その一歩先へ
平日の昼下がり。今、僕はナナシとのデートの真っ最中だ。この日は午前中に乱闘のノルマを消化してあり、彼女の方も夜勤明けということでこうしてお互いにゆったりとした時間を共有していた。
隣を歩く恋人の姿を見ているだけで疲労感も吹き飛ぶというもので、自然と僕の足取りは軽くなっていく。
「リュカ、今度はこっち行ってみよう!」
ナナシの朗らかな声が響くと同時に右手をきゅっと掴まれる。女子特有の柔らかい手の感触にドキリとするけれど、それもすぐに心地よい感覚へと変わっていく。
彼女は普段は快活な人だけど、時には別人を思わせる冷静な部分も持ち合わせている。友達だった頃から僕はそういった所にも惹かれていて、日に日に想いが膨らんでいった。
そうして僕から告白をし、彼女も同じ想いを向けてくれていることを知って恋人となったんだ。付き合い始めてからのナナシは、なんというか少しだけ積極的になった気がする。
いつも手を繋いでくるのは彼女からで、僕は舞い上がる気持ちを抑えて受け入れるだけ。今まで僕達はそうしてきた。
だけど、最近ではこのままでいいんだろうか、というささくれにも似たものが心の中に現れ始めていた。だからこそ今日の様な日に、勇気を出してアクションを起こしていかないといけないんじゃないか。
そんなことを考えながら歩いていると、不意にナナシが立ち止まった。何かと思って顔を向けると、そこには小さなアクセサリーショップがあった。
小規模ながらも客の心を惹きつけるものがあるみたいで、彼女曰く昔からこの街の一角にある老舗だそうだ。
彼女に促されるまま店の中に入ると色とりどりの髪飾りやブレスレットなどが並んでいて、奥の方にはピアスなんかもあるみたいだ。どれもこれも目移りしてしまうような出来栄えで、装飾品に疎い僕でも思わず見入ってしまう。
「ねぇリュカ、これとか可愛いと思うんだけど……どうかな?」
ナナシが手に取ったものは小さな花の装飾が施されたヘアピン。一見すると控えめなもので、それでいて可愛らしさはしっかりと抑えてあるデザイン。
これをナナシが付けていたら、より素敵な姿になると思う。なんて考えていた僕は、ひとつ男らしい所を見せたくなった。
「うん、ナナシに似合うと思う。それ、僕が買うよ」
「えっ!? そんなの悪いって、」
「何も悪くないよ。プレゼントさせて」
戸惑っている様子の彼女を他所に、そのヘアピンを手に取るとレジに向かう。店員さんがやってきて会計を済ませると、僕達に向けて小さく微笑んできた。
手渡された紙袋をよく見ると、小さなハートのシールで留められていた。このお店が代々長く続いている理由が、少しだけわかった気がする。
店を出ると僕はナナシに紙袋を手渡す。彼女はおずおずとそれを受け取り、そっと両手で抱え込んだ。たまに見せる控えめな所も本当に愛らしくて、一緒にいればいるほど好きになっていく。
「リュカ……その、ありがとう」
「気にしないで。その代わり、今後デートの時にはそれを付けていてほしいな」
「うん! 絶対付ける!」
嬉しそうにしているナナシを見てホッとしている自分がいた。良かった、これで彼氏らしい一歩を踏み出せたかもしれない。
それから僕達は再び手を繋ぎながら街中を散策し、気になったお店の前で立ち止まってみたりしていた。入口の横にある料理のサンプルを熱心に眺めているナナシの瞳は輝いて見える。
「わあ、美味しそう。フレンチ、っていうんだっけ? こういうの」
「うーん、多分。でも僕達にはまだ早い気がするな。もう少し大きくなったら……一緒に食べに行こう」
「うん!」
ナナシが満面の笑みを浮かべる。それを見ているだけで頬が勝手に緩んでしまうし、胸はきゅうと締め付けられる。
その後も街を巡り続け、いつの間にか夕方になっていた。最後に立ち寄ったのは街外れにある公園で、海が見えることから密かな人気スポットとなっているらしい。
陽光を浴びて煌めく海は美しく、いつまでも見ていたくなるくらい魅力的だ。水辺線には船が浮かんでいで、丁度夕日を横切ろうとしている。
こんなに美しい光景を、大好きなナナシと一緒に共有している。この状況が何よりも幸せで、心の底から満たされる。
ふと隣を見ると、彼女もこちらを見つめていて目が合った。お互いの顔は橙に染められていて、そのままどちらからともなく笑い合う。
「ナナシ、今日は楽しかったね」
「今日も、だよ? だって私、リュカといられるだけで楽しいんだから」
そう言って照れながら笑うナナシの笑顔は眩しくて、僕はつい目を細めてしまう。この輝きは決して夕日に照らされているからというだけではない。
僕だって君と居られるだけで嬉しいんだよ。もう言葉にするだけじゃこの気持ちは収まりが付かない。更にここから一歩、踏み出してみよう。今の僕なら、それができる。
「……ナナシ。少しだけ目を閉じててほしい」
「え? うん……」
不思議そうにしながらも素直に従ってくれたナナシの前に立つと、大きく息を吸う。心臓の鼓動が激しくなって、顔中に熱が集まっていく。それでもなんとか勇気を振り絞ると、僕はそっと彼女に顔を近づけていく。
そして唇同士が触れ合う直前、僕はゆっくりと瞼を閉じる。一瞬の沈黙の後、柔らかなものが触れる感触と共にナナシが小さく肩を震わせ、声を漏らす。
初めてだし我ながら下手だとは思うけど、ナナシは静かに受け入れてくれた。やがて顔を離していき、僕は目を開ける。視界に映る彼女は呆然としたまま瞳を潤ませていた。
「リュカ……今のって、」
「ごめん、いきなりで。嫌だったかな……?」
「そんなことない。むしろ、凄く嬉しかった……」
俯きがちに答えるナナシの耳元が真っ赤に染まっていて、僕も後から湧き上がってきた羞恥心に苛まれる。今更だけど、とんでもないことをしてしまった気がする。
でも後悔は無い。僕の想いを精一杯伝えることができたし、今日は恋人として大きく進展した日だと思う。
その後、そっと手を繋ぎなおすと屋敷を目指して歩き出す。お互いに口数は少なくなっていたものの、僕達を包む雰囲気は心地良いものだった。
今はこうして手を繋いだりキスをするので精一杯だけど、これからももっと素敵な場所へ行って、二人で色々な思い出を重ねていきたいな。
僕達がもう少し大きくなったら、大人のデートというものだってしたい。その頃にはきっと、今以上に想い合える関係になっているだろう。
「……ナナシ、これからもずっと僕の側にいて」
「リュカこそ、私を置いていったりしないでよ?」
互いに見つめ合いながら、誓うように指を絡め合う。この想いが恋から愛に変わる日も、そう遠くないはずだ。
アミノ様へ。折角のデートなので甘めに書かせていただきました。
男としてちょっと背伸びをしてみたいリュカ、という感じに。
今回はリクエストありがとうございました!
本作品のお持ち帰りはアミノ様のみとさせていただきます。