憧れの先
今日の作業を終えて更衣室を出た私は、自室へと急ぐべく廊下を駆け抜けていた。早く部屋に戻ってあの人の活躍を見たい。
その一心だった。それも昨日、友人であるリーフにあることを教えてもらったからである。
部屋へ駆け込むと同時に、デスクのパソコンの電源を入れる。そして動画サイトにログインし、あるライブ配信のアーカイブを開いた。保存された日付を見ると自然に口角が上がってしまう。
「やっと見られる……! 今からドキドキしてきちゃった」
興奮のあまりつい独り言を漏らしてしまったが、仕方がないこと。何故ならこの日は私の憧れの人が活躍する試合があったからだ。
ファイター達の試合の様子は、この屋敷の主であるマスターが作った『大観戦』というシステムによって動画として保存されている。
そのデータはネットワークを通じて各動画サイトなどで配信されていて、どの試合の再生数も右肩上がりで伸びている。
私のように仕事とかの都合によってリアルタイムで観戦できなかった人からすると、実にありがたい機能だ。
次々に乱闘の光景が映し出されていき、動画の一番最後に目当ての試合は入っていた。それこそ私の憧れの人、ポケモントレーナーのレッドが参戦しているもの。
映像の中の彼はキャップを深くかぶり、片手にはモンスターボールを構えて静かに佇んでいる。対する相手はガノンドロフさんに、ベヨネッタさんに、リュウさん。いずれも強力な個性を持つ強豪ばかり。
試合開始とともにガノンドロフさんとリュウさんによる激しい肉弾戦が始まった。そこに割り込みながら独自の魔術としなやかな身体を活かして、相手をかく乱するベヨネッタさん。
しかし、そんな彼らを前にしてもレッドは決して怯むことなく、冷静な表情のまま相手の出方を窺っている。
場に出ているゼニガメも落ち着き払ってトレーナーの指示に耳を傾けているように見える。どんな状況でもすぐ対応できるように、自然体のまま構えているんだろう。
「レッド、ゼニガメ……頑張って!」
既に結果は決まっていて、届かないとわかっていても声援を送ってしまった。やがて三つ巴の戦いはゼニガメを巻き込んでいき、本格的な大乱闘となる。
試合終了まで残り二分を切り、攻防はより激しくなっていく中で遂にゼニガメが場外へと投げ飛ばされた。あの小さな体で果敢に戦い抜く姿は本当に凄かった。
次に現れたフシギソウもはっぱカッターや蔓によるリーチの長さを活かして、着々とダメージを稼いでいく。彼も粘り強く戦っていたものの、力を溜めていたリュウさんの昇竜拳によって場外へ。
ここでレッドのエースであるポケモン、リザードンがその姿を現す。タイムアップまで後一分。四人のスコアは均等に割れていて、このままだとサドンデスにもつれ込むことになる。
すると彼らの頭上に光り輝く球体が出現した。あれは絶大な力が込められたレアアイテム、『スマッシュボール』。
あれを割ったファイターには必殺の切り札を放つことができる力が宿り、一発逆転のチャンスが与えられる。
突如現れた勝利への希望を目の前にして、彼らは一斉に動き出す。まず真っ先に動いたのはリュウさんだ。
彼はスマッシュボールに一番近い位置にいたリザードンに向かって一直線に走り出し、渾身の飛び蹴りを喰らわせようとする。しかし、その瞬間を待っていたかのようにレッドが指示を出した。
「リザードン、"そらをとぶ"だ!」
彼の声が響くと同時にリザードンは逞しい両足に力を込める。そして抉る勢いで地面を蹴り、高速回転しながら上空へ飛び出した。
そのままステージの上部で競り合っていたガノンドロフさんとベヨネッタさんを翼で弾き飛ばし、勢いに乗せてスマッシュボールを叩き割る。
「しまった……!」
リザードンを追っていたリュウさんの顔に焦燥の色が浮かぶ。体勢を立て直していたガノンドロフさん達にも同様の反応が見られた。
力を得たリザードンが空気をも震わす勢いで着地をすると、レッドの『最後の切り札』を指示する声が響き渡った。
試合終了後。表彰エリアの真ん中で、嬉しそうな顔をしながらポケモン達を撫で回すレッドの姿に、私の心はときめいていた。普段は大人しくて口数も少なく、穏やかな雰囲気を纏っている彼。
しかし一度戦いの場に立てば、人が変わったかのような大胆さを見せつけてくるのである。やっぱり憧れの人も、一緒に戦っているポケモン達もみんな強くてカッコイイ。
その事実を再確認しただけでも大満足だ。こうして彼の活躍を見届けることができた私は、幸せな気分に包まれていた。
***
この間見た試合の興奮が冷めないまま、私は小休憩の間レッドと雑談をしていた。こちらの勢いに押されているのか、レッドは落ち着けと言わんばかりに苦笑いを浮かべている。
「……あの時はとにかく必死だったんだ」
「え? 最後のスマッシュボールを取るところとかさ、"そらをとぶ"のタイミング凄かったし、落ち着いた感じで立ち回ってたじゃん!」
「そんなことない。ああいう局面になるとかなりのプレッシャーになるんだ」
私の言葉を受けて、彼は困ったように眉を下げた。あの時の彼はどう見ても冷静に振舞っていて、取り乱すこともなく的確な指示を出していたというのに。
信じられないという風に首をかしげてみせると、レッドはふっと小さく息を吐く。
「僕だけじゃなくて、きっと他のファイターもそう。でもそれを悟られれば一気に突き崩されてしまう。それを分かってるからこそ、常に冷静さを欠かないように立ち回るんだと思う」
「……皆自信たっぷりっていう感じだから、何だか意外」
「特にトレーナーである僕は気持ちの部分で負けちゃいけないんだ。トレーナーの抱える焦りや緊張は、戦ってるポケモン達に伝わってしまうから」
その言葉を聞いて目を見開く。彼の持つ志はファイターとしてだけでなく、トレーナーとしても一流のものだと改めて気付かされたから。
自分の感情をコントロールして常に周りの状況にも気を配って、その上で勝利を目指すなんて簡単にできることじゃない。言葉にするよりも遥かに難しいことだ。
それでもレッドは影でずっと努力を重ねてきたんだろうな。その積み上げてきたものが、私の憧れとしての彼を形作っているんだ。
「私、レッドの強さに憧れてた。でも、その根底まで知ろうとはしてこなかった……だからさ、もっと色々教えてほしいな!」
これからもレッドのことを追いかけていきたいと思った。そして、彼の歩んできた道を少しでも知りたい。そんな願いを込めて言うと、彼は照れ臭そうに頬を掻いてみせた。
「まあ、僕にできる範囲のことなら……」
「ありがとう。私、来週親戚の人からポケモンを貰うことになってるんだ。だからまずはトレーナーとしての基礎を叩き込んでほしいの!」
「へえ、ナナシもトレーナーになるんだ。それなら少しは力になれるよ。リーフも喜ぶと思う」
私が笑顔を向けると、彼も穏やかに微笑む。これからはただ一方的に憧れるだけではなくて、彼のことをたくさん知っていきたい。
まずはトレーナーとしても、ひとりの人間としても成長しないといけない。私の信じる道はここから始まるんだ。
後日、無事にパートナーとなるポケモンをもらった私の元にリーフがやってきて、基礎という基礎を叩き込まれた。
私がトレーナーになったと同時に、レッドとリーフが代わる代わるに指導しに来るようになったのである。
「ひいぃ、リーフってば厳しすぎるよ……!」
「何言ってるの、これで音を上げてたら到底レッドに追いつけないんだから! 何よりその子の為にならないわ」
彼女の言うことは最もで、私は自分のパートナーの為にも頑張らねばと気持ちを新たに引き締めるのであった。
公式名称はポケモントレーナーですが、やはり名前があった方がいいなと。