迫る風
私は『この世界』のとある屋敷に仕える使用人の一人だ。とはいってもこの屋敷はかなり特殊なようで、住人と使用人の間に大きな身分の差はない。
仕事の内容も屋敷の敷地内の清掃、食堂で食事を作ったりといったもの。シフトによっては早番や夜勤というものがあるけど、それ以外に特に厳しい制約というものは無かった。
使用人それぞれに部屋も用意されているし、しっかり休暇も与えられている。だからここの生活には不自由していない。だけど、私にはひとつの悩みがあった。
「Hey,ナナシ! Good morning!」
朝から流暢な英語で挨拶をかましてくる、この青いハリネズミの存在だ。名前をソニックといって、この屋敷に住まうファイターの一人。音速の足が自慢の、キザでちょっと生意気なヤツ。
ひょんなことで関わりを持つことになってからというもの、彼はこうして毎朝のように私に絡んでくるようになったのである。朝は静かに迎えたいと思っている私にとってはいい迷惑でしかない。
ソニックは誰よりも走ることが大好きで、一日の乱闘のノルマを達成した途端に屋敷から姿をくらますということで有名だった。だからこそ私みたいなインドア派の人間とはあまり関わろうとしないと思っていたのに。
正直に言ってしまえば彼のことは嫌いじゃないけど、そんなことを言えばきっと調子に乗るだろうから絶対に口に出さない。
「……ああ、おはよ」
気怠さを含ませつつ返して洗面所へと向かう。その間も彼は私に並ぶように歩き出し、むかつくくらい爽やかな笑みを浮かべるのである。何がそんなに楽しいんだか。
「今日も良い天気だ。こんな日はどこか遠くまで走りに行きたい気分になるよな」
「そう。ならいつもみたいに走ってくれば?」
突き放すように素っ気ない返事をすると、彼は大げさに肩を落としてため息をつく。まったく、いちいちリアクションが大きい奴。
「つれないなあ。誘ってるって分からないもんかねー?」
「生憎あんたと違って暇じゃなくてね」
私が吐き捨てるように言うと、彼は黙り込み口を尖らせていた。流石に少し言い過ぎたか。いや、これしきのことではソニックは全く動じないだろう。
彼だって元の世界では幾度となく活躍してきたヒーロー的存在なんだし、女に適当にあしらわれたぐらいで気落ちする程ヤワではないはずだ。
こうして問答を繰り返している内に洗面所に着く。顔を洗って歯を磨いている間、彼は壁に寄りかかりながら私の手が空くのを待っているようだった。
「ちょっと。まさか私の身支度が終わるまで待ってるつもり?」
「Of course,そのまさかさ」
「私がさっき言ったこと、忘れたの? 暇じゃないって言ってんの」
本当は嘘だ。今日は用事などというものはなく、この後は部屋でのんびりしたり適当に街を散策する予定だった。要は彼と同じくただの暇人なのである。とにかくこのハリネズミを振り切ることができるなら、と考えただけのことだ。
「お前、今日は休みだろ。それとも……まさか男がいる、とかか?」
ふとソニックを包む雰囲気が変わった気がした。変わらず口元には挑発的な笑みが残っているけど、その翡翠の瞳は真剣みを帯びていて真っ直ぐにこちらを捉えていた。
私は一瞬言葉を失いかけたものの、動揺を振り払うように頭を振る。それと同時に、彼が私をどう見ているのか、試してみたくなった。
「もしそうだったら……どうなの?」
「どうってことない。奪ってやるさ」
なんてことだ。いつものおちゃらけた様子からは想像できない答えが返ってきて、不覚にも胸の奥が締め付けられるような感覚に襲われた。
恋人がいることだって本当は嘘なのに、彼の返答はどこまでも曇りのない真っ直ぐなもので。対する私は自分の意地の悪さに嫌気が差してきて、そっと目を伏せた。
「お前が好きになる男がどんなヤツなのかも気になるしな」
「……私が誰を好きになろうが自由でしょ。ソニックにとやかく言われる筋合いはないもん」
まだ私はつまらない意地を張っている。ソニックは素直じゃない私の何処に惹かれたのか、全く見当もつかない。ゆっくり顔を上げると、彼は瞬きする間に距離を詰めていた。私の呼吸が、一瞬止まった。
「なら言わせてもらうが、こうやってお前を好いて言い寄るのもオレの自由だ。そうだろ?」
今度こそ何も言い返せなくなった。このハリネズミは本当に狡い。観念してため息をつくと、彼は満足そうな表情を浮かべて私から離れる。
唇を噛む裏で悔しいけど此奴になら、とか思ってしまう自分がいた。でもそれを口にするのは恥ずかしいし、そもそもこんな感情を抱く時点で負けを認めているようなものだから、やっぱり言えない。
「ナナシ、お前が何て言おうとオレは諦めない。覚悟しとけよ?」
「そう……勝手にすれば!」
情けないほど弱々しい精一杯の抵抗。我ながらどこまでも負けず嫌いなんだ。それが余計にソニックを燃え上がらせてしまうことは分かっていても、今の私にはこれが限界だった。
今の私の顔はきっと真っ赤になっているだろう。鏡を見なくても分かる。こんな顔を彼に見られたら余計に付け上がらせてしまうではないか。
思いっきり顔を逸らしてやると食堂へと向かう。これ以上側にいられたらボロが出てしまう。しかし本心では、彼には敵わないかもしれないということを悟っていた。
だけどこのまま素直に向き合う度胸なんて持ち合わせていない。結局、私は虚勢を張っているだけだ。もう少し素直になれたらいいのに、私はこの湧き上がる気持ちの正体に気付かないふりをした。
「その意地、いつまで保つか見物だな」
廊下の開かれた窓から吹き込む風に乗せられるように、そんな声が聞こえてきた気がした。これはきっと、ソニックによる宣戦布告のようなものなんだ。
この日以降、彼の猛攻は更に激しくなった気がする。どこまでも挑戦的な彼に、私はいつまで持ちこたえられるだろうか。
マリン様へ。シチュはお任せということで、強気なヒロインとして書かせていただきました。
どう言われようと攻めの姿勢を崩さないソニックが好きです。
今回はリクエストありがとうございました!
お持ち帰りはマリン様のみとさせていただきます。