ウチのお兄ちゃんいかがですか
「よーし、早速一勝!」
「ナナシさんってば強すぎ! もう少し手加減してよっ」
「ごめんねトレーシーちゃん、楽しくてつい力入っちゃった」
これからの三日間は僕にとって特別な日となる。何といっても数年ぶりに幼馴染のナナシが僕の家に泊まりに来ているからだ。今回彼女の両親は親戚絡みの用事で隣国フォギーランドへ数日滞在することになり、その間ナナシは僕の家で過ごすということになっている。
この話が出た時ママは二つ返事で受け入れていたし、妹のトレーシーは"ナナシさんとたくさん遊べる!"とはしゃいでいた。もちろん僕自身も楽しみだったのは言うまでもなく――。
おまけに今日は日曜日。スクールもベースボールのクラブ活動も休みだから、今は三人で思う存分遊んでいるところなんだ。
「まあ、ナナシもこのゲーム結構やり込んでるからね」
「とか言ってお兄ちゃん、ナナシさんへ攻撃する時だけやたら甘かった気がするんだけど?」
「そんなわけないだろ。気のせいだよ」
「まあまあ二人とも、早く続きしようよ」
こういう時の妹は妙に鋭い。確かにナナシのキャラを攻める時、手が緩んでいたのは事実だった。何というか、勝った時の嬉しそうな笑顔が見たくて。
だけどナナシのゲームの腕は確かだし、僕としてはこのまま負けっぱなしになるつもりはない。二戦目からは本気を出して彼女を驚かせてみようじゃないか。
「うわ、何かネス急に強くなってる!?」
「ナナシこそ、さっきまでの勢いはどうしたのかな?」
「このっ、次も絶対勝つ……!」
「もう二人ともそんなに本気出さないでったら!」
こうしてゲームに熱中した後はママが作ってくれた昼食を囲み、午後からはペットの犬"チビ"を連れて散歩をすることに。もう十三歳にもなる老犬だから、あまり遠出はせず近所の裏山の周辺を歩く。
「このまま隕石の跡地まで登ってみよっか?」
「賛成! せっかく天気も良いし。ね、お兄ちゃん!」
「ああ、うん。そうだけど……」
意気揚々と前を歩く女子二人から隣を歩くチビへ視線を送ってみると、案の定彼は眉間に皺を寄せていた。
"またあんな怖いところに行くなんて冗談じゃないよ"
このように僕は小さい頃からチビの気持ちが読める。元々臆病な犬なのは分かってるし、今も嫌がっているなら仕方ない。僕は肩を竦めるとナナシ達を呼び止め、チビが疲れてきてるからという理由で家に引き返すことにした。
帰りはナナシがリードを持ち、チビのペースに合わせてゆっくりと歩いてくれている。一切急かすことなく、ただただのんびりと。そんな道中、チビはこんなことをぼやく。
"ナナシのこういうところ、ぼくは悪くないと思う。色んな意味で"
最後に僕の方をちら、と見るとすました顔で歩くチビ。"その視線は何だよ"と問いかけても彼からの返答はなく、その内に我が家が見えてきたのであった。
***
散歩の後は、夕飯までの間にスクールの宿題を三人で協力し合いながら何とか終わらせた。とは言っても、殆どナナシから教えてもらう形だったけど。
そして今夜のメインはママの得意料理であり僕の大好物のハンバーグ。今回は少し奮発したらしく、国産ビーフ百パーセントという贅沢なもの。
「ママさん、すっごく美味しいです……!」
「ナナシちゃん、おかわりもあるからいっぱい食べてね。ネスはトレーシーを見習って、野菜もしっかり食べるのよ?」
「うっ、分かってるよ……」
「ネス、昔からピーマンとか苦手だったよねえ」
四人で談笑しながらの夕食はいつも以上に楽しいもので、あっという間に時間は過ぎていった。食べ終えるとナナシは片付けを手伝いたいと言い、ママと並んで食器を洗い始める。
「ありがとう、助かるわ。ナナシちゃんが将来ウチに嫁いでくれたらもっと楽しくなるのに……なんてね♪」
ママはそんなことを言いつつ僕の方に視線だけ向けてきたけど、気付かないフリをして風呂に向かう。全く、いつもの気まぐれだとしてもナナシを困らせるようなこと言わないでほしいよ。
浴室に入っても僕の心臓はどくどくと激しく脈を打っていた。しばらくシャワーを浴びながら目を瞑っていると、脳内に浮かんでくるのは大人になった僕とナナシが並び立つ姿で――いや待て、それ以上は想像するな。僕が望んでいる光景だとしても、ナナシの心は分からないじゃないか。
***
夜八時頃。僕が脱衣所を出ると入れ替わるようにしてナナシとトレーシーが入っていく。浴室の隣の部屋にある洗面台で歯磨きをしていると、壁の向こうから二人の話し声が聞こえてきた。
「そういえばトレーシーちゃんは気になる男の子とかいる? クラスメイトとかにさ」
「い、いないもん! それよりナナシさんこそいるんでしょっ」
「えっ、私は……その、」
「当ててあげるわ、お兄ちゃんでしょ!」
――泡立った歯磨き粉を吹き出すまいと咄嗟に口を塞ぐ僕。ママもトレーシーも一体どういうつもりか、と思いながらも僕は彼女の本心を聞くことを何よりも恐れていた。
早くここから離れればいいのに、足は根が生えているかのように動かない。まるで金縛りにあったみたいだ。静まり返った浴室から、微かに聞こえてきたナナシの答えは――。
「……そうだよ。私、ネスのことが好き。流石にトレーシーちゃんは気付いてたかあ」
「前からナナシさんがお兄ちゃんの側にいる時の顔とか見てたら、なんとなく分かるもの」
手に持っていたプラスチックのコップが、軽い音を立てて床に転がる。"水を入れてなくて良かった"とどこか他人事のように感じながら、僕はナナシの言葉を頭の中で繰り返していた。
「やっぱりそうだったんだ。ねえ、お兄ちゃんのことはいつから?」
「好きだって自覚したのは最近かな。昔から一緒にいると安心して自分をさらけ出せるっていうか……あっ、この話はネスには絶対内緒だからね?」
「大丈夫よ。私としてはナナシさんがお兄ちゃんのこと好きだって分かって嬉しいし、全力で応援するわ。自分の大好きな人達が結ばれたら最高だもん」
「ありがとう、トレーシーちゃん。私も頑張るけど、後はネスの気持ち次第だからね……」
やがて二人の会話が終わると湯船から上がる音がしたので、僕は慌てて口をゆすいで二階の自室へ駆け込んだ。万が一盗み聞きしていたことがバレたら何を言われるか分からない。何より今の僕じゃナナシを直視するなんて無理だ。すぐにベッドに飛び込むと掛け布団で全身を覆い隠して、枕に顔を埋める。
どうしよう、さっきから顔の熱は引かないし心臓の鼓動も痛いほどに激しいままだ。さっき聞いたナナシの言葉が何度も何度も再生されて、頭の中を支配していた。"ナナシは僕のことが好き"――その事実が胸をこんなにも熱くさせる。
「あれ、お兄ちゃん先に寝ちゃったみたい。ナナシさんは私の部屋で一緒に寝ようね」
「うん。ありがとう」
妹の部屋から微かに聞こえてくるナナシの話し声を振り切るため、お気に入りの曲を小声で口ずさみ意識を必死に逸らしていく。
ああ、明日からどんな顔をしてナナシと過ごしていけばいいんだろう。しかしこれは、彼女と進展できる最大のチャンスでもある。問題は今後どう動けば良いのかということだ。
彼女の気持ちを知ってしまった以上ここはより慎重に、いやむしろ大胆に攻めていくべきなのか。でも押しが強過ぎて引かれるのもまずいな。こうして悶々としている間にも夜は更けていく――。
妹の手回しでクラスメイトまで巻き込んでいきそうな勢い。