結びつく
今日は日曜で、乱闘も無い自由な一日。僕はというと、やることは午前中に済ませてあって、午後からは完全に暇になってしまった。
そんな時、なんとタイミングのいいことか――友人のナナシがおやつを持ち込んで僕の部屋に遊びに来てくれたのである。
会話も弾む中、彼女はポテチの袋を取り出すとテーブルにティッシュを敷いてその上に中身を広げた。
それは刺激臭を漂わせていて、真っ赤な色からして相当辛いものだと分かる。それを美味しそうに食べている横顔を見ていると、あることを思い出した。
「ナナシ、知ってる? パルテナ様から聞いたことがあるんだけどさ、辛いものが好きな人ってMの素質があるらしいよ」
勿論確実な根拠があるわけでもなく、単なる冗談の範囲でしかない。しかし思う所があるのか、彼女のポテチを摘む手が固まった。
真顔になる様から、明らかに動揺しているのが見て取れる。何だか楽しくなってきた僕は、もう少し押して見ることにした。
「へ、へえ、何それ。初めて聞いたんだけど?」
「もしかしたら君もそういう所があるのかな……?」
少し顔を近付けてみると、ナナシは慌てた素振りで僕から距離を取ろうとした。もしかして本当に図星なのか。振り返ってみれば思い当たる節は幾つかあったかもしれないな。
「なっ、何言ってんの、そんな訳無いじゃん!」
「じゃあさ、今から試してみてもいい?」
言ってみると、彼女の顔色がみるみる青ざめていく。それにしても面白いくらい顔に出やすいな。
こういうところも一緒にいて楽しいと思える理由の一つなんだけれども。
「ピットってば、私のことからかってるでしょ!」
「ははっ、ごめんごめん。そうだ君ってさ、どうして辛いものが好きになったの?」
「え、それは……昔行ったラーメン店で美味しい坦々麺を食べたのがキッカケかな。あの味が忘れられなくて、それ以来辛いものにハマっちゃったんだ」
そう言いながらナナシは自分の頬に手を当てて微笑む。あれ、なんか可愛い――って、何を考えてるんだ僕は。突然降りてきた熱を払うように、頭を軽く振って相槌を打つ。
ひとまず会話に区切りを付けると、彼女は袋から透明の容器を取り出した。中には赤く小さな実がいくつも詰め込まれている。
これは"さくらんぼ"か。思いがけない物が登場し、僕は目を丸くする。
「これ、ピットの部屋に行く途中に使用人の先輩から頂いたんだ。親戚から貰ったんだけど食べきれないから、ってね」
「そうだったんだ。粒が大きくて美味しそうだなあ」
「先輩も美味しいよってオススメしてくれたんだ! それじゃいただこうか」
早速一粒口に放り込むと、甘酸っぱい果汁と共に果肉の歯応えを感じる。想像以上に甘くて美味しい。
ナナシの方を見ると、頬を緩ませて恍惚とした表情を浮かべていた。次第にさくらんぼに手を伸ばすペースは上がっていき、気が付けばパックにはヘタの山が出来上がっていた。
「はぁー……美味しかった」
「だねえ。こんなに美味しいさくらんぼ、初めて」
大粒だったからか、想定以上にお腹は満たされていた。満足げな様子でお腹をさすっているナナシを見て、僕も思わず笑みがこぼれてしまう。
ふと彼女は何かを思い出したかのようにぱっちり瞳を開くと、ヘタをひとつ手に取った。
「どうしたの、急にヘタを見つめて」
「さくらんぼで思い出したんだけど、口の中でヘタを結べる人ってキスが上手いんだって」
「えっ、へぇ……そうなんだ」
彼女にとっては雑談のつもりなんだろうけど、随分大胆なことを言い出すものだ。こういう話題って、もう少し恥じらうものじゃないのか。
それとも、やっぱり僕を男として見ているわけではないのかな。何故だか喉の奥に重さを感じてきた。
「ちょっとやってみようかな?」
意気揚々と言うや否や、彼女はヘタを口に含むも中々上手くいかないのか苦戦しているようだ。
頬をもごもごと動かす仕草は小動物みたいで可愛らしいけど、本人は至って真剣に挑戦していると思うと妙な笑いがこみ上げてくる。
「あーダメだ、難しすぎる……そうだ、ピットもやってみなよ!」
「えぇっ、僕も?」
いきなり僕に振ってくるものだから困ってしまう。そもそも舌の動きだけで結ぶなんて難易度が高いと思う。
でも、遊びの一環としてならいいかもしれない。一応やってみるか。こうして僕もヘタを口の中に入れ、結ぼうと試みた。
彼女に見守られながらというのが居た堪れない。しかし不思議なことにヘタは僕の思うように曲がってくれて、そして数分後――。
「……あっ、できたかもしれない」
「うそっ!?」
そっと取り出したヘタは、結ばれた形となってティッシュの上に置かれた。我ながら見事な出来栄えだと思う。
隣にいるナナシはというと、目を輝かせてヘタとこちらを交互に見つめてきた。
「凄い、もう出来たんだ! ピットってば器用すぎない?」
「はは……そんなことないって。たまたまだよ」
こんなことで尊敬の眼差しを向けられてもと困惑する反面、好意的に思われているならいいじゃないかと自身を宥める。
「ということは、ピットはキスが上手い……ってこと?」
「やだな、そんなの迷信かもしれないしさ?」
「そうかなあ、将来ピットの恋人になる子は幸せになれると思うけど!」
一人で納得したように頷くナナシの姿に、衝動のようなものがこみ上げてくる。ここにきてようやく僕は自分の気持ちに気付いた。
彼女に対して何も感じていなければ、このような熱が湧き上がるはずはないんだ。気付けば彼女の両肩に手をかけていて、戸惑う視線と絡み合う。
「……ピット?」
「あのさ、君にとって僕はどんな存在なの?」
ああ、とうとうここまで踏み込んでしまった。今の僕には後戻りをすることは許されない。そっと顔を近づけていくと、ナナシは分かりやすく狼狽え始める。
「ちょ、ちょっと……ピット!?」
「君が思っているよりも、僕は君のことを大切に思ってるんだよ」
今更だけど、本当に今更だけれど、ナナシのことが好きなんだ。そう思うと止まらなくなって、彼女の唇へと吸い寄せられるように顔を近付ける。
「待っ……!」
彼女の制止の声ごと飲み込むように僕は口付けた。柔らかな感触と、微かに香る甘い匂い。少しして離れると、そこには真っ赤な顔となったナナシがいた。
普段の様子からは考えられないくらい大人しくなっていて、その瞳は潤んでいる。僕を映す目の中には、確かに動揺の色があった。
今、彼女の心を支配しているのは間違いなく僕だ。そう考えると何とも言えない感情で満たされていく。
「ごめん、抑えられなくなった」
「ピットの気持ち、ここまで大きかったんだね……知らなかった」
「今日、自覚したんだ。もっと早く伝えるべきだった」
そう言って再び距離を縮めようとすると、今度は彼女が身を乗り出して詰め寄ってくる。一体何事かと驚くと、ナナシは僕の胸元に手を置いて呟く。
それはいつもの快活さを感じさせる声ではなく、か細いもので。
「良かった、私の勘違いじゃなくて……」
「それって、どういうこと――」
次の瞬間、彼女は自ら口付けてきた。思いもよらぬ展開に、身も心も動かなくなる。すぐに離れたものの、俯いているナナシの頬はあのさくらんぼのように赤く染まっていた。
やがてゆっくりと上げた顔に浮かぶ笑顔は、今まで見た中で一番といってもいい程綺麗なものだった。
「さくらんぼのヘタの話……私にとっての賭けだったんだ。もし何の反応もなかったら、諦めようって」
そう言って微笑む姿に、思わず息を呑む。再び僕らの距離は縮まっていて、お互いの吐息が感じられる程になっていた。
彼女は静かに目を閉じて、僕を待っている。ここで拒む理由はどこにもない。これは僕とナナシが心から望んでいたことだ。
僕はその背中に腕を回しながら、ゆっくり顔を寄せる。そして三度目の口づけを交わした。今度こそ、遠慮はしない。
今の僕らはあのさくらんぼのヘタのように固く結ばれ、解けることは無いんだから。
駆け引きをしてみたかったヒロインさん。