ポケトレ短編2

Morning glow

朱、映える

「ナナシちゃん、お願い! これ全部一階のリネン室に運んで!」
「は、はい! 今行きます!」

 ここ数日、私達使用人は日夜激務に追われていた。というのも、この寒暖差の影響によって使用人の三分の一が体調を崩し、寝込んでしまったからである。
 圧倒的な人手不足の中、動ける人達で力を合わせて数々の作業をこなしていく。敷地内は連日人手を求める声で溢れていた。

「そろそろカービィが襲撃してくる時間帯よ! 誰か、手が空いてたら食堂の援護に回って!」
「迎撃部隊、洗濯が終わり次第向かいます!」

 盾や刺股を装備している人々とすれ違う中、私も掃除用具やら洗濯物を抱えて各階を行ったり来たり。
 足だけでなく全身に疲労が溜まってきて、たまにもつれそうになる。でもここで泣き言を言ってはいられない。
 昼休憩に入ればパートナーであるポケモンと一緒に過ごせるんだ。最近は忙しくてしっかり遊んであげられず、寂しい思いをさせている。
 改めて時計を見ると、休憩まで後二十分というところまで来ていた。今日、あの子は中庭で遊ばせている。早く残りの仕事を終わらせて迎えに行こうと、駆け足になった瞬間だった。
 突然膝に力が入らなくなり、視界が大きく揺らぐ。まずいと思った時には既に遅く、私の体は前のめりに傾いていく。
 意識が途絶える間際に伝わってきたのは、体を打ち付けた衝撃とタイルの冷たい感触だった。

***

「ふむ、彼女は過労だろうね。数日は絶対安静ということで」
「そうですか……それではナナシちゃんのこと、よろしくお願いします」

 意識が覚醒すると同時に聞こえてきたのは、Dr.マリオさんとリーダーの話し声。ぼんやりとした頭のまま目を開くと、白い天井が視界に広がる。
 次に薬品の匂いが鼻腔を刺激し、ようやく自分が医務室にいるのだということを理解した。
 まだ気怠さが残る体をゆっくりと起こしてみる。私のベッドの周囲はカーテンで覆われていて、Dr.マリオさんの影が忙しなく動いていた。
 声を掛けようと考えたものの、途端に目眩がして再び枕に頭を沈める。自分でも気付かない内に相当疲労が溜まっていたんだろうな。
 絶対安静と言われたものの、今も必死に働いている仲間達のことを思うとじっとしてはいられなかった。鞭を入れるように体を起こしてみたものの、上半身を動かすので精一杯だ。
 すると私の動きに気付いたのかカーテンが開かれ、Dr.マリオさんが姿を現す。彼は私の顔色を確認するなり眉間にシワを寄せる。

「こら、まだ起き上がってはいけないよ。君は過労で倒れてしまったんだからね」
「はい……でも、私まで抜けたら皆の負担が増えてしまいます。それに今すぐ中庭に行かないと……」
「気持ちは分かるが駄目だ。また無理をして倒れたら今度こそ周りに心配をかけてしまうじゃないか。今は回復に努めることだけ考えなさい」

 そう言うなり私の肩を軽く押し、ベッドに横たわらせた。これ以上は何も言い返せず、大人しく頭から布団をかぶる。自分が情けなくなってきて、彼に聞こえないほどの小さなため息を漏らした。
 それからというもの、一向に眠気というものは訪れなかった。目を閉じても睡魔の代わりに押し寄せてくるのは焦りと不安ばかり。
 いつになったら復帰できるようになるだろう。あの子は今でも中庭で遊びながら私がやってくるのを待ってるというのに、迎えにも行けないなんて。
 心がもがいても体はついてきてくれない。悔しさのあまり唇を噛んだ時であった。カーテンの向こうからドアが開く音が聞こえてきた。

「おや、レッドじゃないか。どうしたんだい」
「どうも。ナナシが倒れたって聞いたので、様子を見に」

 思わぬ人物の登場に体が固まる。壁掛時計に目をやると、既に午後四時を回っていた。今日の分の試合は終わらせてきたということか。
 
「そうか、丁度いい。これから回診の時間で他の使用人達の部屋に行こうと思っていたんだ。悪いがレッド、時間があるならしばらくの間彼女の様子を見守ってくれないか?」
「はい、分かりました」

 回診の用意をしているのか、Dr.マリオさんの影が再び動き回るのが見える。そしてレッドの影は椅子から立ち上がると、真っ直ぐにこちらに向かってきた。
 私は反射的に布団の中にこもると、急いで寝たふりをする。何となくだけど、恥ずかしくなってきたから。
 足音が止まると同時にカーテンが開かれ、ベッドの横にある椅子に腰掛ける音がした。彼から見れば私は完全に眠っているように見えるだろう。
 少しの沈黙の後、服が擦れる音と共に彼の顔が近付いてくる気配がした。

「君のポケモンのことは大丈夫。今、僕のゼニガメ達と遊んでるから」
「本当……!? 良かったあ……」

 寝たふりをしていたことも忘れて掛け布団を捲ると、安堵の声を漏らした。レッドの方を見ると思ったより近くに顔があって、驚きのあまり固まってしまう。
 対するレッドは一瞬目を丸くした後、どこか楽しそうに口角を上げた。思った通りだと言わんばかりの笑みを向けられて、俯くことしかできない私。

「やっぱり、寝たふりだったんだ」
「あ……そ、その」

 慌てて顔を背けるものの、完全に手遅れだ。まさか見抜かれていたとは。やはりレッドの観察眼は並大抵のものじゃない。
 何も言えずに狼狽える私の肩に、そっと手が添えられる。驚いて顔を上げると、そこには穏やかな微笑を浮かべる彼がいた。
 それは彼が普段ポケモン達に向けているものと同じ。思わず胸が高鳴る中、彼は優しく語りかけてきた。

「ポケモンはトレーナーに似るっていうのは本当なんだな。ナナシがポケモンのことを何より大事に考えてるように、あの子も君のことが大好きみたいだ」
「そうなの……?」
「うん。さっき中庭に行った時、あの子は君の名前を聞いただけで嬉しそうに目を輝かせていたんだ。早く会わせてくれってせがんできたよ」

 それで宥めるために自分のゼニガメ達と遊んでもらっているということだった。私がいない間、少しでも寂しい思いをさせないように。
 改めてレッドに感謝すると、私はベッドから抜け出そうとする。やはり寝ている場合じゃない。早くあの子に会いたい。その一心が私の体を動かしていた。

「ストップ」
「え、あっ」

 背後から手首を掴まれたと思うと視界がぐるりと回転し、気付いた時にはベッドに倒されていた。背中には柔らかなシーツの感触。目の前に広がるのは天井と、レッドの顔。
 眉をひそめて困り果てたような表情をしている彼は、私の手首を押さえつけると軽くため息をついた。

「……また無理して、今度はポケモンの前で倒れるつもりか?」
「ごめんなさい……」
「でも、それだけポケモンのことを想っているってことだよな。そういうところに……のかな、僕は」

 最後の方は声が小さくて上手く聞き取れなかった。何て言ったんだろう。言葉を聞き返す間もなく、彼は帽子を深く被りなおすと立ち上がった。
 気のせいか、帽子のツバからのぞく頬には朱が差しているように見える。呟かれた言葉の続きが非常に気になるけど、今の彼に聞いても答えてはくれない気がした。

「何か、食べ物持ってくる。お腹空いてるだろ?」
「そういえば……何も食べてなかったや」

 昼休憩目前で倒れてしまったのもあって、今になって空腹だということに気付かされた。返事を聞くなり、レッドはそそくさと医務室を出ていく。
 なんだか彼の動きがぎこちなく見えた。一体どうしたんだろう。さっきの顔色といい、もしかしたら具合が悪いのを隠しているのかもしれない。
 Dr.マリオさんが戻ってきたらレッドの診察もしてもらえるように頼んでみようか。そんなことを考えながら、私はぼんやりと医務室のドアを眺めていた。

緩やかに始まる恋の予感。




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