたんだから、当然だよね。
それだけじゃない。幼い頃、裏山で一緒に隠した"たからもの"。他の友人達は知らない、二人で見つけた秘密の遊び場。
毎年夏休みになれば二人だけで遠くの町まで遊びに行ったりもして。どれも僕とナナシとの間で積み重ねてきたもの。
これからも一生変わることのない、僕達だけの大切な記憶。二人だけの絆の証。
連なる思い出に一種の優越感を抱いていると、不意に声をかけられた。振り返るとそこにいたのは先程彼女を見ていた友人。
彼はほんのりと頬を染めて、僕からナナシが歩いて行った廊下の方に顔を向ける。
「ナナシのやつ、綺麗になったよなあ。昔は俺達と喧嘩してたぐらいお転婆だったのにさ」
「そうだね」
あえて短く返す。僕は友達と会話をするとき、必要以上にナナシの話はしない。彼女の魅力は僕だけが知っていればいいし、他の男と共有するなんて以ての外だ。
そんな僕の反応など意に介さず、彼は照れくさそうに頭を掻いている。君が次に何を言おうとしているのか、手に取るように分かるさ。
「俺さ、アイツ口説いてみようかって思って」
ほら、思った通りだ。彼は今更になってナナシの魅力に気付き、僕と彼女の間に割り込もうとしている。なんとも無謀じゃないか。
生憎、僕は隙を作ることはしない。誰もナナシに取り入る余地なんてないんだよ。そろそろ周りに理解してもらうには良い頃合かな。
「君には悪いけど、ナナシは駄目だよ」
にこやかな笑顔を貼り付けてみせれば、彼は途端に口を噤んだ。きっと僕が怒っていると思い込んでいるんだろう。実際はそんなこと全くないのに。ただ純粋に、邪魔だと思っただけで。
だってそうだろう。 僕が長年大事にしてきたものを横から掠め取ろうとしてるんだから。そんなこと、許せるはずがない。
「あー……そうか。お前、昔からナナシと一緒だもんな! そりゃ意識するよなあ。でもさ、俺だってワンチャンあると――」
「僕達、家族の間でも公認なんだよね。そういう訳だから……ここはどうか身を引いてくれないかな」
"ワンチャンス"なんて弛んだ気持ちでは、到底僕には敵わない。言葉を遮り詰めてみると、彼は途端に青ざめて乾いた笑い声を漏らした。
これでまた一人、僕とナナシの仲を認識する存在が増えたというわけ。この瞬間が心地よくて、たまらなく満たされるんだ。
恋敵が減ると同時に賛同者が増える、なんて最高じゃないか。そもそも彼らはライバルと呼んでいい程、深い想いを抱いているわけじゃない。
ナナシを好きだと言いつつも、大抵は僕に軽く釘を刺されただけであっさり折れていく。本当に彼女を愛しているなら、僕に食らいつく勢いで向かってくればいいだけなのに。
仄かな不快感が顔を見せ始めた頃、ナナシが戻ってきたことで僕の心は安らぎを取り戻す。せっかくの誕生日パーティーなんだ、楽しまないとな――。
***
その後は特に何事もなく時間が流れ、日付が変わる前に解散となった。庭先で友人達の背中を見送る中、ナナシだけは帰る素振りを見せず僕の横に立っている。
それというのも、先程彼女から"後片付けを手伝いたい"と申し出があったからだ。僕としては二人きりになれるなら断る理由もなく、快く了承した次第である。
家に戻ると食器洗いに勤しみながら、他愛もない話で盛り上がる。まるで夫婦のような雰囲気に幸福感を覚えつつ、彼女と過ごす時間を満喫していた。
「今日は楽しかったね。今年も招待してくれてありがとう」
「僕こそ、ナナシがこうして毎年祝ってくれることが嬉しいんだ。今まで君から貰ったプレゼントも、大事に取ってあるんだよ」
「ネス……改めて誕生日おめでとう。これからも、よろしくね」
はにかんだような笑顔を浮かべる彼女が愛おしい。その感情のままに抱き締めると、腕の中から驚きの声が漏れる。
この温もりに触れる度に思う。僕にとって一番大事なものは何かということ。それは言うまでもなく、目の前にいる幼馴染の存在に他ならない。
そんな僕の中にはひとつの懸念があった。十八という年齢に達し、ナナシは"少女"から"女性"へと、更なる魅力を重ねていく。
近頃はそんな彼女に意識を向ける輩も増えてきて、少しずつ対応が面倒になってきたところだ。
こうなっては、僕達の関係をより強固なものにしなければいけない。そこで思い付いたのは、あるひとつの方法。
そして今、久々に二人きりになれたこの夜が絶好の機会。先月から胸の内に温めておいた計画を、ようやく実行に移す時が来たんだ。
ナナシは抵抗してくる素振りもなく、大人しく僕の腕に収まっている。僕が今から君に、何をしようとしているのかも知らずに――。
「ナナシ、こっち見て」
溢れそうな優越を内に隠し、愛しさを声に乗せればナナシはゆっくりと顔を上げてくれた。そのまま滑らかな頬に手を添え、視線を絡ませる。ここまできたら、もう逃れることはできないよ。
僕は自然に頬が緩むのを感じながら、彼女の瞳に向けて"念"を送る。"僕"という存在を心の奥底にまで浸透させるように、より深く。
あの時僕が思いついたのは、ナナシの心を僕に向けさせて繋ぎ止める――所謂"マインドコントロール"。
具体的には、彼女の精神に僕の想いを刷り込むことで同調させるといったものだ。
生まれ持って得た心の力、"PSI"。想いを実らせるためなら、こういった力も存分に活用しないとね。
戸惑いを見せていた瞳は次第に虚ろいはじめる。効き目は十分といったところか。一応確認もしておかないといけない。
「ねえ、ナナシ。君の横にいるべきなのは、誰だと思う?」
「私……の隣にいるべき、人……?」
「そう。誰よりも君のことを大切に想い、側にいる人間のこと。分かるよね」
「それはネス、だけ」
歌うように訊ねれば、ナナシは迷うことなく答えてくれた。そうだよ、それでいいんだ。この時をどれほど望んでいたことか。
長年思い描いてきた瞬間を迎え、笑みを深める。光のない瞳に僕が映り込む様はなんとも気分が良い。
「そう、僕だけは何があってもナナシの側にいる。君もこれから先、僕だけを見ていればいいんだよ」
ふらつくナナシの肩を支えて耳元で囁けば、彼女は蕩けるような笑顔を見せて頷く。僕の言葉ひとつひとつに対して、従順な反応を示す様子に胸が満たされた。
揺らぐことのない想いとそれを裏付ける力さえあれば、こんなにも簡単に彼女の心を掴むことができる。
どんな形であれ、想いを結実させるのは自分の"心"と"力"次第。やはりこの考えに間違いなんてなかった。
その証明として、僕は僕なりの想いと力でナナシを手に入れることができたんだから――。
「明日は早速家族に報告しよう。僕達が付き合うって聞いたら、喜ぶだろうなあ」
「私も楽しみになってきたよ。少し恥ずかしいけど」
「後は同棲の準備も進めていこうね。知り合い達にも教えとかないと。これから忙しくなるよ、ナナシ」
「うん、ずっとネスと一緒にいる為なら……私はなんだって頑張る」
一切の躊躇いもなく僕と生きる道を"選んでくれた"ナナシを、包み込むように抱き締めた――。
僕は、いつからこうなってしまったんだろう。昔の僕だったら、別の道を選んだ先でナナシの手を取っていたのかもしれない。
でも選択を間違えたとは微塵にも感じていない。僕は今の考えに基づいて欲しいものを手に入れたし、望む結果さえ得られれば過程に拘る必要はないから。
これから二人で歩んでいく最高の未来。そこには誰も踏み込ませない――。
ドライなヤンデレを目指したものの、想像以上に難しかった。
精神操作堕ちは超能力者の特権ということで。