プー短編1

Morning glow

月の元へ

 大都会フォーサイドの一角にあるトポロ劇場から出た私は、幸せを噛み締めていた。何故ならあの大人気バンドグループ『トンズラブラザーズ』の生公演を観られただけでなく、限定グッズを買うことまで出来てしまったのだから。紙袋の中を覗き見ては勝手に頬が緩んでしまう有様だ。
 ここにはトンズラブラザーズの限定ポスターにロゴ入りタオル、ピンバッジ。そして共演していたビーナスという大女優のサイン入りブロマイドまで入っているのである。身も心も浮き立つのは仕方がない。
 興奮冷めやらぬ中、私は劇場の光景を思い出しながら劇場近くの広場に向かって歩いていく。今日は人生最高の日と言っても過言ではないかもしれない。そう思い込みながら広場に入った時のことだった。
 ふと、ひとりの少年が噴水の前でしきりに辺りを見渡している姿が視界に映り込む。その表情は心底困り果てたといった様子で、眉間には皺を寄せていた。もしかして道に迷ったとか、そういうものだろうか。少し近付いて様子を見てみると、彼は変わった風貌であることに気付く。
 頭髪は綺麗に剃り上げられていて、頂点にある長い毛は一つに纏められている。確かこの髪型は弁髪といったか。そして白い道着に黒い帯。ここイーグルランドでは見慣れない格好だ。きっと東の国の人なんだろう。
 背格好から見て恐らく私よりも年上だと思う。道行く人々も通り過ぎざまに彼の方を横目で見たり、遠くから物珍しげに眺めていたりはしているが誰も声を掛けようとはしない。
 こうしている間も少年は遠くを見ながら顔をしかめていて、私はこのまま通り過ぎるのはどうなんだろうと思い始めていた。しかし、もし言葉が通じなかったらと思うと声をかけるには勇気がいるのである。
 いや、まずは声をかけなければ始まらない。私はゆっくりと異国の少年に近付くと、そっと声をかけてみる。

「あの……どうされました?」

 私の声に反応して弁髪の少年は少し驚いた様子でこちらを向いた。声をかけられるとは思ってもみなかったというような顔だった。彼は数秒の間私の顔をじっと見つめていたかと思うと、頬を緩めてようやく口を開く。

「ああ……実は仲間達とはぐれてしまったんだ。探すために一人で動き回るのも得策ではないだろうし、どうするか考えていたんだ。夕方には『ホテル・ムーン』に向かうという話だったんだが、どのホテルかも分からずじまいでな」

 状況とは裏腹に再び眉を上げて表情を引き締めてはいるけど、本当は不安なんだろうと思う。慣れない環境で突然孤立してしまったら誰でも心細くなるものだ。心配になって声をかけた訳だし、一緒に行動して彼の仲間を探してみようと考えていた。
 幸い私は用事を済ませていて今後の予定もない。それに事情を知った今、困り果てている彼を放っておくことはできない。そんな考えに至った私は彼に提案してみることにした。

「あの、私も一緒にそのホテル探します。一応この街には何度か来たことがあるので、少しはお役に立てるかもしれません」
「いいのか……? 君も用事があるんじゃないのか」
「いえ、私は大丈夫。それよりあなたのお友達を探す方が大事ですから」

 私がそう言うと彼はほっとしたように息を吐く。そして温和な笑みを浮かべると小さく礼の言葉を口にする。

「……ありがたい。おれはプー。君の名前は?」
「私はナナシです。よろしくお願いしますね」
「ナナシか。こちらこそ、よろしく頼む」

 こうして私はプーさんと一緒に行動することになった。近くで見ると改めてその変わった装いに目が行く。普段から道着を着て外を歩く人はそうそういないから。
 すると不意にこちらを向いた彼と目が合い、私は反射的に視線を逸らしてしまった。あんなにじっと見つめていたら失礼だったかもしれない。

「ナナシ、どうかしたのか?」
「いえ、ごめんなさい。じっと見てしまって」
「気にしていないさ。おれの格好はこの国では珍しいみたいだからな」

 特に気にする様子もなくプーさんはすたすたと歩みを進める。それにしても、彼からは何処となく気品というものが感じられる。表情だけでなく佇まいからもそれが伝わってきて、私はそれにつられるように自然と背筋が伸びてしまう。
 しかし私にはひとつ問題がある。先程彼にはフォーサイドについて詳しいといった風に振舞ってしまったけど、実はこの街に来るのは片手で数えるほどしかない。
 その上殆ど日帰りで一部の施設に行ったことしかない為に、彼の探しているという『ホテル・ムーン』の場所にも自信がないのである。
 しかし彼を助けると決めた手前、今更不安そうな態度を出すわけにはいかない。それでもやはり、私の足取りは頼りないものになっていた。今歩いているこの通りだって、実は殆ど足を踏み入れたことのない道なのである。
 一度見慣れない景色に包まれてしまえば、途端に胸の奥がざわつき始める。それはまるで、見知らぬ土地に迷い込んでしまったような感覚だった。だけども、それを悟られてはいけない。何としても彼の力にならなければ。
 しかしそんな努力も虚しく進めば進むほど建物の数も少なくなり、通りかかる人の姿もまばらになっていった。遂には木々が見えてきた所で、私は思い出す。ここは確かフォーサイドの街外れの筈だ。

「あ、あの、ごめんなさい。道を間違えてしまったみたいです……」

 最後の方は耳を澄まさなければ聞こえないほどに弱々しいものとなっていた。力になると言った人間がこんな有様では、きっとプーさんも落胆することだろう。しかし彼は怒るどころか、この状況に似つかわしくない笑顔を向けてくるのであった。

「気にしないでくれ。もしかしたら君もこの街には不慣れなんじゃないかと思っていたんだ」
「え……っ」
「何と言えばいいのか……歩き方に自信というものを感じられなかったから、だな」

 鈍器で殴られたかのような衝撃を受けた。表面的に自分は頼りなく見えていたということなんだろうか。やはり内心呆れられているのかもしれない。そう思うと途端に恥を感じてしまい、地面に視線を落とした。

「……プーさんの言う通りです。私、何度かこの街に来たことがあるといっても大通りや中心部のことしか知らなくて。それなのに役に立てるとか言ってしまって」
「それでも、困っているおれを放っておけずに声をかけてくれたんだろう? それが嬉しかったんだ」
「……本当ですか?」
「ああ。本当に感謝している」

 彼の目が優しげに細められていたことに気付いて、私はようやく肩の力を抜くことができた。そして改めて彼に向き直ると、小さく頭を下げる。

「私、プーさんがお友達と再会できるまで頑張ります……!」

 私が半ば叫ぶように告げると彼は少し驚いたように目を見開いた後、すぐに微笑んでくれた。

「ありがとう。ナナシ」

 その表情がとても穏やかで、こちらもなんだか照れ臭くなってしまう。すると突然けたたましいクラクションが鳴り響き、私とプーさんは同時に音のした前方に振り向く。
 そこには一台のタクシーがこちらを向いて停車していた。イーグルランドではお馴染みの黄色の車体。今の音はあれから出たんだろうと思っていたのに、よく見ると運転席には誰も乗ってはいなかった。それなのにエンジンはかかったままで、今にも走り出すかのように吹かしている。

「嘘、運転手もいないのに何で……?」
「まさかこの街にも現れるとはな……!」

 プーさんはそう呟くと前方のタクシーを睨みつけている。口ぶりからして何かを知っているようだけど、今はそれを聞いている暇はなさそうだ。遂に無人のタクシーは走り出し、スピードを上げながらこちら目掛けて突進してくる。
 私は思わず悲鳴を上げながら真横に転がる勢いで避け、プーさんも反対側に飛び込む。タクシーは真っ黒な排気ガスを撒き散らしながら私達の間を走り抜け、急停止すると再びこちらに狙いを定めてくる。
 まるで意思を持っているかのような動きだ。幸いなことに周りには他の人は見当たらない。恐怖と焦りに支配されつつも、このまま人気のない方へ逃げ込むことを思いつく。しかしその後はどうする。
 何度も襲い来る突進を避けながら必死に考えを巡らせていると突然プーさんは私の腕を掴み、庇うように前に立った。こうしている間にもタクシーはしつこく狙いを定めてくる。

「プーさん、何してるんですか! このままじゃ──」
「ナナシ……おれの後ろから動かないでくれ」

 暴走するタクシーが迫ってきているというのに、彼は微動だにせず静かに瞳を閉じている。私は言われたことを守る余裕もなく急いで彼の腕を引っ張って避けようとする。しかしそれを制止するように強く掴まれた手の力に気付いた。
 次の瞬間、プーさんは深呼吸するとゆっくりと目を開けた。それは私に穏やかな表情を向けていた彼からは想像できないような鋭い眼差しだった。視線は真っ直ぐにタクシーに向けられていて、私は不意に訪れた胸の高鳴りを抑えつつ息を飲む。次に彼は空に向けて真っ直ぐに手を伸ばした。

「……PKサンダー!」

 プーさんが何か叫ぶと同時に空に黒雲が現れた。何事かと考える間もなく雷鳴が轟き、次には激しい光が一本の矢のように落ちてくる。あまりの衝撃にその場に蹲っていた私が恐る恐る目を開けてみると、そこにあったのは黒焦げになり大破したタクシーの姿だった。
 先程までの騒ぎがまるで夢だったかのように静まり返った空間の中、プーさんが私の方を振り返ってくる。

「ナナシ、大丈夫か?」
「は、はい……今のは、一体」
「さあ……きっと天からの助けだろうな」
「え、そうなんですか……?」

 プーさんは困惑する私に、どこか楽しげな微笑みを向けた。そう言われても本当は彼が何かしたのでは? そう聞きたくても多分今のように上手くはぐらかされて終わることだろう。それでも、プーさんが私を守ってくれたんだと思いたかった。
 無人の暴走タクシーといい色々と引っかかることはあれど、取り敢えず危機は去った訳で。これで再びホテル探しに戻ることができる。私達は元来た道を引き返し、改めて『ホテル・ムーン』を探すことにした。
 街を歩いている中、プーさんと色々な話をした。彼の住む国ランマは雲を貫くほどの高い山の上にあり、夜になれば鮮明な星空を見ることができると聞かされた。
 一方私は自分の住んでいるスリークという町のことを語り、少し前までゾンビ騒ぎがあったということを話すと彼は驚いた後に私やスリークの人々を気遣うように言葉を返してくれた。
 語り合う内に、私はいつの間にかもっとプーさんのことを知りたいと思うようになっていた。彼とは出会って数時間しか経っていないというのに、こうして側にいると不思議と安心できてしまう。
 私よりも少し高い背。勇ましく気品を感じさせる横顔。何事にも動じない精神。今の彼の心を形作るものが何なのか、それすらにも考えを巡らせてしまうほどに。
 そうしている間に日は暮れていき、街灯やネオンに明かりがつき始めた。いよいよ思いに耽っている場合ではないと焦り始めた私の視界に、あるものが飛び込んできた。

「あっ、多分あれかもしれません……!」

 私が見つけたのはひとつのネオン看板。そこには満月を表す黄色の円が浮かび上がっていて、その下には『MOON』という単語が書いてある。プーさんもそれを見つけると小さく頷いた。

「確かに、『月』だな」
「ですよね、行ってみましょう!」

 一縷の望みにかけて看板の建物へと足を急がせる。建物へと続く大通りは仕事上がりの社会人や遊び歩いている学生達、買い物帰りの主婦などでごった返しており、私達ははぐれないように強く手を繋いで人ごみを掻き分けながら進んだ。

 何とか辿り着いた建物の入口には大きな文字で堂々と書かれたHOTELの文字。ここがプーさんの探していた『ホテル・ムーン』で間違いないはずだ。
 自動ドアが開きエントランスに入るとそこはロビーになっていて、見渡していると3人の少年少女が突然こちらに声をかけながら駆け寄ってきた。
 それぞれ野球帽を被った少年、赤いリボンの少女、眼鏡をかけた少年で、呆気にとられている私の横でプーさんは安堵の笑みを浮かべていた。という事は、この子達がプーさんの探していた仲間達ということか。

「プー! 良かった、探したのよ」
「いつの間にかいなくなってて心配したんだからね」
「待ち合わせ場所を決めてあったから良かったけど、今までどうしてたんだい?」

 プーさんは次々に飛んでくる言葉を受け止めるように笑顔を見せて3人を宥めると、隣の私に視線を向けてきた。

「すまない。ここを探していた所、このナナシに助けてもらったんだ」
「そうだったんだ。プーを助けてくれてありがとう!」

 野球帽の少年が代表してお礼を述べてきて、私はぎこちない笑みを浮かべる。実のところ、ほぼ何も出来ていないのだから。

「いや、助けたというよりは……むしろ助けてもらったというか」
「いいんだ。おれ一人ではもっと時間がかかっていただろう。このホテルを見つけたのもナナシなんだからな」

 プーさんに軽く肩を叩かれ、ひとまず頷くしかなかった。ふと壁に掛かっている時計を見ると、7時になろうとしていた。そろそろお別れの時間だろう。
 正直に言うと、とても名残惜しい。本来の目的は達成できたんだから、これでいいのに。胸に微かな痛みを抱えたまま、プーさんに最後の言葉をかける。

「……お友達に会えて良かったです。私はこれで、失礼しますね」
「待ってほしい」

 踵を返そうとした時、不意に右手を掴まれて完全に動きが止まった。ゆっくりと振り向くと、プーさんが穏やかな眼差しでこちらを見つめていた。どうしたんだろうと思っていると、掴まれた手の中で別の感触がする。
 そっと手を離されると、私の手の中には小さな木彫りのアクセサリーがあった。それは星を象ったもので、所々に鮮やかな色が塗られている。よく磨かれていてつるつるとした心地よい手触りだ。

「あの、これは……?」
「それはランマに伝わるお守りなんだ。今日の礼ということで、君には受け取って欲しい」

 戸惑う私にプーさんは優しく微笑んでくれた。彼の気持ちはとても嬉しいけれど、こんな綺麗なものを貰ってしまって良いのだろうか。本当に大したことなんてしていないというのに。彼はその瞳に確かな意思を込めてもう一度言った。

「前にも言っただろう。おれは人を助けようと声をかけてくれたその優しい心が嬉しかったんだ。だから気にせずに受け取って欲しい。本当にありがとう、ナナシ」
「……こちらこそ、ありがとうございます。今日プーさんに出会えたこと、ずっと忘れません」
「いずれ、また会おう」

 プーさんは柔らかに口元を緩め、仲間達と共に4人でホテルのフロントへと向かっていく。私も彼らとは反対の方向へと足を進めた。彼から貰ったお守りを大事に大事に両手の中に収めると、まだ彼の温もりが残っているような気がした。


 その後夜遅くにスリークへと戻った私は、家に帰ると早速トンズラブラザーズのグッズと共に、彼から貰った木彫りのお守りを机の上に置いてみる。
 これを身につけていれば辛いことがあっても、きっと心の支えになってくれるだろう。そして、いつかまた彼に会える日を夢見ながらそっと眠りに就いた。

彼が王子だということを知るのはもっと後。




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