祝福
「ピットの羽根って綺麗だよね」
「そう?」
「うん、凄く。それになんだか柔らかいし」
そう呟きながらナナシは僕の羽根の感触を楽しむようにそっと撫でていた。その手つきが柔らかくて、優しくて、そして少しくすぐったい。
彼女は以前から僕のところに遊びに来ては、こうして翼に触れてきたりする。僕としては落ち着かないし何より居た堪れなくなるんだけど、決してナナシのことが嫌いなんじゃない。むしろ、最近は彼女が僕に会いに来る度に勝手に体温が上がってしまう始末だ。
初めてナナシと出会った頃、彼女は僕の姿を見るなり突然「本物の天使だ」と感激した様子で僕の手を取ってきたのは今でもよく覚えている。あんな風に僕の存在を嬉しそうに受け止めてくれるとは思わなくて、本当は嬉しかった。
それなのに当時の僕は恥ずかしくてすぐに手を離してしまったんだっけ。今思えば、少しもったいないことをしたと思う。
「あ……ごめん。綺麗だからつい何回も触っちゃって」
「い、いや、気にしてないから……」
ナナシは遠慮し始めて、ゆっくりと腕を引く。違う、本当はいつまでも触れてくれていいんだ。
本当は僕も君に触れたい。もっと君のことを知りたい。だけど言葉には出来なくて、僕は黙り込むしか出来なかった。そんな時だった。
(もう、悩むぐらいならいい加減本心をぶつければ良いのに。昨日、いえ一昨日とも全く同じ展開の繰り返しですね。これが俗に言う無限ループというものなんですよ?)
(えっ、パルテナ様!?)
突如脳内に女神の声が反響し、ナナシの前だというのに僕は取り乱してしまった。この女神はいつも唐突に声をかけてくるものだから心臓に悪い。
「えっ、どうしたの? 急に驚いたりして……なんか汗も凄いよ?」
「いやあ、何でもない!最近暑いから、ね?」
「まあ、それもそっか」
慌てて誤魔化すと、彼女は特に気にすることもなく納得してくれたようだった。
(突然声をかけてくるのは心臓に悪いですよ! よりにもよってナナシの前で……!)
(あら、私はただ悩める天使に助言しただけですよ?)
その声色は明らかに楽しげなもので、表情が見えずとも彼女が今どんな顔をしているのか嫌でも浮かんでしまう。普段どうしても助言を頂きたい時には出てきてくれないのに。
(まあ、あなたにはこれ以上の助言は必要ないみたいですね。折角良いアドバイスができると思ったのに残念です。後は頑張りなさいな〜)
(え、ちょっと待ってください! パルテナ様ぁ!)
思わず縋りたい思いを込めて叫ぶけれど、女神はそれすら愉快だと言わんばかりにクスリと笑みを零し、声の気配はそれっきり消えてしまった。全く、茶化すだけ茶化して去ってしまうんだから。思わずため息をつくと、今まで僕の様子を伺っていたナナシが興味津々といった様子でまじまじと見つめていた。
「……さっきからピットの表情、ころころ変わって百面相みたい」
「え、そうかな?」
「うん。なんだか見てると面白いよ」
愉快そうにくすくすと微笑むナナシ。その笑顔を見て、不意に僕の鼓動がドキリと跳ね上がる。一度彼女に見惚れてしまうと上手く話せない。こうなってしまうと僕はどこまでも奥手になる。
こんな調子じゃいけないと思っていても、結局いつも同じ結果になる。そんな僕の葛藤を知らずに、ナナシはいつも遊びに来てくれる。
きっと彼女の中では友達という感覚で見ているんだろう。そうでなければ毎度のように女子が一人で来ることはない。それがただただ歯痒かった。
もっとナナシの特別になりたい。この感情の正体が何なのかなんてとっくに気づいているけど、僕はずっと気付かぬふりをしてきた。今の関係を崩して先に進みたいと思う自分と、友人という関係のまま触れてもらいたいと願う自分がいて、どちらも捨てられない。
だけどやっぱりもう少しだけ彼女との距離が縮まることを望んでしまう自分もいて、僕は今日も何も言えないままでいる。パルテナ様もこんな僕を見兼ねて助言をしてくれたんだと思う。
もうそろそろ、腹を括らないといけない頃合なんだろうな。この日、彼女の気持ちを知りたくて僕は意を決して聞いてみた。
「……ねえ、ナナシ。君は僕のことをどう思ってる?」
すると彼女はきょとんとした顔になったものの、質問の意味が分かったみたいでやがて頬を赤らめた。僕も顔に熱が上がってくる感覚がして、二人して同時に俯く。
「えっ、えっと…‥私にとってピットは大事な存在だよ。一緒にいてくれて、私の話を聞いてくれたり、楽しいことも辛い事も共有しようとしてくれる優しい人。それに……」
ナナシはそこで一度言葉を区切り、穴があくほど地面を見つめていた。耳まで赤く染めた横顔は、僕の心をときめかせるのには充分な要素だった。
「ピットに憧れてたんだ。最初は本物の天使に会えて、それだけで感激してたのに、乱闘の時の姿とか普段周りのファイター達と楽しそうにやってる姿とか……そういうのを見てたら天使とか関係なく、ピットのこと意識してた」
ナナシはそこまで言うと、照れ隠しのように僕から思いっきり視線を外す。その仕草すらも愛らしく見えてしまい、彼女を今すぐ抱きしめたい衝動に駆られた。やっと聞けたんだ、ナナシの本音。嬉しくて嬉しくて仕方がない。
(パルテナ様……背中を押してくださりありがとうございます)
気まぐれな女神に感謝しながら、今度は僕が勇気を出す番だ。ゆっくりと深呼吸をして、ナナシに向き直る。僕も君のこと、あの頃からずっと意識していたんだ。
「ナナシ、」
「何……?」
「き、君が好きなんだ。初めて会った時、君が僕の手をとって目を輝かせてたあの時から……かもしれない」
僕の言葉に、ナナシは驚いたように目を大きく開く。当然の反応だろうね。だけどもう止まれなかった。
ここまできたら思いの丈を全てぶつけるだけだ。その後は全て彼女の心に委ねる。僕の中でもう覚悟は決まっていた。
「だから、もし嫌じゃなかったら、これからも僕のそばにいてほしいんだけど……」
僕の言葉を聞いたナナシは、呆然としたまましばらく沈黙を貫いていた。その沈黙が怖くて、僕は思わずぎゅっと拳を握る。
緊張のあまり鼓動が激しくなり、まともにナナシの顔を見られない。返事を待つ間、永遠とも思える時間が流れたような気がしたけれど、実際は数秒しか経っていなかったんだと思う。
ナナシはおもむろに立ち上がると、そのまま僕の胸に飛び込んできた。突然のことに驚きながらも、何とか彼女を受け止める。
「え、ちょっと、ナナシ!?」
「ピットってば、そんなこと言われたら断れるわけないよ!」
ナナシの声は震えていて、泣いているのかと思ったけれど違ったようだ。彼女は笑っていた。
「本当は私から告白しようと思ってたんだよ。なのに先に言われちゃった……私だって、ようやく覚悟を決めようとしてたんだから」
「えぇっ、そうだったの!?」
「うん。でも、ピットも同じ気持ちだったんだね。嬉しい……!」
そう言いながらナナシは僕の胸に顔を埋める。彼女の体温を感じていると、不思議と落ち着く。ああ、これが幸せっていうやつなのか。
ふと空を見上げると、雲一つ無い青空が広がり太陽が柔らかな光を降り注いでいた。まるで想いが成就したことを祝福してくれているみたいだ。本来祝福する側の天使である僕だけど、今だけはこの暖かさに浸らせてほしい。
***
こうして、突如僕の恋は実りました。夢じゃないかと疑ってしまうくらいだ。今僕とナナシは恋人として、甘やかな生活を送っている。
彼女は今でも使用人の仕事の合間に僕に顔を見せに来たり、休日は一緒に出かけたりなんてことをしている。時々他のファイターからもイジられることはあったけど、逆に見せつけてやると段々からかわれなくなった。
パルテナ様も相変わらず僕をつついたりするけど、ナナシとのことについては静かに見守ってくれている。
「ピット、明日は海の方に行かない?」
「いいね! ナナシの手作り弁当……あったらもっと嬉しいかな、なんて」
「はいはい、おかずたくさん作るから絶対残さないでよ?」
こんな他愛のない会話でさえ気持ちが高揚してきて、思わず頬が緩んでしまう。そんな毎日がとても充実していて、僕は本当に幸せ者なんだと思う。隣りで嬉しそうに笑うナナシの笑顔を、僕はずっと守りたいと思い続けている。
ピットももし恋をしたら奥手だろうなって思う。