オセロ・ゲーム
世間では"長続きしている恋愛はいずれマンネリ化する"という俗説があるけど、それを聞く度に僕はひっそりと鼻で笑う。だって、僕の恋人はいつだって面白可笑しく楽しませてくれるんだから。そう、丁度今だって――。
「で、ナナシ。僕はいつまでこうしてればいいのかな?」
「ま、待ってネス! えっと、壁に追い詰めたら、そっと顔を……ってやっぱ無理ぃ……!」
ある冬の昼下がり。人気の無い廊下の行き止まりで、僕は壁を背にして目の前の恋人が狼狽えてる姿を眺めていた。ことの始まりは彼女の"いつもネスばかり余裕そうでムカつく"という発言。
どうやら自分も優位に立ちたいらしく、最近はあらゆる方法でこちらを翻弄しようとしてくる。しかし悲しいかな、僕からマウントを取れる域には全然達していない。現にナナシは僕に"壁ドン"をしているけど、羞恥心に阻まれているのか硬直してしまっている。本当に可愛いな。
「ほら、早くしないと誰か来るよ?」
「わ、分かってるから静かにしてっ……!」
「これじゃどっちが追い詰めてるのか分からないね」
僕としては今の状況を楽しんでいたいけど、このままだと埒が明かない。ちょっとお手本を見せてみようかな。僕はナナシの手首を掴むと引き寄せ、そのまま身体の向きを反転させる。
これで今度は彼女が壁を背にする番となった。掴んだままの手首をナナシの両側で押さえつけ、至近距離まで顔を寄せていくと彼女は行き場を失った視線を床に向ける。
「ナナシ、"壁ドン"っていうのはこうやるんだよ。分かった?」
とうとう反発できなくなったらしく、唇を噛み耳まで真っ赤になる彼女を見て口元を緩める。もう本当に、君はどこまで僕を夢中にさせたら気が済むんだろう。
普段の勝ち気で元気なところも僕の前だけで見せてくれる"しおらしさ"も、全てが愛らしい。午後の予鈴が鳴って人の気配も増えてきたし、ナナシの為にもとりあえずはこの辺にしておこうかな――。
***
またもネスから強烈なカウンターをもらって数日後。敗北を重ねてきた私に再びチャンスが訪れる。今夜は屋敷の消灯時間まで私の部屋で遊ぶ約束をしており、二人で対戦ゲームをしていた。まあ、ここでも彼に押されっぱなしなのが日頃の悔しさを更に煽る訳で。
私が負ける度ににっこりと勝ち誇った笑みを向けてくるネスになんとしても一泡吹かせてやりたい。次のゲームこそ勝ってみせる、と気合いを入れてコントローラーを握り直した瞬間――目の前の画面が、音が、周囲の全てが闇に閉ざされた。
「や、やだっ、何!?」
「落ち着いて、停電だよ」
すぐ隣からネスの声が聞こえたと同時に私の手は温かなものに包まれる。これはきっと彼の手だ。お互いの姿は見えずとも、握られている部分から熱を感じることで安心感を覚える。ちょっと意地悪なところもあるけど、さり気ない優しさも併せ持っている彼だから惹かれてしまうんだ。
しかし問題は視覚だけではない。停電によるものなら電灯だけでなく暖房も消えてしまっているということ。熱源を失った部屋は少しずつ温度を下げていき、身体が小刻みに震えだす。きっとネスも寒いはずだし、ここは私が何とかしなければ。
「そうだ、確かベッドの上にブランケットあったかも!」
焦っていきなり立ち上がったのが不味かった。長時間座っていたことで折り畳まれていた足からじんわりとした痺れが走り、力が入らず重心を崩した私は前のめりに倒れてしまった。
しかし身体に伝わってきたのは床に激突した痛みではなく、温かく柔らかい感触。まさか私は――その瞬間、視界が真っ白になり電気が復旧したのだと悟る。そして明るさに目が慣れてきた頃、私の下には想像していた通りの光景があった。
「……随分と大胆なことするね」
「……ご、ごめん」
私は仰向けに倒れているネスの上に私が覆い被さり、完全に押し倒しているような格好になっていたのである。慌てて退こうとするけど、まだ足が痺れていて上手く力が入らない。
慌てふためく私をしばらく眺めていたネスは突然両腕を伸ばしてきたと思うと、なんと私の背中に回して引き寄せてきたではないか。こうなると身動きすらできず、お互いの鼻先が触れ合いそうになる。
「えっ、ちょっ……」
「この前の"壁ドン"のリベンジ、ここでやってみる?」
こちらを試すかのように目を細め、これまた余裕げに微笑むネス。なんでよ、何でこんな状態なのに笑っていられるの。どうせまた"ナナシには無理だろう"とか思っているんじゃないのか。頭の先から爪先にかけて、かっと熱いものが駆け巡る。
冗談じゃない。私が普段どれだけ君のことを好きで好きで堪らず、思い悩んでいるのか分からないのか。気付けば私は顔を少しだけ傾けて、彼の唇へと口付けを落としていた。
目を閉じていたせいか唇の柔らかな感触がより深く感じられて、それが不思議と気持ちよくなってしまう。遂に酸素を求めてゆっくりと顔を離すと、お互いに無言のまま身を起こした。
私は自分からしたのにも関わらず自身の口元を押さえて呆然としてしまう。そしてネスはというと、らしくなく片手で顔を覆っていた。こんな彼は初めて見たかもしれない。そして指の隙間から漏れた声を、私は聞き逃さなかった。
「……今のは効いたかも」
その呟きを聞いて、改めて自分がしでかしたことの重大さを思い知る。だけどこれは私にとって初の白星なのでは。いや、今まともに彼の顔が見られないのに"私の勝ち"とするのは如何なものか。きっとネスも素直に認めないだろう。そういう訳で、取り敢えず今回は"引き分け"という形で自分を納得させたのであった――。
これ以降ネス君は仕掛け方を真剣に考え始めます。余裕げな攻め側が狼狽える展開も良いものですな。