ネス短編9

Morning glow

相違

 私はネスのことが好き。幼馴染として過ごしている内に抱いてきた想いは、歳を重ねていくに連れて大きくなっていた。
 だけどこの想いを誰かに打ち明けたことは一度もない。特にネス本人には言える訳がない。
 きっと驚かせたり迷惑になるかもしれないし、今まで築いてきた関係すら壊れるかも知れないと思うと恐ろしい。
 そんな意気地無しの私が十五歳の誕生日を迎えて間もない頃、クラスではこんな噂が流れていた。"ネスには好きな人がいる"と。
 恋愛事といえば年頃の少年少女達には敏感な話題だし、学校ではこういった噂はすぐに広まる。
 同学年の中でもモテると評判のネスの話なら尚更のこと。なので当然その噂はすぐに私の耳にも入ってきた。
 クラスの女子の間で毎日のようにネスの好きな人は誰なのかという話が飛び交う中、私が苦悩の末に導き出した答え。
 それは――彼から距離を置くことだった。これ以上姿を見ていると辛くなるだけだ。そんなことを知らずにネスは今日もにこやかに挨拶をしてくる。

「やあナナシ、おはよう!」
「……おはよう。私、用事あるから」

 それだけ言って私はネスの側から離れる。後ろで彼が呼び止めようとしているけど、必要以上に会話をしてはいけない。
 そう強く決めたんだから。それからというものの、彼と話す機会はめっきり減っていった。
 なるべく顔を合わせず、出会いそうになればひっそりと隠れてやり過ごす日々。これがお互いの為になるならいい。
 そう思っていれば痛みも抑えられるから。そんなある日の放課後のことだった。


 日直の仕事を終えた頃には日も暮れていた。人気のない校庭を抜けて校門を出ると、そこではネスが門の壁に寄りかかりながら立っていた。
 彼は私の姿を見つけるとすたすたと近寄ってくる。まさか私を待っていたというのか。想像すらしていない光景に足が固まってしまい、接近を許してしまった。

「こうして顔を合わせるの、久しぶりだね」
「……そうだね」

 そこで会話は止まり、私達の間には重い静寂が訪れる。この沈黙は永遠にも感じられた。実際には一分も経ってなかったかもしれない。
 けれどもそのくらい長く思えた。沈黙に耐えられなくなった私はひとつの疑問を口にする。

「こんな時間まで……どうしたの」
「君に聞きたいことがあるんだ。最近になって急に僕を避けるようになったのはどうして?」

 やはりいつかは聞かれるだろうなと、心の隅ではわかっていた。問い詰められれば言い逃れができなくなるということも。
 いつの間にか袋小路に踏み込んでいた私は、胸に溜め込んでいたものを少しずつ吐き出すように口を開いた。その声は自分でも驚く程に拙い。

「だって……もう関わらない方がいいと思ったから」

 私がそういうとネスは一瞬目を見開き、首をかしげた。当然か。彼からしたら理由すらわからないんだから。

「何で? 僕、訳がわからないんだけど」

 本当のことを言うべきなのか。でも言った所で何になる。けれど黙っていたらネスは私から離れていかない。
 そんな考えが頭の中をぐるぐると駆け巡る。そして出た結論は、自分の意志とは関係なく口からこぼれていた。

「……言えない」

 私は小さく首を横に振って俯いた。きっと今の顔は誰にも見せられないほど歪んでいるに違いない。そんな顔を見られたくなくて必死に隠した。
 その時、目の前にいる彼がどんな顔をしていたのかなんて知る由もなかった。

「どうしても?」

 ネスは問いかけてくる。その声には色というものがなく、怒りや悲しみといったものも感じられない。
 今度は私が戸惑う番で、沈黙を貫くことしかできない。もしかしたらこのまま黙り続けていれば、彼は呆れて私から離れてくれるんじゃないか。
 そうしてもらえるなら私は未練を抱える必要もないんだから。彼から目を逸らして時間が流れていくのをただ待とうとした時だった。
 視界の外で大きなため息が聞こえてきたと同時に近付いてくる気配がしてきた。きっと時間の無駄だと感じてそのまま私の前を横切ってくれるのでは。
 そう思っていたのに、彼は目の前で立ち止まると肩を掴んできて、壁に押し付けてきたのである。

「やだ、何すんの」
「沈黙ってお互いに無駄な時間だと思わない?」

 今まで聞いたことのないような低い声でそう囁かれ、思わず体が震え上がる。こんなネスは初めて見た。彼の手を振り払おうとしても力が強すぎて離れることができない。
 気付けばいつの間にか身長は抜かされているし、声も昔より低くなっていて。こうして彼の身体は着実に大人のそれへと近付いていく。その変化が私には怖いと思う時があった。
 やがて抵抗する気力すら無くなっていく頃、ようやく手が離れた。解放された安堵感から全身の力が抜け落ちそうになるけど何とか踏ん張る。
 ネスはそこから動く気配はなく、答えを聞くまで逃してくれるつもりはないらしい。

「わかった……」

 諦めるように呟いて重い口を開こうとしたが、緊張から上手く言葉が出てこずに詰まってしまう。それでも彼は急かすことなく私の言葉を待っているようだった。

「私、ネスの側にいると、辛い」

 やっと出てきた一言は、自分が思ってた以上に小さなものでしかなかった。けれどもしっかり彼には聞こえていて、片眉がぴくりと吊り上がる。

「どういう意味?」
「だから、ネスの姿を見てると苦しくなってくんの。ネスこそ、何で私に構うの。もっと寄っていくべき人がいるんじゃないの?」

 一度声に出してしまえば堰を切ったように溢れていく。それはもう止められそうになかった。するとネスは私の頬に手を添えるなり強引に上を向かせて、目を合わせてきた。
 その黒紫色の瞳は真っ直ぐこちらを見据えていて、視線を外すことができない。呼吸は小さく不規則になり、声も出せない。

「質問をする前に僕の聞いたことに答えてよ。どうして苦しくなるの」

 どうして。その問いは一番聞かれたくないものだった。何故ならその理由はたった一つしかない。私の想いは打ち明ける前に砕かれてしまったんだから。

「今の私は、ネスの側にいたら駄目な立場だから」
「誰が決めたのさ、そんなこと」

 その言葉を聞いた瞬間、体の奥底が熱くなった。同時に、何かが崩れ落ちる音が聞こえる。
 ずっと我慢していたものが、抑えつけていたものが次々と崩壊していく。私は涙を浮かべながら、ありのままの気持ちをぶつけた。

「ネスには好きな人がいるんでしょ。なのに私なんかと絡んでたらいつまで経っても成就しないじゃん! 折角……影から応援しようって、そう決めようとしてたのに、」

 矢継ぎ早に溢れる声も今の心を映したように掠れていく。すると、頭上から再び深いため息が落ちてきた。

「……ナナシは本当に馬鹿だなぁ」

 口元を緩ませて呆れたといった風に見下ろしてくるネスに苛立ちも湧いてきてしまう。馬鹿と言われる筋合いはないはずだと。

「ば、馬鹿……? 人の気も知らないで、」
「うん。君こそ僕の気持ちも知らないで一人で突っ走って悲劇のヒロイン気取ってるんだもん」

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。僕の気持ちも知らないで、とはどういう意味なのか。確かに私はネスが誰のことを好きかまでは知らない。
 今まで知ろうとする勇気もなかったから。困惑している私を見てか、彼は苦笑しながら頭を撫でてきた。

「僕が好きなのは、今も昔もこれからも、ナナシだけなんだよ」
「え……?」

 その瞬間、時間が止まったかのように思えた。まさかの言葉だった。本当は心の奥底でずっと望んでいた言葉なのに、いざ言われるとその衝撃は計り知れないものがあった。
 私はネスのことが好きだけど、彼は違うと思っていた。だからこそ自分の思いを伝えようとは思わなかったし、この恋は実らないものだと諦めていた。
 それなのに今目の前にいる少年は、はっきりと口にした。私が好きだと。

「な、に、それ……」

 その言葉は真実なのかと確かめたくても声が出てこなかった。その代わりに視界は滲み始め、ぽたぽたと雫となって地面に落ちていく。こんな形で告白されるなんて思ってもいなかった。

「今までそんな素振り……一度も、」

 呆然とする私を見つめてネスは頭を掻きだした。どうやら彼も次に出す言葉に迷っているようだ。やがて意を決したのか今度は真剣な眼差しを向けてきて、私は思わず息を呑む。

「だって君にそんなの見せたら想いを悟られるだろうし、照れくさくて耐えられないから。でも、こうなるならもっと早く伝えれば良かった」

 そう言って彼は私の手を取ると、そっと握ってきた。彼の大きな手から温もりが伝わってきた時、胸が締め付けられるような感覚が襲ってくる。
 ネスの言葉を信じるなら、これからも彼のことを好きでいてもいいんだろうか。

「……小さな頃、君が僕の家の近所に引っ越してきたのが全ての始まりだよ。君と一緒にいると楽しくて、喧嘩とかもしてきたけど時には癒されたりしてさ。いつの間にかずっと意識してた」

 それは私も同じだった。初めて会った時からよく遊ぶようになって、いつしか彼のことが好きになっていて。
 だけどその先に進むのが怖くて、今まで友人という枠の中に留まって自分の気持ちを抑えてきた。
 まさかネスも全く同じことを考えてながら過ごしていたなんて。私達、似た者同士だったんだ。するとネスは私を抱き寄せて、背中に手を当てた。
 突然の行動に驚きつつも、彼の腕の中に包まれている安心感を覚えていた。心臓の鼓動が速くなっていくのを感じながらも、不思議と心地よかった。

「僕は君のことが大好き。だから、もう僕から離れていかないでよ」
「……ごめん。もう離れない」
「今まで傷ついた分、ナナシにはこれからも癒してもらうからね」

 やっとのことで出た返事は、小さく震えたものだった。それでもネスは嬉しかったようで、抱きしめる腕に力を込めてきた。ようやく言えた私の本当の気持ち。
 ネスの胸に顔を埋めて静かに瞼を閉じると優しく髪を撫でられる。それがまたとても愛おしくて、つい頬が緩んでしまう。
 私は自分のことをネスの側にいたらいけない存在だと思い込んで、そのせいで彼を傷付けてしまった。けれどもこれからは遠慮しない。
 やっぱり私はネスの側にいたいし、ネスも私に側にいてほしいと言ってくれた。この想いは絶対に譲らないと心に決めながら、私は彼に身を委ねた。

お互いを想いすぎてすれ違い気味になる的な。 




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