こぼれ星
千切れ雲すら見えない真っ青な空の下。私と彼の声が高らかに響き渡ると同時に、両者の間に突風が巻き起こった。
木の葉と水飛沫が入り交じったそれは上空にぼやけた虹を生み出し、限界を迎えていた相棒は静かに尻餅をついた。
「勝負あり、か」
「そうみたい。お疲れ様、頑張ったね」
労りの声をかけながら背中をさすってやると、喉をならして気持ち良さそうに目を細めていた。
疲労回復にヒメリの実を食べさせると、休ませるべくボールに相棒を戻す。さっきは私の判断が遅れて負けてしまった。まだまだだな。
軽く息をつくと、今までバトルをしていた少年――レッドが私のそばに近付いてきた。
「ナナシのポケモン、前よりも動きが鋭くなった」
「ありがとう。これもレッド達が特訓に付き合ってくれてるからだよ。それに、この子も頑張り屋だから」
手の中のボールをそっと撫でていると、レッドは穏やかに口元を緩めていた。
今日は休日。私は同じポケモントレーナーであるレッドを誘い、"おつきみ山"の麓でポケモン達の鍛錬をしている最中だった。
此処は私達が暮らしている屋敷のある世界ではなく、レッドの故郷である"別の世界"。
それにしても彼のポケモン達は本当に強い。洗練された技の数々。キレのある身のこなし。日々屋敷の強豪達と真剣勝負をしているのだから、当然と言われれば当然なんだろうか。
対する私はトレーナーとなって半年になるものの、学ぶべきものが四方八方に広がっている。ひとつ拾い上げては躓いて、何か一つできるようなれば次の壁が分厚くそびえ立つ。
だけど不思議と焦燥感はない。これもきっと今の環境に恵まれているからだろう。レッドという頼もしい先輩トレーナーの存在があって、誰よりも頑張り屋な最高のパートナーがいてくれる。
だからこそ私はトレーナーとしての自分を見失わずにいられるんだ。そんな思いに耽りつつ、何気なく周囲の木々に視線を移した時だった。
「なんだろう、あれ……?」
私の様子を見てレッドも同じ方向に顔を向けると、小さく声を漏らした。視線の先にあったのは一本の木。その根元に、ぽつんと小さく丸いものが置いてあるのである。あれはもしかしたら、もしかして。
二人で顔を見合わせて頷くと、そっと丸い物体に近付いてみる。両腕に収まるほどの大きさで薄桃色をしたそれは、予想通りのものだった。
「これ、ポケモンのタマゴだよね!? 初めて見た……!」
興奮を抑えきれない私とは対照的に、レッドは冷静な面持ちで周囲を見渡していた。しかし何も見つけられなかったのか、小さく首をかしげる。
「近くに親がいるはずなのに、姿が見当たらない。巣らしきものも無いし」
「まさか親が遠くに行って、そのままとか?」
「分からない。ただ、野生ではこうしてタマゴだけが残されることも少なくないって、前にオーキド博士が言ってた」
「そうなんだ……このまま放置するのもまずい気がするし、どうしよう」
いずれ親がタマゴを探しに戻ってくるかもしれない。しかしポケモンの中にはタマゴを餌にする種族もいると聞く。最悪別のポケモンに襲われる可能性だって充分あり得る。
一体どうしたらいいものか。唸りながらタマゴに触れた時――それは突然ぴくん、と揺れた。驚いて手を引っ込めると、タマゴは再び左右に震えだす。
「ねえレッド、これって……!」
「ああ、もうすぐ孵るんだ」
先程よりも力強く不規則に揺れ動くそれは、ひとつの命がこの世に生まれ出ようとしている証。二人で静かに見守っていると、やがてぱきっと軽い音を立てて小さなひびが入る。
もういてもたってもいられなくなり、私は励ましの声をかけ続けた。もう少し、あともう一頑張りだから。
するとタマゴのてっぺん部分がひび割れ、そこから光が漏れ始める。そして一際大きく揺れると同時に、内から殻を突き破って現れたのは――卵の殻と同じ色をした桃色のポケモン。
丸みを帯びた一対の耳。額でくるんと巻かれた長い毛。短な手足に、カービィを彷彿とさせるような顔立ち。全身のシルエットはさながら星型のよう。
一見その姿はピッピというポケモンに似ているものの、あまりにも幼く見える。もしや別種なんだろうか。
「可愛い! でもピッピ……じゃないよね、この子」
「うん。"ピィ"といって、ピッピの進化前の姿だ。まさか野生の個体を見られるなんてな」
レッド曰く、このピィというポケモンは私がよく知るピチューと同様"ベイビィポケモン"という区分に分けられるらしい。
通常野生のピッピを見かけるだけでも珍しいことなのに、まさかその幼体にお目にかかれるなんて。まじまじと見つめていると、ピィはつぶらな瞳でこちらを見上げてきた。
目が合うなり、嬉しそうに笑って短い手足をばたつかせる姿があまりにも可愛らしく、思わず身悶えしそうになる。
「可愛すぎる……! って、この子どうしよう!?」
幼子の機嫌は山の天気の如く、というのは人もポケモンも変わらないらしい。今までご機嫌だったはずのピィは次第に瞳を潤ませるとぐずり始めてしまった。
慌ててあやしてみるものの効果はなく、ついには泣き喚くように。私が途方に暮れていると、突然目の前に青く丸いものが差し出された。
「産まれたてでお腹が空いてるんだと思う。ナナシ、これを食べさせてあげて」
レッドが差し出したのはオレンの実だった。それを口元に運んでやると、美味しそうに頬張りながら笑顔を取り戻すピィ。
お腹が満たされたからか、小さく欠伸をしたかと思うと私の腕の中で寝息をたて始めた。
「よかった……落ち着いたみたい。ありがとうレッド」
安堵のため息をつく私だったけど、肝心なのはここからだ。この子をどうするべきか。さっきの泣き声はかなり響いていたと思うけど、それでも親が現れる気配はなかった。
気付けば太陽は沈みかけていて、空は茜色に染まり始めている。もうすぐ夜行性のポケモン達が活動を始める時間帯であり、そんな中この子を一人にしておくのは危険極まりない。
「とりあえずニビシティに戻って、ポケモンセンターに連れて行こう」
最早それしかないだろう。レッドの提案に頷き、二人で静かな山道を引き返していくことにしたのだった。
その途中もピィは気持ちよさそうに眠っていて、愛らしい寝顔を見た私達は微笑みを交わす。
「さっきのレッド、冷静にピィのこと見てて頼もしかったよ。流石だね」
「あれは……過去にタマゴの世話をしたことがあったからで」
いつも冷静沈着なレッドにしては珍しく、慌てた様子で顔をそらされた。もしかして照れているのか。そう思うとなんだか彼がかわいく見えてきて、もっとからかってみたくなった。
「またまたぁ、レッドなら将来良いパパになれるんじゃない?」
ふと、一人分の足音が止まる。どうしたのかと振り返ると、数歩後ろで立ち止まっているレッドの姿があった。
どうやら少しふざけ過ぎたらしい。急に不安になってきて、彼に歩み寄ろうとした時だった。
「それなら、ナナシは僕のお嫁さんになればいい」
一瞬何を言われたのか分からなかった。その言葉を脳内で反芻していくうち、私の顔は火がついたみたいに熱くなったのである。
まさかレッドの口からそんな言葉が出てくるなんて思わなかった。完全に油断していた私は、情けなく唇を震わせるばかりで。
そんな私を一瞥すると、彼は何事もなかったかのように歩き始める。今の言葉の真意を問う暇もなく、私も遅れて後に続くしかなかったのである。
***
その後ピィはポケモンセンターで保護されることとなり、一件落着――というわけにはいかない自分がいた。
"この世界"の屋敷に戻り、眠りに落ちようとする今もレッドの言葉が頭から離れないのだからどうしようもない。
あのセリフはあまりにもレッドらしくない。今思えば、私への仕返しとして放った冗談かもしれない。
からかわれただけにしても、あそこまで動揺してしまったのは不覚だった。これでは今後どんな顔をして彼と接すればいいのか分からない。
それでも頭の隅では"レッドのお嫁さん"になる未来を想像してしまい、余計に眠れなくなってしまったのだった――。
そろそろ甘めのレッド夢が書きたかった。