プー短編2

Morning glow

怪我の功名

※夢主はランマ人

 私が住んでいる"ランマ"は世界からみたら小規模の国ながら、その器には溢れんばかりに素敵なものが詰まっている。
 高山の頂上付近に位置するこの国は、なんといっても空気がおいしく水も清い。それもあってか採れる薬草や果物も質がよく、ここ数十年の間に隣国との交易も盛んになっていった。
 そしてなんといっても誇らしいのは、この国を治める王族の方々。特にプー王子はカリスマ性も然ることながら文武両道。
 何事にも動じない胆力を兼ね備え、その上容姿端麗。それ故に女性達からの支持も凄まじいものとなっている。
 かくいう私も幼い頃から王子の姿にこの胸をときめかせてきた。やがてこの想いが"思慕"に変わっていく頃と同時期に、突然王子が国を離れられた際には寂しさのあまり枕を濡らす夜もあったほど。
 しかし私はただの庶民。いくら恋い焦がれようと、王子との接点などあろうはずもない。ただ遠くから眺め、その姿を目に焼き付けていくだけでいい。しかし頭では痛いほど理解しているものの、心まで納得させてくれないのが"恋"というもの――
 悶々としたものを抱えつつ、今日も親の仕事を手伝う私は薬屋の娘。この日は在庫が切れそうな薬草を採りに行くため、近所の森まで出向くことになっていた。

「この時期の獣には気を付けるんだよ、ナナシ」
「分かってるってば。夕方までには帰るから大丈夫」

 小さな頃から遊び回ってきた場所で、私にとっては庭のようなもの。今回も普段のように一人で向かい、すぐに薬草を集めて帰る――そのはずだった。
 しかし今日に限っては、予想外の出来事が私の身を襲ったのである。順調に目的の物を集め終えた私は帰り道を急ぐべく、あまり通らない近道を選んだ。
 そこは緩やかな崖となっていて、降りきれば町まで一直線となる。普通のルートを通るより二十分以上も短縮でき、獣に出くわす心配も格段に減る。
 ところが肝心なことを思い出したのは崖から身を乗り出し、突き出た岩に手をかけた時だった――"ぼろっ"と壁から剥がれる感触。支えを失い、岩と共に転がり落ちる私。

「うぁ……っ、」

 全身を打ち付けながら崖下まで降りきった頃には、呻き声を漏らすことしかできない状態だった。なんとか起き上がろうにも貫くような痛みに阻まれ、ただ地に伏せるのみ。
 恐らく左足は骨が折れていると思う。額も切れたのだろう、一筋の生温かさが眉間を伝って流れていくのが分かる。
 朦朧とする意識の中に浮かぶのは、滑落した原因について。数日前、この国を久々の地震が襲った。幸い小規模だったものの、崖が脆くなっている可能性があるため用心を、という話を聞いていたはず。
 それなのに私はそれを忘れ、呑気に近道をしようとした挙句この有り様。何が"庭のようなもの"だ。

「……バカ、だなぁ、」

 掠れた声と同時に漏れるため息。まずはこれからどうするか。辛うじて動かせる腕で這いずるように進み、道の方に出られれば通りかかった人に見つけてもらえるかもしれない。
 しかし、それまで体力が持つだろうか。一番まずいのはこの場で獣に遭遇した場合。

「早く、動かない、と……!」

 焦る気持ちに押されていた思考は、真横から聞こえてきた音によって中断された。激しく草を掻き分ける気配。もしかしたら散策にきた人間ではないか。やがて木々の間から姿を現した存在は、私の希望を意図も簡単に砕いてしまう――
 目の前に出てきたのは、二メートル以上はある熊。真っ黒な毛並み。鋭い牙と大きな爪。感情の読めない双眸はしかとこちらを捉えていた。
 私は恐怖のあまり声が出ないでいる。一方であちらも私を警戒している様子だった。しかしそれも束の間のこと。熊は姿勢を低くすると、ゆっくりとこちらににじり寄ってくる。

「ひっ、来ないで……!」

 なんとか振り絞った叫びも、ただ虚しく響いていくだけ。やがて熊は距離を詰めてきたかと思うと、私の身体に鼻先を寄せてきた。
 獣特有の重厚な臭いに包まれ、堪らず嗚咽を漏らす。今度は熊の爪が私の肩にかかり、そのまま全身を転がされたことで折れている左足が激痛という形で悲鳴を上げた。
 生まれて初めて味わう地獄のような苦痛に震えと涙が込み上げてくる。後に襲いかかるであろう死の恐怖に、思考が、感覚が支配された時だった――

「む、あれは熊じゃないか!」
「側に誰か倒れている……怪我をしているぞ!」
「まずは熊を。皆は下がっていてくれ」

 突如聞こえてきたのは幾つもの声。驚いて顔を上げた瞬間、目映いばかりの白光が視界を覆い尽くす。
 思わず目をつむると熊のものと思しき唸り声が小さくなり、地面に伏す音が響いた。

「流石は王子。お見事でございます!」
「それはいい、とにかく彼女の容態を確認するんだ!」

 複数の気配がこちらに近付いてくる。目を開けているはずなのに、耳は音を拾っているはずなのに、何もかもがぼやけていく。緊張の糸が切れたからか、遂には身動ぎすらできなくなっていた。どれも、五感を司る脳が正常に働いていない証拠だ。

「酷い怪我だ……骨折もしているじゃないか」
「早く王宮へ連れていき治療をしよう。おれが運ぶ」

 慌ただしく乱れる足音すら遠のいていく気がして、私はとうとう意識を手放したのだった――

***

 あれからどれだけの時間が経ったのだろう。意識が覚醒した私は信じられない場所にいた。目の前に広がるのは大きな天蓋。金に縁取られた白亜の壁。そして床に敷かれた艶やかな絨毯と、一目で高級品だと分かる調度品の数々。これはまるで――

「王宮の中みたい……」
「そう、此処は王宮だ」

 すぐ隣から聞こえてきた声に肩が跳ね上がる。ゆっくり横を向くと、そこで微笑むはプー王子の姿。これは夢か現か。急いで身を起こそうとするも、現実を教え込むかのような激痛に苛まれる。

「あ、ぅ……っ」
「無理はするな。無事手術が済んだとはいえ、当分安静にするべきだ」

 王子はそう告げると私の背中に手を添え、ゆっくりと身体を横たえてくださった。ああ、王子がこんなに近くに。それだけでも感無量だというのにその上、初めてこの身に触れられた。場違いだと分かっていても心は勝手に沸き立ってしまう。

「その……何故私は王宮に……?」
「覚えていないのか。熊に襲われていた所をおれ達が見つけ、ここに運んできたんだ」

 王子のお話によると、あの日は山での修行を終えた帰りに偶然熊を発見。その後、力尽きた私を王宮まで運んでくださったということ。
 ちなみにあの熊は眠らせてあるらしく、一時的に保護した後に山の奥地に帰すという。ここ数十年、熊が人里付近まで降りてくることは滅多になく、今後役人達と共に対策を講じるとのこと。

「あの、助けていただき、なんとお礼を申し上げたらよいか……」
「気にするな。自分の国の民を救う為ならこのくらいは当然だ。とにかく意識が戻って良かった」

 王子の口元が緩やかに弧を描くと、私はその笑顔に再び魅了されてしまった。やはり彼はどこまでも素敵なお方。

「それに、感謝をしたいのはおれの方だ。確かお前の名前はナナシ、だったな」
「お、王子……私をご存じで……?」
「ナナシの両親が拵えてくれる薬には、民も王宮の者達も昔から助けられているからな。その二人の娘であるお前も幼い頃から家業に励んでいるということは知っていた」
 
 確かに両親は私が生まれる前から薬屋を営んでいるけど、まさか娘である私のことまで意識を向けていてくださったとは。なんとも形容しがたい嬉しさに悶える中、王子は言葉を続けていく。

「しかしまさか、こんな形で対面することになるとはな。あの時発見できて本当に良かった」

 王子はそう言って再び微笑まれた。こんなに間近で輝かしくも柔らかな笑顔を拝むことが出来るだなんて。やはり夢を見ているのではないか。本当はまだ意識が戻らぬまま、あの崖下で倒れているのでは――そんな錯覚すら覚える。

「王子に名前を覚えていただけていたなんて……わ、私、嬉しゅうございます……っ!」
「おい……泣くほどか?」

 感激のあまり、目尻からは熱いものが溢れ出そうになる。慌てて拭うものの、一度溢れてしまうと中々止まってはくれなくて。その間も王子は私に労りの言葉をかけてくださった。
 広々とした寝室の真ん中、私と王子の二人きり。この時だけ、彼の視線を独占している。それがもう堪らなく嬉しくて、愛おしくて、時々身体を走る痛みすら現実の証としてありがたく受け入れてしまう。

「そんなに泣くと目が腫れてしまうぞ」

 お優しい王子は私の頭を撫でながらそう仰る。これではまるで幼子を相手にしているかのようで居たたまれない。
 だけどそれでもいい。王子にとって私は国民の一人であり、それ以上でもそれ以下でもない。それでも今だけはどうか、この幸せな時を噛み締めさせて下さい――

***

 あれから二ヶ月後。王宮に仕える侍医の手厚い看護により私は無事回復し、家に戻ると再び家業に励む日々を送っている。
 忙しない生活の中でふと王子に触れられた部分に意識を向けると、あの熱が蘇ってくる気がした。あのひとときは一生の大切な思い出。
 特に王宮を出る際、最後に王子が私に向けてくださった言葉は忘れられない。

"ナナシ、お前もこのランマの宝の一人だ。普段は離れていてもおれの心は共にある。どうかそれを覚えていてほしい"

「はい。私はずっとお慕いしております。どうかこれからも見守っていてください、王子……」

 無意識にこぼれた言葉は、澄み切った空に溶けて消えていく。今の自分にできることでこの国を支えることこそ、彼へ捧げる想いを示す形となるはずだ――

次にプー夢書く時もこの設定で書くかも…?




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