ピット短編10

Morning glow

望むなら進め

 平日の朝八時半となると大広間は実に賑やかなものとなる。午前の部の最初の試合が九時から始まるのもあって、それに参加するファイターや観戦目的の人達が時間潰しにと集まってくるからだ。
 それに加えて巡回の清掃でやって来た使用人達も忙しなく動き回っていた。今朝の試合には僕は組まれていないけれど、密かに楽しみにしている日課があるのでこうして大広間に来ているんだ。

「あ、ピットおはようー!」
「やあ、おはようナナシ」

 清掃用のユニフォームに身を包み、モップを片手に声をかけてきたのはナナシという女の子。年は人間換算した時の僕と近くて、いつも元気で明るく、友達も多くてムードメーカーな子。

「あれ、ピットも朝の試合に出るの?」
「いや、僕は違うよ。観戦しようかなーって感じで」

 観戦が目的なのは嘘じゃないけど、本当の目当てはこうしてナナシと朝の挨拶がてらお喋りをする事だったりする。勿論彼女の仕事の邪魔にならない範囲で、短くだけど。

「そっかー。ピットの出てる試合観たいのに、いつも仕事の時間と重なっちゃうんだもんなあ」
「うーん、それは仕方ないよね」
「……げ、リーダーがこっち見てる。仕事戻らないと、またねピット!」

 慌てた様子で作業に戻っていくナナシに手を振るこの時間が、切なくも満たされる瞬間だったりする。僕は普段通り、彼女の笑顔を見られるだけで満足なんだ。
 それ以上を望むなんて今の関係を壊してしまうだけ。なんて上手く割りきることができたら、どれだけ良かっただろう。

「はー……切ない」

 椅子に座ったまま項垂れると、ひとつ大きなため息が漏れた。本当はナナシと手を繋ぎたいし抱き締めたいし、更にはキスだって――そこまで妄想してしまった所で激しく頭を左右に振る。

「わあぁっ! 僕は何考えてんだよ!」
「さっきから一人で何やってるんだ……?」

 不意に降りてきた声で我に返る僕。恐る恐る顔を上げると、そこにはいかにも困惑した様子で見つめてくるフォックスの姿があった。

「えっ、ふぉ、フォックス!? いつからここに、」
「いつからって、ピットが大広間に来る前からさ。オレも朝の試合にエントリーしてるからな」

 当然の理由に返す言葉もない。多分先程の僕の様子も全部見られていたんだろうな。周りの目も気にならなくなる程に、僕の心の中にはナナシへの想いが強く焼き付いてしまっているみたいだ。

「それより、さっきから百面相して一体どうしたんだ?」
「あ……いや、ちょっとね」

 言える訳がないじゃないか。今は遠くでモップがけをしているあの子に、僕は密かに想いを寄せていて。その上恋人同士になれたら、なんて願望を抱いていること。

「いや、分かるぞ。ナナシの事だろ?」
「うっ……!? な、何で分かったの!?」
「いやいや、上手く隠してるつもりだったのかよ……君がナナシにずっと片想いしてるのは多分皆分かってると思うぞ」
「えぇっ!? 嘘でしょ!?」

 まさかの事実に僕は思わず大声を上げてしまい、慌てて両手で口を塞いだ。大広間にいるファイターや使用人達が何事かと一斉にこちらを振り向く。幸いなことにナナシは大広間から別の場所に移動していたらしく、僕の声は聞こえていないと思いたい。

「あ、いや……何でもないです、ごめんなさい……」
「君、本当に分かりやすいな……」
「ってことは、もしかしてナナシも……?」
「いや、気付いてないだろう。彼女、何かと鈍感な所があるからな」

 フォックスのその一言に僕はほっと胸を撫で下ろす。僕の恋心は今のところナナシ本人には気付かれていないみたいだ。少し残念なような、安心できるような複雑な気持ちだけど。

「告白するなら早いに越したことはないと思うぞ。ナナシだって何時までもフリーだとは限らないしな」
「な、何それどういう意味!?」
「この屋敷でナナシを狙ってるのは君だけじゃないってことだ」

 フォックスの言葉に僕はぐっと押し黙る他なかった。確かに魅力的なナナシのことだから、他のファイターが好意を寄せていても不思議ではない。

「まあ、頑張れよ。オレはそろそろ試合だから」
「う、うん……行ってらっしゃい」

 軽く片手を上げながら大広間を去っていくフォックスを見送ると、僕はまた大きなため息をついた。ナナシは僕の事をどう思ってるのか。焦って告白したとして空回りでもしたら――なんて考え始めたらキリがなく。
 でも進展する可能性があるなら、それに賭けてみたって良いんじゃないか。こうなれば当たって砕けるしかない。

 その機会は割とすぐに訪れた。正午を知らせる予鈴が屋敷中に響き渡ると、ファイターと使用人はそれぞれ休憩時間を過ごすことになる。
 昼食を食べ終えて食堂を出ると、前方にナナシの姿を見つけた。咄嗟に声をかけると彼女は振り向き、花の舞うような笑顔を見せてくる。

「あ、ピット。お疲れ様!」
「や、やあ……ナナシも、お疲れ様」

 何だよ僕、自分から声をかけたくせに吃るなんて情けないぞ。折角のチャンスなんだからしっかり決めないとだろ。一度ごくりと唾を飲み込み、気持ちを落ち着かせる。

「あのさ、ナナシ。ちょっと話があるんだけど、良いかな」
「え、別に構わないけど……どうしたの、改まって」

 僕は勇気を振り絞ってナナシの手をぎゅっと握り締めた。突然の事に驚いたのか、彼女は目を真ん丸くして固まってしまっている。

「午後から僕の試合があるんだ。それで、もし僕が勝ったら……君に伝えたいことがある」
「伝えたいこと?」
「うん。試合自体はナナシの仕事の時間と被っちゃうけど、夕方に各試合のリプレイが観られるようになってるから……良かったら君にも観てほしくて」

 普段と違う僕の様子に圧されているのか、ナナシはただ静かに首を何度も縦に振る。さあ、もうこれで引き返すことはできないぞ。

「じゃあ、僕行くね」
「あ、ピット……頑張ってね!」

 ナナシの声援に背中を押されながら僕は廊下を駆け出した。試合まであと二十分。それまでには気持ちを切り替えて臨まなければと、自分に言い聞かせた。
 何としても勝利を勝ち取りナナシに想いを伝える。僕は拳を握り締めながら一人呟いた。

「一歩前進したな」

 背後からかけられた声に口許が緩む。振り返ればそこには僕の背中を押してくれたフォックスの姿があった。
 今朝彼に会わなければ、きっと僕は明日も同じことを繰り返しては満足した気になっていただけだろう。

「ありがとう、フォックスのお陰だよ」
「オレは何もしてないさ。それより、控え室に急げよ」

 僕はフォックスに手を振ってから再び廊下を駆け出した――

 約束の夕方。観戦ルームから出てきたナナシは、僕に満面の笑みを向けてくれた。それは彼女が僕の試合のリプレイを観てくれていたという何よりの証。

「ピット、試合凄かったよ。おめでとう! あんな遠くからの射撃を命中させるなんて流石だなあ」

 頬まで染めるほどに興奮しているナナシは、まるで自分のことのように喜んでくれている。そんな彼女の両手を取りそっと包み込めば、小さな声を漏らして僕を見上げた。

「ピット……?」
「……昼に言ったこと、覚えてる?」

 僕の言わんとしていることを理解したのか、ナナシは頬に更なる赤みを宿していく。そんな彼女が心底愛らしくて堪らない。

「僕が勝ったら君に伝えたいことがあるって」
「うん……覚えて、る」
「じゃあ改めて言うよ」

 大きく息を吸い込みゆっくりと吐き出した。今の僕は周囲に誰かがいるかもという考えに至ることもなく、ナナシしか見えていない。
 そして彼女の瞳をしっかりと見据えて口を開く。

「ずっと前から君が好きだ。僕と付き合ってほしい!」

 言えた、ようやくこの時が来た。次第にナナシの瞳は大きく揺らぎ、次の瞬間には胸元に温かな重みが掛かる。僕の脳内はこれが現実なのかを必死に受け入れようとしているくせに、身体は何の躊躇いもなく彼女を抱き締めていた――

寝る前になってようやく恋愛成就したことを実感し、一人ベッドの上でじたばた悶えるピット君。




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