ネス短編8

Morning glow

Believe it?

 日曜日の昼下がり。この日は雲一つない真っ青な空が広がっていて、外出にはうってつけだ。私は今、夕食の買い物を終えてオネットの市街地を歩いている所だった。
 荷物もそこまで多くはなく、すぐ家に戻るのも勿体無く感じる。今回は少しだけ遠回りをしてみたくなって、普段とは違うルートで歩いていた時のこと。
 途中にある住宅街の一角に人だかりが出来ていて、何やら騒がしい。確かそこは長年空き地となっている場所だ。
 何事かと人混みの間から覗いてみると、そこには一張りの大きなテント。しばらくすると中から三十代ぐらいと思しき男性が現れた。
 黒の長いマントを羽織っており、カラスを彷彿とさせる容貌。何とも不気味な雰囲気を醸し出している。
 その男性は脇に抱えていた折りたたみ式の机を組み立ててその上に箱を置くと、両手をかざして何やら呟き始めた。
 途端に周囲の人達は静かになり、男性の行動を固唾を飲んで見守っている。その数秒後、机の上の箱が小さく震えだしたかと思うと――突然ゆっくりと浮き上がったのである。
 突如繰り広げられる不思議な光景を前に、歓声と共に拍手が巻き起こる。私自身も驚きはしたものの、実はそのような力を見るのは初めてではない。
 何故なら、友人の中に超能力者がいるから。男性が右手を振ると箱は再び机の上へ緩やかに落下する。

「さあ皆さん! この"奇跡"を見てどう思いました? これは"魔法"ではありません。ずばり、"超能力"というものです!」

 沸いている見物人達を見渡しながら、男性は興奮気味でまくし立てるように語り始めた。
 彼は生まれつき不思議な力を持っていて、占いをしたり一芸を見せては日銭を稼ぐことを生業としているらしい。
 よく見るとテントの中には水晶玉や蝋燭といったものも見受けられる。奥にも棚のような物は見えるものの、黒いカーテンに覆われていてよく分からない。

「ホントか? 何か仕掛けがあるんじゃないのか?」

 ふと人混みの中から疑問の声が上がる。確かに手を触れずに物体を動かすだけなら、何らかの仕掛けを施すことで超能力の再現はできるだろう。
 次々に疑いの眼差しを向ける人達に対し、男性は慌てる素振りを見せることなく落ち着きはらっている。

「まあまあ、皆さん最初はそうおっしゃるのですよ。でもね……今から見せる光景を目の当たりにすれば、小さな疑惑なんていうものは吹き飛んでいくのです!」

 そう叫ぶと同時に男性は両手を大きく広げると、全身からオーロラのような七色の光が溢れ出した。この光に包まれている内に、甘い香りのようなものもしてきて心地良くなっていく。
 周囲に光を発するようなものは見当たらない。するとこれは、本当に男性自身が放っているということなのか。
 やがて光は少しずつ薄れていき、空気に溶けるようにして掻き消えた。今まで彼の力に疑惑を抱いていた人々は我に返ると、拍手喝采が巻き起こる。

「あんたすげぇよ! 疑って悪かった!」
「私、本物の超能力を見るの初めて!」

 口々に賞賛の言葉を投げかける人々を前に満足そうな笑みを浮かべている男性。しかし、不意に私と視線が合った途端困惑の色を浮かべた。
 恐らく、他の人に比べて反応が薄かったように見えたからだろうか。

「そこの貴女、まだ私の力を信じていませんね?」
「え、私……ですか?」

 周囲の視線が一斉にこちらに向けられると居た堪れなくなる。誤魔化すように笑顔を浮かべ、逃げるようにその場から走り去った。
 後ろからはざわめきが聞こえてきたけれど、振り返ることはできない。家に着くまでの間、あの七色の光が広がる光景が頭から離れずにいた――


 休み明けの月曜日、放課後になると友人であるネスにこのことを話してみた。帰る途中、偶然バーガーショップにいた所に声をかけたのである。

「凄いんだよ、体から光を出したり物を宙に浮かせたりしててさ。ネス達の他にも本物の超能力者っていたんだなあって驚いちゃった」
「ふうん……」

 こうして昨日のことを説明している間、彼は頬杖をついて興味なさげな様子で私の話を聞いていた。普段はこういった態度を見せることはないから、余計に引っかかってしまう。

「え、何。変なこと言った……?」
「別に。それより僕、これから友達と野球する約束してるんだ。またね」

 何だか今日のネスは少し素っ気なく感じた。一体どうしたというんだろうか。戸惑いつつその背中を見送っていると、彼は小さく声を漏らし振り返った。

「信じるにしろ何事も程々にしときなよ。それじゃ」

 それだけ言うと、今度こそ店を出て行ってしまった。ひとり残された私は彼の言葉の真意を掴みきれず、ただ心の中に霧がかったものを抱えたまま呆然としていた。

***

 それから一週間ほど経った休日の昼時。私は途方にくれたまま、街の片隅で立ち尽くしている。今日は図書館で調べ物をする予定があり、朝から昼までずっと本の海に潜り続けていた。
 正午を告げる予鈴が鳴り響く中、図書館を出ようと荷物をまとめていた時。バッグに付けていたアクセサリーがひとつ、無くなっていることに気付いたのである。
 それは以前友人がプレゼントしてくれた物で、貰って以降ずっとバッグに付けて歩いている宝物だ。
 家へと帰るように心当たりのある場所を辿ってみたものの、何処にも見当たらず大きな溜息をこぼした。
 どうしたものかと頭を悩ませていると、突然背後から声をかけられた。

「おや、この間のお嬢さんではないですか」

 聞き覚えのある声に振り返るとそこには、先週空き地で超能力を披露していた男性の姿があった。相変わらず黒いマントを羽織っていて、嫌でも忘れられない程の存在感を放っている。
 確かあの時は、彼から逃げるように離れたんだった。せめて挨拶だけでもと口を開くも、言葉に詰まってしまう。

「そんなに肩を落とされて、どうしたのですか?」
「な、何でもないんです」
「いや、何も無くそのように落ち込むことがあるのでしょうか? そんな事ある訳ないのです!」

 男性は大袈裟に悲しむような素振りを見せると、流れるように私の手をとってきた。ひとり盛り上がっている男性に眉がひきつるものの、逃げられないと悟って事情を話す。

「なるほど、それは心苦しいことでしょう。私でよければ探すのをお手伝いしますよ」
「いや、いいですよ。自分で探しますから……」

 親切心から申し出てくれたのは分かるものの、流石にそこまでしてもらうのは気が引ける。やんわり断るも、男性は食い下がることなく私の手を引いて歩き出した。

「遠慮なさらず。それに、私の力を貴女に証明できる良い機会でもあるのですから。ほら、早速探し物の気配が漂ってきましたよ!」

 先程からテンションの高い男性に私は困惑するばかり。手を引かれるままに街を歩き回り、次第に人気の少ない場所に踏み込んでいく。
 その間男性は空いてる方の手を空中にかざしたまま、あの時と同様に聞いたこともない言語で何かを呟いていた。
 やがて辿り着いた先は街外れの路地裏。流石にこんな所にアクセサリーが落ちているとは考えにくい。段々と不信感を募らせていた私は、男性の手を振り払って距離をとった。

「あの、本当に自分で探してみますから」

 男性は驚いた様子で目を丸くしていたものの、すぐに満面の笑みを見せた。薄暗い中、目を大きく開いて白い歯を見せてくる男の姿はなんとも不気味なものだ。
 そして笑顔を貼り付けたまま、ゆっくりと私との距離を詰めてきた。得体の知れないものを感じ、震える足に喝を入れながら後ずさる。
 しかし背中に冷たい感触が伝わり、壁に追い詰められた事を悟った。男は更に口角を上げてにじり寄ってくる。怖いのに、上手く声が出せない。

「やだ、来ないでください……っ!」
「愚かにもここまでついて来てくれた貴女は……特別なんですよ?」

 そう言って微笑む男性の瞳には、確かな狂気が滲んでいた。恐怖のあまり身体が震えだすと、助けを求めるように周囲を見渡す。しかし、こんな路地裏に一体誰が通りかかるというのか。
 すぐに間合いを詰められると、胸の辺りに何かが押し付けられる。次の瞬間、体が跳ね上がる程の衝撃が走るとそこで意識は途絶えた――


 男はぐったりとして動かないナナシを抱えると、路地裏の更に奥へと進む。その突き当たりにはテントが張られており、男は溢れる笑みをそのままに入口を潜った。
 天井から吊るされた照明によってぼんやりと照らされる中、塗料や薬品類などが並べられている棚を横切る。
 テントの奥、分厚いカーテンを捲るとそこにはひとつの寝台があった。男はナナシをそこに寝かせると、笑みを深めながら見下ろす。

「さあ、これからたっぷりと私のことを知ってもらいますよ」

 これから始まる時間に胸を躍らせつつ、男は羽織っていたマントに手をかける――その時だった。

「あれ、変な所に来ちゃった。すみませーん」

 不意に入口の方から子供の声が聞こえてきて、男の肩が跳ね上がる。慌てて向かうと、そこには赤い野球帽を被った少年が立っていた。
 何故こんな所にと男が考えている間も、この状況にそぐわない明るい笑顔で呼びかけてくる。この少年には警戒心というものが無いのか。

「あ、こんにちは! お兄さんはここで何をしてるの?」
「やあ、坊やこそ迷子かな? ここは関係者以外立ち入りなんだ。出てくれるかい」

 ここは穏やかに振舞い早々に出て行ってもらおうと、得意の笑顔を貼り付けて対応する。しかし少年は男の顔を見つめてくるだけ。
 しばらく首を傾げていたかと思うと、何かに気付いたように軽く手を叩いた。

「よく見たらお兄さんって、今話題になってる超能力者だよね!? オネット中この話で持ちきりなんだ。凄いなあ、僕も見てみたいなあ……"超能力"!」

 少年は目を輝かせて男を見上げていた。しかし今の男にとっては、羨望の眼差しすらも鬱陶しくて堪らないのである。とにかくこのテントから追い出そうと少年の肩を掴む。

「悪いけど、いつでも簡単に見せられるようなものじゃないんだ。それより早くここから出て行ってくれないかな?」
「えぇ、折角会えたのに……そうだ、お兄さんがひとつでも超能力を見せてくれたらすぐに帰る!」

 少年の要望に男は押し黙ってしまう。突然の訪問に対処できるほどの準備が出来ていないからだ。
 こうしている間に奥で寝かせている女が目覚めてしまう可能性もある。男は適当に理由をつけて断ろうと企む。

「いや、そういう訳にもいかないんだ。今超能力を見せるのは難しいんだよ」
「どうして? 見たいよ、お兄さんの超能力! それとも、まさかとは思うけど……もしかしてインチキなの?」

 男はひどく動揺していた。何故なら目の前の少年は、口元に弧を描いているものの目は笑っていなかったからだ。その表情を見た途端、男の背筋を冷たいものが駆けていく。
 しかし子供相手に怯むこともあるまい。体格差を活かして少年を見下ろすと、圧をかけようとする。

「何を言い出すんだい、駄々をこねるものじゃないよ。さあ、早くお家にお帰り」
「嫌だ。どうしても見たいんだよ!」

 頑なに首を縦に振らない少年。これ以上会話を続ける意味はないと判断し、男は懐に隠してあるスタンガンに手を伸ばす。
 自分より小さく幼い存在だ。押さえ込んで気絶させたら、適当な山奥にでも運び込んで放置すればいい。その後はこの街から自身の痕跡を残さず去れば事は済む。
 隙を突いて近付こうとした瞬間――男の全身に鋭い痺れが走る。何が起こったのか分からないまま、背後の棚に力なくもたれ掛かる。
 かろうじて動かせる頭を上げると、目の前の少年の右手には微かな光が纏っていた。

「あれ、お兄さんどうしたの?」
「ま……まさか、君がした……のか!?」

 少年はそれには答えず、口元の笑みを深めるのみ。喉の奥で言葉を詰まらせていると、少年はゆっくりと歩み寄ってきた。
 男は必死に身体を動かそうとするが、まるで言うことを聞いてくれない。やがてすぐ傍までやってきた少年は、男の耳元で囁くように告げた。

「……だとしたら、どう?」

 男が息を呑むと同時に――背後の棚に並べてあったビンが次々に浮かび上がり、テント中を飛び交い始めた。
 目の前に広がる非現実的な光景に、男は情けなく震えた声を漏らす。ここまで追い詰められた所でようやく理解した。自分がとんでもない存在に目をつけられたことを。

「何でそんなに怯えてるの? お兄さんもこれぐらいできるんでしょ?」
「ち、違う……こんな事、私にはできない……っ」
「そうなの? じゃあ、やっぱりインチキなんだ!」

 少年は楽しそうに声を上げる。次に男の肩を掴むと、そのあどけない表情に陰りを帯びる。

「認めてくれて良かった! だって、お兄さんみたいな人のせいで超能力者が誤解されるのは嫌だもん」

 少年は男を押し倒すと更に詰め寄る。最早そこには笑みというものはなく、能面の如き色のない表情があるのみ。真っ黒な視線に射抜かれ、男は身を震わせる。
 そして少年が突然男の頬に爪を立てると、それは粘度を含んだ音を立てて引き剥がされた。彼の手には破けた薄いゴムの膜が握られており、男は曝け出された素顔に驚愕の表情を浮かばせる。

「お兄さん、もうひとつ隠してることあるよね?」

 言うと同時に少年の人差し指が奥のカーテンに向けられ、耳障りな音を立てて引き裂かれていく。寝台に寝かされたナナシの姿が露になると、男は短い悲鳴を上げた。
 少年は立ち上がると、今度はナナシの元へ歩いていく。彼女は未だに意識を失っているらしく反応がない。
 様子を一通り確認した少年は安堵するように頬を緩める。その横顔とこれまでの言動で、男は全てを察した。
 最初からこの少年はこちらの動向を把握していたのではないか。そして今回迷い込んだふりをしつつ、あの女を助けに来たのではないかと。

「街の人達を騙してた上に僕の友達にも手を出すとはね。すぐに嘘だってことを認めたから許そうと思ってたけど……やっぱり気が済まないや」

 少年の静かな怒りを感じ取った途端、今まで浮いていた瓶が男の真横の壁に叩きつけられた。薬品特有の匂いが男の鼻腔を刺激する。
 我に帰った男は何とか逃げようと足掻くが、麻痺した体ではそれも叶わない。恐怖で歪んだ顔を少年に向けると、彼は酷薄な笑みを浮かべたまま言い放った。

「もう二度とこんなことしない?って聞いたところで、嘘つくんだろうなぁ」
「ち、誓う! 二度としない、だから許してくれ……!」

 男は泣き言を漏らしながら懇願する。少年は相変わらず笑ったままだったが、瞳の奥に底知れぬ気迫を感じた。その表情に一層恐怖を覚えた男は、歯を鳴らして震える。
 そんな様子をしばらく眺めていた少年だったが、ふと何か思いついたように手を叩いた。

「そう、じゃああの空き地に行って、みんなを騙してたことを謝ろうね。そして警察へ出頭するんだ」
「わ、分かった! 約束する、必ず行くから……!」
「絶対だよ。何処へ逃げようとしても無駄だからね。それと、彼女は返してもらうから」

 少年の言葉に男は何度もがくがくと首を縦に振る。少年は満足そうに微笑み、ナナシを背負うとテントを後にした――


 ネスに助け出された私は、家に帰る途中で事の顛末を聞かされた。以前他の町に住む友人から男の噂を聞いていたネスは、彼がオネットに現れたのを切っ掛けに裏で動向を探っていたという。
 そしてあの時。私が男と行動している所を見かけたネスはこっそり後をつけ、居場所を突き止めると同時に私を救出。聞けばあの男は元々、映像撮影用の小道具を作る仕事に携わっていたらしい。
 今までも特製のゴムマスクで別人に変装しては、様々な街で人を騙して金目の物を集めたりと碌でもない事をしてきたという。
 男の全身から溢れていた七色の光も、実はマントの裏に仕掛けていた小型の発光装置によるものだということを知る。
 全てを聞いた私は自分の愚かさに呆れ果て、項垂れることしかできなかった。

「何か、ごめん」
「どうして謝るの? 悪いのは君じゃないよ」
「でも……私がしっかりしてたらこんなことにならなかった訳だし」

 私の言葉に、ネスは静かに首を横に振った。その表情は柔らかいもので、優しげな声が耳に響いてくる。

「ナナシが無事ならそれでいいんだよ。僕だって心配したんだからね。そうだ、これナナシのじゃない?」

 思い出したかのようにズボンのポケットから取り出してきたのは、私が探していたアクセサリーだった。土埃がついて汚れているものの、目立った傷はなくて安心する。

「図書館の近くで拾ったんだ。いつもナナシのバッグに付いてるのに似てたから、もしかしてと思って拾っておいたんだよ」
「良かった……! もう見つからないかと思ってた。ネス、ありがとう!」

 ネスの優しさに心がじんわりと温かくなる。それと同時に胸の奥で熱く疼くものを感じ、それを誤魔化すように目を伏せる。
 夕暮れ時、例の男は約束通り空き地に人を集めると全てを自白した。その姿は何かを恐れているようで、しきりに辺りを見渡していた。
 周囲から落胆や呆れの混ざった声が響く中、私はネスの忠告を思い出していた。

「信じるにしろ程々に、かあ……」
「僕の言ったこと、覚えてくれてたんだね」
「うん、まあ。でもさ、一つぐらい心から信じていたいことってあると思うんだよね。その、ネスのことだって信じてるし」

 そう言って振り返ると、ネスは目を丸くしていた。よく考えたら少し大胆な発言だったかもしれない。
 一度口から出たものは仕方ないと思いつつ視線を逸らすと、私の手は彼のものに包み込まれた。

「そうだね。僕もナナシのこと、信頼してるから」

 その言葉を受け、何故だか私の顔には熱が集まってくる。思わず繋がれた手に力が入ると、ネスも遠くへと視線を移して頬を掻いていた。この胸に渦巻く熱の正体を自覚するのはまだ先の話――

黒っぽいネスが書きたくなって。 




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