心鏡
午後六時。食堂に来た僕は相席になったリーフ、リュカと一緒に夕食を摂っていた。今日のメニューはナポリタン定食で、空腹だったのも相まって気分が上がってくる。
付け合わせにはコーンスープとポテトサラダ。どれも頬が落ちるぐらい美味しくて、思わず笑みがこぼれてしまう。
食事を楽しんでいると、先に食べ終えたリーフが頬杖をつきながら口を開いた。
「そういえばレッド、最近ナナシとはどう?」
「――っ、何のことだ?」
「だって、レッドとナナシってよく一緒に行動してるから。今日も部屋で一緒に遊んでたみたいだし」
唐突な質問にフォークを握っていた手が止まる。何故突然そんなことを聞いてくるのか。確かにナナシとはよく絡むし、一緒にいて楽しくはある。
だけどナナシは友人であり、それ以上でもそれ以下でもない。きっと彼女だって――同じ目で僕を見ていると思う。
上手く返答できない僕に追い打ちをかけるように、隣に座っていたリュカは同調するように頷く。
「レッドって普段は感情を大きく出さないけど、恋愛についてはわかり易いんだね」
「そんなこと……」
「だからナナシについては満更でもないんじゃないかって、私とリュカは考えてるんだけど?」
こうも周りから指摘されてしまうほど、僕は"こういった話"に弱いんだろうか。項垂れる僕を慰めようとするかのように、リュカは顔を覗き込んではこんなことを言う。
「安心して。その恋心は他の皆には秘密にしておくし、いざ告白する時になったら応援するから」
「だから、まだそんなんじゃないと――」
「『まだ』?」
しまった。慌てるあまり変なことまで口走ってしまった。これでは肯定しているようなものじゃないか。
二人の目は僕の反応を楽しむかのように細められていて、これ以上ボロを出さないように黙るしかできなかった。
大浴場から自室に戻ってきた僕は、湯上りの体をベッドに投げ出した。それにしてもあの二人には参った。
まさか恋愛でからかわれるなんてこと、元の世界にいた頃から今まで一度もなかったから。
でも、不思議と悪い気分にはならなかった。なんだか胸の内がこそばゆいような、奇妙な感覚。
しばらくぼんやりと天井を見つめていると、扉を叩く控えめな音によって意識を引き戻される。
慌てて起き上がりドアを開けると、パジャマ姿のナナシが顔を覗かせた。さっきまで僕の思考を埋め尽くしていた人物の登場に、思わず声が詰まる。
「急にごめんね。レッドの部屋に忘れ物しちゃってたの思い出したんだ。入ってもいい?」
「うん……構わない。入って」
「ありがとう、すぐ出るから!」
ナナシは僕の部屋に入ってくるなり、忘れ物を探し始めた。今の彼女は薄地のパジャマを着ているせいか、俗に言う"色気"というものを醸し出していた。
本人にはその気がなくとも、こちらとしては目のやり場に困ってしまう。ナナシの髪から漂うシャンプーの香りが鼻腔をくすぐり、その甘い匂いは僕の心を惑わせてくるようだった。
邪念を振り払おうと頭を振れば、あの二人の声が脳裏に割り込んでくる。
"――最近ナナシとはどうなの?"
"ナナシについては満更でもないんじゃないかって、私とリュカは考えてるんだけど――"
必死で脳内に響く声に蓋をする。やめてくれ、どうか今だけは思考を空にしたいんだ。
苦悶する僕のことなど露知らず、ナナシはテーブルの側に置いてあったゲームソフトを手に取ると顔を綻ばせた。
「良かった、見つかって。自分の部屋でいくら探しても見つからなくてね、レッドの部屋に忘れたかもって思い出したんだ」
「そう、見つかってよかった」
ナナシは"お邪魔しました"と告げると、部屋から出ていこうとする。しかし僕は――反射的に彼女を呼び止めていた。
無意識の内に、だ。当然振り返った彼女は何事かと目を丸くする。
「え、どうしたの?」
「あっ、いや……ただ呼んでみただけ」
「なーんだ、変なレッド。それじゃおやすみ!」
ナナシは小さく笑みを零すと、今度こそ部屋を出ていった。廊下を進んでいく背中を眺めながら一人ごちる。どうして、意味もなく呼び止めたんだろう――。
それから僕は寝付けないまま、ベッドの上で悶々としていた。ナナシの姿とリュカやリーフに言われた言葉が頭の中を交互に駆け巡り、途端に胸が苦しくなってくる。
"――もう認めてしまえばいいんだ。そうすれば、楽になれるから"
ふと、別の声が脳内に響く。それは紛れもなく自分自身のものだった。続くように彼女の笑顔が浮かんだ瞬間、全身を激しい熱が襲いだす。
思い切り枕を頭から被ると、熱さに悶えるように何度も寝返りを打つ。
ようやく寝付けたと思えば――ナナシは夢の中にまで現れた。周囲には黒いもやが僕達を囲むように渦巻き、薄暗い。
彼女はこの状況にも関わらず、穏やかな笑みを浮かべて僕を見つめている。そして無音といってもいいほどの静寂が、僕達の間に横たわっていた。
困惑するだけの僕に、彼女はそっと身を寄せてくると甘えるような声色で囁く。
"ねえ、レッド。私……君のこと、好き――"
何故だか僕はその声に抗うこともなく、彼女を抱きしめていた。時に夢は"見る者の中に眠る願望を映し出す鏡"となる、と以前誰かが言っていたのを思い出す。
いくら必死に否定してもそれは上辺だけのもので、奥底にある想いまでは覆せない。確かにここには、"ナナシに一人の男として見てほしい"と望んでいる僕がいた。
自身の想いを受け入れた瞬間、周囲を取り巻いていた暗雲は光の粒子へと変わり、僕とナナシを包み込んでいく。
それはどこまでも暖かく心地良い、甘い夢だった――。
この日から、ナナシに対する接し方は変わった。可愛らしいと感じれば頬は緩んでしまうし、彼女の一挙手一投足に目も心も奪われる。
誰よりも側で彼女の笑顔を見ていたくて、守りたくて、一緒に過ごす時間を重ねていった。相変わらずリュカとリーフからは茶化される日々が続いたけど、今ではそれも悪くない。
そんな日常が続いていたある春の日、僕はナナシと共に屋敷近くの湖畔を訪れていた。理由は、ただ二人きりになりたかったから。
水面に反射する陽光を受けて、ナナシの瞳が凛と輝く。その双眸は僕に向けられると、柔らかに細められた。
"実は私ね、前からレッドのこと……"
湖は鏡のように凪いでいて、揺らぐことなく二人を映し出している。僕とナナシによる第二幕が、ここから始まろうとしていた――。
テーマは「鏡」。
レッドとリュカが親しいのは、亜空軍との戦いが切っ掛けということで。
詳しくはスマブラXの「亜空の使者」にて。