確信
昼食を終えた僕は午後の試合が始まるまで屋敷内を散策していた。一階の廊下ではマリオさんとワリオさんが啀み合っているところに出くわしてしまい、それを避けて中庭に行く。
しかしそこではピットとブラピが睨み合っていて、なんとなく横切るのも気が引けた僕は再び屋内に戻る。
どこかに落ち着ける場所はないかと歩いているうちに、いつの間にか図書室の前に来ていた。ちらりと中を覗くと――そこには屋敷の使用人であり友人のナナシの姿。
今日は早上がりだったらしく、今の彼女は私服姿だった。その眼差しは本とノートを行ったり来たりで、時折ペンを走らせる。
本当に彼女は何にも真剣に取り組んでいて、その姿は眩しい。僕は誘われるように図書室の中に入り、彼女の側に寄っていった。
「あ……ネスかあ」
気配に気付いたのか彼女は少し驚いた様子で、目を丸くしてこちらを見上げてきた。ここまで近寄ってようやく気付くとは、よほど集中してたんだろうな。僕はさり気なく彼女の隣の席に座ってみる。
「やあ。熱心に何の勉強してるのかなって」
「えっ? あぁ、英語の勉強してるんだ」
そう言って彼女は机の上に広げていたノートを見せてくれた。そこには英語で書かれた文章が余白を埋め尽くすように書き連ねられている。
僕の出身国イーグルランドでは、英語が日常的に使われている。英語は世界共通語としても認識されていて、世界各地でも使われている言語だ。
「と言ってもまだまだなんだけどね……」
まじまじとノートを読んでいた僕を見てか、ナナシは照れくさそうに俯く。彼女はそういうけど、勉強して前に進んでいるだけで充分じゃないかと思う。そこでふと僕はあることを思いついた。
僕は普通に英語を話せるんだから、彼女に教えることができるのでは、と。早速それを提案してみると、彼女は目を輝かせて嬉しそうな表情を浮かべる。
「え、いいの?」
「勿論。君さえよければいつでもOKだよ」
自分にできることなら力を貸したい。何より――ナナシの側にいられる口実があればそれで良いっていうのもあるけどね。
「ありがとう! じゃあお言葉に甘えて……お願いします!」
「はい、よろしくお願いされました」
こうして僕らは二人きりの勉強会を始めることになった。午後の試合までまだ一時間もある。それまでに色々教えたいな。まず最初に、彼女が躓いているという英語の文法について教えることにした。
彼女の熱意は並々ならぬものがあって、分からないところは理解できるまで何度も繰り返して訊ねてくる。
「ネスって教え方が上手いよね。わかりやすくて、つい楽しくなっちゃう」
「そうかな? それなら嬉しいよ」
教え方に自信があったわけじゃないけど、こうして褒めてくれるとこっちも気分が高まる。さて、次に教えるとしたら日常会話に付ける単語辺りか。
そんなことを考えていると、図書室の入り口の方から独特な足音が聞こえてきた。誰かと一応確認すると、それはワリオさんだった。
この人はかなりクセがあるから、何もせずに通り過ぎるということはしないだろう。案の定彼は僕の姿を見つけるなり、鼻を鳴らしてこんなことを言う。
「おいおいネス、二人っきりで何いちゃいちゃしてるんだよ。随分と余裕だな?」
「えっ、いちゃいちゃって……! 私は勉強教えてもらってただけ!」
ナナシはそう言って慌てて俯く。どうやら彼にはカップルのように見えたらしい。残念だけどまだ彼女とはそういう関係じゃないのに。誤解を解くために説明しようとすると、彼に遮られてしまう。
「ま、オレには関係無いけどな。それよりネス、次の試合はオレとだってこと忘れるなよ?」
「ああ、もちろん忘れてないよ」
ワリオさんの言うとおり、僕の次の試合の相手には彼も混ざっている。彼はトリッキーな動きをするファイターの一人で、正直とても手強い。
だけど僕だって負けるつもりはない。それにナナシが見てる手前、カッコつけたいっていう気持ちもあった。
「ふん、ならいいぜ。まあ勝つのはオレだがな。マリオもお前もまとめて叩き落としてやる!」
言うだけ言うと、彼は特有の高笑いをしながら図書室を出て行く。気付けばもうすぐ次の試合が始まる時間が迫っていた。さて、僕もそろそろ準備しようかな。立ち上がり帽子を被りなおすと、ナナシが遠慮がちに声をかけてくる。
「ネス、あの……色々教えてくれてありがとう。試合、頑張ってね」
「ありがとうナナシ、頑張るよ。応援してくれると嬉しいな」
「うん。勿論する!」
大きく頷くナナシの頬はほんのりと赤くなっていた。本当に可愛いなあ。僕は彼女に微笑むと、控室に向かった。
応援してもらったからか、何だか心の調子が上がってきた。PSIも普段以上に発揮できる気がする。湧き上がるものを感じつつ待機していると、マリオさんに話しかけられた。
「やあ、確かこれから始まる試合はオレとネス、ピカチュウ、それとワリオの乱闘だな」
「うん。今日は負ける気がしないよ」
「いつも以上に気合入ってるな。何か良いことでもあったのか?」
「いや、ちょっとね」
マリオさんの鋭い発言に一瞬どきりとしたものの、なんとか平静を装う。正直に"ナナシの応援のお陰"だなんて言ったらからかわれるのは目に見えている。
少し経ってピカチュウとワリオさんも控え室に入ってきた。こうして僕達のバトルロイヤルが始まったんだ――。
この試合の流れは僕に来ていた。バットやPSIをフルに活用して相手を近寄らせず、得意な距離を保ちつつ攻めていく。それでも皆だって熟練のファイター。それぞれの持つ力を駆使して互角の戦いになっていた。
やがてタイムアップとなり、最終的にサドンデスに持ち込まれた。残っているのは僕とワリオさん。時間が経てば上空から大量のボム兵が雨のように降ってくる過酷な条件下の中で、一位を決めるんだ。
「フン! お前が残ってるとはなあ。まあいい、すぐに片付けてやるぜ」
「へえ、やってみればいいよ」
そう言って僕は挑発的な笑みを浮かべてみせる。ワリオさんは一瞬眉をひそめると、即座に飛び掛かってきた。僕は後方に下がってそれをかわし反撃に出る。
牽制としてストレートや回し蹴りなどの攻撃を繰り返すけど、彼に全てガードされてしまう。流石に反応が速いな。僕は一旦距離を取り、PSIで攻めていく方向に切り替えようとした。
その瞬間、ワリオさんは自慢のバイクに乗ると恐ろしいスピードで迫ってきた。すぐに上空へジャンプしてそれを避ける。そのまま空中で一回転してから着地すると同時に、PKファイヤーを放つ。しかしこれも避けられてしまった。
思い切って懐に飛び込みPSIを纏わせた両手で突き崩そうとするけど、それも空を切る。なんだかさっきから避けてばかりで攻撃に転じてくる様子がない。
困惑する僕を他所に彼は急ブレーキをかけ、愉快げに口角を上げた。次の瞬間――僕達の周囲で爆発音が鳴り響く。しまった。ボム兵が落ちてくる時間になってしまったんだ。
「ワハハハハ! デンジャラスな雰囲気になってきたなあネス?」
「……そうみたいだね」
こうなっては戦法というものも殆ど意味を成さなくなる。心を落ち着かせるように構え直すと、ワリオさんの出方を窺った。彼は爆風を背景に両手を広げて言う。
「さあてどうする? ボム兵を避けるので精一杯だろ。オレはバイクでスイスイ避けながらお前が吹き飛ぶのを見届けてやろうかな」
「そう上手くいくかな?」
僕は頭上に降ってきたボム兵を空中でキャッチすると、そのままワリオさんに投げつけた。これにはさすがの彼も焦った様子で避ける。
「ちっ、小賢しい真似しやがって……これでもくらえ!」
ワリオさんはボム兵が降っているのも物ともせず、バイクに乗って猛スピードで突っ込んできた。爆風を掻い潜りながら突進してくる彼の巧みな運転技術に内心舌を巻く。
「そらっ! 吹っ飛べ!!」
勝利を確信しているのか、前輪を高く掲げてウイリーの状態で突っ込んでくるワリオさん。僕はある音に気付くと後ろに飛び上がる。
すると今まで立っていた場所にボム兵が落下し、僕に当たる寸前だったワリオさんに直撃。爆発によってバイクは粉々になり、ワリオさんは凄まじい勢いでステージから吹っ飛ばされた――。
無事1位になった僕はマリオさん達から祝福され、ワリオさんからは"たまたま運が良かっただけだ!"と負け惜しみを投げつけられた。
先にボム兵が降るのを狙ってたのはワリオさんの方だったのに。全く、大人げない。少し休憩して控室から出ると、廊下にはナナシが立っていた。彼女は僕を見つけると途端に嬉しそうな表情になる。
「あの、試合見てたよ。1位おめでとう」
「ありがとう。見ててくれてたの?」
「うん。あの後どうしても試合の様子が気になって……モニタールームから見てたんだ」
そう言ってはにかむナナシの姿に思わず体が固まる。ああもう、可愛すぎるよ。君が応援してくれたからなんだよ、とは恥ずかしくて口が裂けても言い出せない。
「やっぱり……試合の時のネスは、その……カッコイイ」
「えっ」
今、なんて言ったの。聞き間違いじゃないのか。彼女の言葉が何度も巡り、顔が熱くなる。心臓の鼓動もだんだん早くなってきて、息苦しい。硬直したままの僕を見てナナシは慌て始めた。
「あっ! あの、ごめんっ、変なこと言って! それじゃあねっ」
それだけ言うと、耳まで真っ赤にして走り去ってしまう。取り残された僕は暫く呆然としていた。やがて我に返ると、力が抜けたように壁に寄りかかる。最早全身が熱に支配されていた。
その日の晩は眠れなかった。ずっとナナシのことを考えていた。実は僕、以前から彼女に仄かな片思いをしてるんだ。
今まではこの気持ちを伝えることに踏み切れずにいた。だって、今の関係を壊すことになるかもしれないから。
僕はベッドの中で目を閉じながら考える。もしこのまま告白したらどうなるだろう。受け入れてくれるだろうか。フラれたら、元の関係のままでいてくれるだろうか。
そこまで考えて頭を振って否定する。ダメだ。こんな弱気に考えちゃいけない。まずは行動だ、と自分に言い聞かせる。よし、明日思い切って伝えよう。
翌日、僕は朝食を済ませるとすぐに部屋を出てナナシの姿を探し始めた。彼女はよく早朝から屋敷内の清掃とかをしている。
だから歩き回っていればその内会えるだろうと思っていたんだけど、今朝は中々見つけられずにいた。そうしている内に最初の試合の時間が迫ってきて、僕は泣く泣くナナシを探すのを中断する。
今日の試合はトーナメント方式で、僕は予選トーナメントの決勝戦まで勝ち抜いた。予選決勝でアイク兄に負けてしまったけど、なんとか二位で予選通過することができた。アイク兄には試合後に握手を求められて、お互いに良い試合ができたと思う。
本選トーナメントは来週からということで、予選トーナメントを終えたファイター達はそれまでの期間中フリーになった。当分試合もなく僕は暇になってしまい、またナナシを探そうかと思い立つ。
この時間帯なら中庭で洗濯物を干しているか、一階の大広間の掃除をしてるかも。僕は前者の可能性にかけてそこへ向かうことにした。
中庭に行くと予想通り、そこには作業着姿のナナシがいた。彼女は僕に気が付くと大きく狼狽えた様子を見せる。
「あ、あの、おはよう……!」
「おはよう。見かけたらつい声をかけちゃった」
「そ、そっかあ……」
さっきからナナシの仕草がぎこちない。彼女も昨日のことを気にしてるのかな。僕もあの光景を思い出して自然と顔が赤くなる。ここで止まってどうする。今まで彼女を探していたのはあることを伝えるためじゃないか。
「ナナシ、夕飯の後時間あるかな」
「えっ、うーん……大丈夫だけど、どうしたの?」
「今夜八時、三階のバルコニーに来てくれる? 話したいことがあるんだ」
僕が真剣な声色で言うと、ナナシは戸惑いを見せつつも小さく頷いてくれた。ここまで踏み切ったら、もう後には引き返せない。
夜、僕はナナシとの約束の時間になると例のバルコニーへ向かう。到着するとそこにはナナシが空を見上げながら僕を待っていた。Tシャツにショートパンツというラフな私服に身を包んだ彼女は普段とは違う雰囲気だ。
「ナナシ、待った?」
「ううん、今来たところだよ」
僕達は取り敢えず微笑み合う。なんだかこうしてるとデートの待ち合わせみたいで、余計に意識してしまう。それから僕は中々話を切り出せず、やり場のない視線を夜空に向けるしかなかった。ナナシは気まずそうにこちらの様子を伺っている。
「あの、それで話って……?」
「うん。実は君に伝えたいことが……あってさ」
心臓が痛いくらいに激しく脈を打つ。遂に想いを伝える時が来たのに、何を今更怖気づいてるんだ。僕は深呼吸してから口を開いた。その声は自分でも驚くぐらい震えたもので。
「僕……君のことが好きだったんだ」
「えっ!?」
「友達としてじゃなくて、異性としてって意味で」
「ええっ!?」
ナナシは僕の言葉に驚きの声を重ねる。そりゃそうか。友達だと思っていた男からいきなり好きだなんて言われたら。
でも仕方ないよ。もう自分の気持ちに蓋をすることはできないんだ。ナナシの反応に構わず僕は続ける。
「君はいつも僕の側に居てくれて、支えてくれて、笑顔を見せてくれて。君と一緒に過ごす時間が楽しすぎて――いつの間にか君のことばかり考えるようになってた」
緊張しながらも、ありのままの気持ちを伝えていく。ナナシは黙って僕の話を聞いていたかと思うと、次第に顔を茹で蛸のように赤らめて固まってしまった。
やはり困らせてしまったのか。そう考えていた時、ふとナナシがそっと呟く。
「ネス、私のこと好きなんだ……?」
「うん、そうだよ。ずっと前からね」
俯く姿からは何も見えてこなくて、不安になってきた。しかし次の瞬間、彼女は思いっきり顔を上げると満面の笑みを浮かべた。
「嬉しい。ありがとう……!」
「えっ、それじゃあOKしてくれるの?」
「あの、これから……よろしくね」
感激してナナシを抱き締めると、堪らず頬にキスをした。ナナシは一瞬びくりと身を震わせたけど、すぐに受け入れてくれる。
やがて彼女も僕の背中に腕を回してくれて、お互いの体を強く抱きしめ合った。暫くして、ようやく我に帰った僕は慌ててナナシから離れた。
「ごめん、急にこんなことして……」
「う、ううん……いいよ。ビックリしたけど……嬉しかったから。実はね、私も前からネスのこと……好きだったんだよ」
そう言って微笑む彼女を再び抱き寄せ、僕はもう一度口づけする。ナナシも抵抗せずにされるがままになっていた。そんな僕達を微風がそっと包み込む。
「まだ実感が湧かないや……ナナシが、僕と付き合ってくれるなんてさ」
「……私も」
僕達は見つめ合い、お互いに微笑み合う。それからどちらともなく自然と手を繋ぎ、指と指を絡め合う。ナナシの手は、僕のより少し小さくて柔らかいものだった。
「そろそろ冷えてきたね。中に戻ろうか」
「う、うん」
これからは恋人同士という訳で、今までの友達という付き合い方ではなくなる。感じ方も接し方も大きく変化していくことだろう。それでもナナシとならこれから先もずっと上手くやっていけると"確信"している。
実は僕、昔から勘だけは鋭い方なんだ。最後に僕はもう一度夜空を見上げると、彼女の手を引いてバルコニーを後にした――。
生まれつき超能力持ちということで、昔から直感を頼りにしてた所とかありそう。