輝き
今日は日曜日。バイトも休みで暇だった僕は、ナナシのランニングに付き合っていた。
今朝いきなり彼女から電話がかかってきたのがことの始まりで、思いがけない内容に僕はひたすら上がっていくテンションを抑えつつ、彼女に付き合うことにした。
僕の家からスタートして町内を抜けて、くちばし岬まで一気に駆け抜けた。その頃にはナナシの息が上がっていたから、今はこうしてベンチに座って休憩中。
僕はまだまだ走れるけど、ナナシにはキツかったみたいでまだ肩で息をしていた。
「あの距離を休まず走るのってキツいね……」
「継続していけばもっと長く走れるようになるよ」
「うーん……頑張る」
汗を拭きながら僕の方を見て笑うナナシは、どことなく色気に溢れていた。今の彼女は白い薄地のシャツを着ていて、服は汗で身体に張り付いてる状態だ。
体のラインに服がぴっちりと張り付いてる様は本当に……って、僕は一体何を考えてるんだ。僕は自分の邪念を振り払うために首を横に振った。
ナナシはそんな僕の小さな葛藤に気付かないまま水を美味しそうに飲んでいる。そして立ち上がると軽く背伸びを始めた。正直に言うけど今の僕には刺激的な光景だ。
仕方ないだろう。この年頃になると――つい意識してしまうんだ。すると彼女は突然こちらを向いてきた。どうやら僕の視線に気付いたらしい。
「どうしたの? さっきから私のこと見てて……」
「えっ? あっ、その……ごめん、なんでもないんだ」
「変なネスー」
くすくすと笑うナナシから僕は慌てて目を逸らす。まさか見惚れていたなんて言えない。
実は僕、幼い頃からナナシに密かな恋心を寄せているんだ。ジュニア・スクールの頃から今までアプローチっぽいこともしてきたけど、どれも効果は薄くて――。
十八歳になった今、そろそろ大胆に攻めないといけないのかなと思う。でもいきなり告白したとして、それが失敗に終わったりでもしたら。僕にはその先を考えるのが恐ろしくて堪らない。
友人達は僕のことを男前になったとか勇敢だとか褒めてくれるけど、恋に関してはいつまで経っても臆病者なんだ。
悶々と考えていると、ナナシが不思議そうな顔をしながら聞いてきた。
「ねえ、ネスはこの後予定ある?」
「え? 特に無いけど……」
「それなら一緒に出かけない?私行きたいところがあるんだ」
え、これはもしかしてデートのお誘いなのか? 今朝から嬉しいサプライズの連続に僕は心の中でガッツポーズをとった。興奮する心を抑えて平静を保つ。
「いいよ。どこに行くの?」
「それは内緒」
悪戯っぽく笑ってみせる彼女に思わずどきりとする。ああ、もう本当に好き。休憩後僕らはオネットの市街地へ繰り出した。行き先は秘密とのことなので、とりあえずナナシについていく。
街中を歩いていると時々カップルを見かける。僕達もいずれあんな風に見られるような関係になれたらなあ、と心の中でぼやく。
「ここだよ」
しばらく歩くと目的地に着いたようで、彼女は立ち止まった。そこは小さな雑貨屋だった。ここ最近オープンした店で、よく妹のトレーシーが友達と一緒に通ってたりしている。
僕はというと、何度も店の前を通り過ぎることはあっても入ったことは一度も無かった。
店内に入ると、大人が好むシックなものから年頃の女の子達が喜ぶような可愛らしいものまで、様々なアイテムが所狭しと並べられていた。ナナシは嬉しそうに気になる商品を手に取って眺め始める。
「ナナシが行きたいって言ってた場所って、ここ?」
「うん、そうだよ。前から行こうって思ってたんだ」
何でまたこんなところに? という疑問を口にしようとした時、店の奥の方から店員らしき人がやってきた。エプロン姿の女性で、頭にバンダナを巻いている。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
「こんにちは。あの、こんな感じのアクセサリーってありますか? できれば青系とかがあればいいんですけど……」
そういってナナシは携帯を取り出すと、それに付いてるアクセサリーを店員に見せた。銀色に光っていて小さいながらも存在を主張している。
それはシンプルなデザインのレリーフが入っていて、中央には緑色の小さな石がはめ込まれていた。
店員はすぐにナナシをアクセサリーの棚に案内した。ナナシはお礼を言うと真剣な顔をして商品をじっくりと見ていく。
「いいの見つかった?」
「待って……もうちょっと探してみるから……」
「ゆっくりで大丈夫だからね」
「ありがとう」
ナナシは笑顔で返事をすると再び陳列された商品を吟味し始めた。僕は適当に帽子のコーナーを歩き回り、良さげなものを手に取って眺めていた。
この紺色の帽子とか、被ってみたらナナシから格好良いとか言われたり……しないかな。
しばらくするとアクセサリー売り場の方から「見つけた!」と声が上がる。そうしてナナシが手に取っていたのは、彼女の携帯に付いてるアクセサリーの色違い。金の四角いレリーフに青色の石がはめ込まれた綺麗なものだった。
「それを探してたの?」
「うん。すぐ買ってくるから待ってて!」
そう言うや否やナナシはすぐさまレジに向かっていき、会計を済ませるとすぐに戻ってきた。そうして僕達が店の外に出ると、外はすっかり橙色に染まっていた。
ちら、とナナシの方を見ると実に嬉しそうな顔をして小さな紙袋を見つめていた。その横顔を見ていると僕の顔は徐々に熱を帯びていく。
「ナナシ、嬉しそうだね」
「うん。良いのが見つかって良かった」
そういうとナナシは立ち止まって、くるりと僕の方に向き直った。なんだろうと思っていると、彼女は突然手に持っている紙袋を僕に差し出してきた。
「これ、ネスにあげる!」
「え、でもこれナナシが欲しくて買ったんじゃ?」
「ううん。元々ネスにあげようと思って買ったものだから」
それってもしかして。期待してしまう心を必死に抑える。僕は恐る恐る中身を確認した。そこにはさっき店で見たものと同じデザインのもの。
僕はそれをそっと持ち上げた。金色の長方形の中に青色に輝く石――それがきらりと光っている。
「それ、私のとお揃い」
僕は驚いて顔を上げた。今日は一体どうなってるんだ。今朝のお誘いの時点で舞い上がる思いだったというのに、こうしてプレゼントまで受け取ることになるなんて。もしかして数ヶ月分の運を使い果たしてしまったんだろうか、と少し不安になりそうだ。
「あのね、昔からネスは私のこと色々と支えてくれて、その……こういう形になったけど、一応日頃のお礼……のつもり」
そう言いながらナナシは耳まで真っ赤になっている。そんな彼女に愛しさを感じずにはいられない。今の僕は緩む頬を引き締めるのに精一杯だった。
「ありがとう、ナナシ。大事にするよ」
「うん、よかった……」
僕がそう言うと彼女は安心したようで、小さく微笑んだ。そういう控えめなところも僕を惹いてるんだよ。
「ねえ、ここで着けてみてもいいかな?」
僕が尋ねると彼女はこくりとうなずいた。早速アクセサリーを自分の携帯に付けてみると、それは夕日に照らされて金色に輝いていた。
隣ではナナシが同じように携帯を取り出して嬉しそうにしている。それにも僕とお揃いの色違いのアクセサリーが下がっている。
このアクセサリーがまるで僕ら二人の関係を表しているかのように思えて、少しだけ胸の奥が締め付けられる気がした。早く、君に想いを伝えたい。僕のものにしたい。
「どうしたの?」
不思議そうな顔をしてこちらを見る彼女を見て、慌てて平静を装う。本当ならこのまま勢いに乗せてアタックできたらいいのに。
頭で分かっていてもそれができない僕は本当に奥手だ。好きな人の前ではいつもこう。自分が情けなくなってくる。
「なんでもない。ただ、嬉しいなって思っただけだよ」
「そ、そっか」
ナナシは僕の心境を悟ることなく頷く。本当ならテレパシーでもなんでも使ってすぐに想いを伝えたい。でもこういうのは自分の口から直接伝えることに意味が有る。
だからこそ結果を恐れ、あらゆる返答を想定しては足踏みをしてしまう。振り返ってみれば、昔から今に至るまでずっとこの繰り返しだった。
「そろそろ帰ろうか」
「うん」
僕とナナシはゆっくりと家に向かって歩き始めた。今日は折角二人きりで過ごすという最大のチャンスが来てたのに。
普段はお互いバイトやら用事やらで中々二人だけで行動する機会を得られなかった分、今回は距離を縮められたことを思うと決してマイナスではないんだけども。
ナナシは今何を考えているんだろうか。彼女の方を見ると少し俯きながら僕についてきていた。その頬が赤く見えたのは夕日のせいなのか。そのまましばらく無言で歩いていると、ふと彼女が足を止めた。
どうしたのかと思い振り返ると、彼女はゆっくりと深呼吸していて、やがて意を決したように口を開く。でもその声はとてもか細く、聞き逃してしまいそうだった。
「私さ……ネスのこと――」
「えっ?」
思わず声を上げてしまい、ナナシは言いかけた言葉を止めて口をつぐんでしまった。一体何を言うつもりだったんだろうか。
すごく気になるけど、なんだか怖くて聞けなかった。何度も言うけど、好きな人からの言動には常に臆病になってしまう。
「ごめん、何でもない! 気にしないで!」
ナナシは慌てて取り繕うように笑って見せた。でもその笑顔が何故だか悲しそうに見えて、僕は胸が苦しくなった。
彼女から見た僕は、どう映ってるんだろう。今でもただの友達?それとも少しでも異性として、見てくれてるのか?
今のナナシを見ている内に、まるで自分が自分ではないような感覚に陥る。先程まで抱いていた恐れは何処へやら、自身の両足は自然にゆっくりとナナシに歩み寄っていた。
「――あのさ」
「え、うん……」
「僕ね、ずっと昔から君のことが好き、なんだ」
「え!?」
今までずっとずっと脳内に浮かばせていただけの言葉が、遂に声としてナナシの耳に届いていった。突然の告白に彼女は驚いているようだった。当然かと思いつつも僕は続ける。もう後には引き返せない。
「君といるといつも温かくて優しい気持ちになれて……一緒に居ると楽しくてさ。それで気付いたら好きになってたんだ」
「ネス……」
「だからさ、これからは僕のこと……ひとりの男として見てほしい」
ナナシは驚いた表情のまま固まっている。僕は本能のまま勢いに乗った。後は全て彼女次第だ。これ以上何も言わず静かに返事を待っていると、彼女の目尻に雫が溜まり始めた。
まさか泣かれるとは思わなかったから、僕は焦ってしまった。流石にこんなパターンは想定していなくて、情けないことにただ右往左往するしかなかった。
「……ネスも、同じ気持ちだったの?」
しばらくして落ち着いたのか、ナナシがぽつりと言った。同じ気持ち。僕はナナシが好き。イコール、ナナシも僕のことを?
「同じ気持ちってことは……ナナシこそ、僕のこと想ってくれてたの?」
「……うん」
僕がそう言うと、ナナシは恥ずかしそうにしながらこくんと首を縦に振ってくれた。嬉しくて思わず舞い上がりそうになる。
だって、ナナシも同じ気持ちでいてくれたなんて夢にも思っていなかったから。
もしかしたらこれまでの長年のアプローチも決して無駄ではなかったんじゃないかと思うと、今までにない程の高揚感に包まれる。
「じゃあさ、これから恋人同士ってことでいいの?」
「うん。ネスが良ければそういうことになる、ね」
「そっか……そっかあ」
嬉しすぎて実感が湧かない。ずっと夢に見てたことが、今日いきなり実現してしまったから。僕は半ば夢心地のままナナシの肩に触れる。
彼女はびくりと反応したけど、抵抗することなく僕を見上げてきた。そのまま愛らしい顔を覗き込む。
こんなに近くにいると心臓の音まで聞こえてしまいそうだ。僕は本能のまま、ゆっくりと少しだけ顔を近付けていく。
「ナナシ」
「は、はいっ」
「これからも、よろしく」
「わ、私こそ……!」
まるで誓いを交わすように言葉を贈り合う。ナナシはぎゅっと目を瞑ったまま僕の想いに答えた。それが可愛くて思わず口元が綻ぶ。僕は心のままにナナシの頬に手を添えて、ゆっくりと唇を重ねた。
初めてのキスは想像以上に温かくて満たされる。ナナシは僕の両肩に手を置いて、静かに受け入れてくれていた。もうこの日から自分の心を迷わせて逃げに走るのはやめよう――。
「……ファーストキスだ」
ナナシはぼそりと言って照れくさそうに笑う。彼女の人生初めてのキスを僕が貰えたという事実に幸せを噛み締める。
そのまましばらく抱きしめあった後、どちらからともなく体を離すとお互いに顔を見合わせてぎこちなく微笑んだ。彼女は恥ずかしそうにしながらも、今度こそ真っ直ぐに僕の目を見て口を開く。
「ずっと、ネスの側にいたい……なんて」
「……それってプロポーズ?」
冗談っぽく聞いてみると、ナナシははっとして大慌てで否定した。まあ、僕の方はいつでもOKなんだけど。
でも、今すぐどうこうっていう話じゃない。今はただ一緒に居たい。それから僕達は家までの道を歩きながら二人で色んなことを話したりした。
今はそれだけで満たされる。この先どうなるのかは分からないけれど、僕はもう不安はなかった。やがて見慣れた林道が見えてくる。
ふと隣を見ると、ナナシはなんだか浮かない表情をしていた。どうかした?と聞くと、彼女は困ったように眉を下げた。
「私達が付き合うことが知られたら、友達とかから冷やかされるのかなあ、なんて」
「何だそんなこと気にしてたの。見せつけてあげればいいんだよ」
周りがどう言おうが、僕はナナシのことが大好きで、愛してる。それは変わらない事実なんだから。それにもし僕とナナシの関係を悪く言う奴がいたら――僕が黙らせる。
そう言って笑ってみせるとナナシは安堵の表情を浮かばせた。可愛いなぁ。これからはそんな表情も側で見ていられるんだね。
「そういえば、ナナシは……僕のどこを好きになってくれたの?」
ふと疑問に思ったことを尋ねると、ナナシは恥ずかしそうにしながらぽつぽつと話し始めた。
「最初は憧れてただけだった。昔から優しくてカッコよくて強くなっていくネスの姿を見ててね、私も何か自分にできることを精一杯頑張りたいって思うようになって。その内本当にネスのこと、好きになってた」
ナナシはそう言い終えて、顔を赤くしたまま目を伏せた。僕もつられて顔に熱が宿るのを感じる。
そうか、普段からナナシはそういう思いで僕のこと見てくれていたんだ。今まで気付けなかったことを悔やんでしまう。
「ありがとう、嬉しいよ」
「気になってたんだけど、ネスこそ私のどこが好き?」
「優しいところ、何事にも直向きなところとか、色々あるんだけど……やっぱり笑顔が一番良い」
僕は照れながらも正直に答えた。するとナナシは嬉しそうに頬を緩めて、片手で押さえていた。ああ、その顔が好きだ。ずっと見ていたい。僕はその火照った頬に触れていく。
ナナシは驚いた顔をしていたけど、抵抗することはなかった。とにかくもう一度ナナシとキスがしたくて堪らなくて、僕は再びゆっくりと顔を近づけていく。
ねえナナシ、これから二人一緒に色んなことを重ねていこう――。
元々は誰でも繊細な部分はある的な話を書きたかったのに少し逸れた感じに。