ソニック短編1

Morning glow

Blow in

 正午を告げるチャイムが鳴り響く中、私は観戦用のモニタールームでひとつの試合を見守っていた。休憩中、昼食を摂った後はこうして試合を観戦するのが日課となっていた。
 現在トップに躍り出たのはソニックだ。まるで閃光と化したように一筋の光となってステージ中を駆け巡り、他のファイター達を翻弄していく。その姿は時に踊るように、そして刺すように舞っていた。
 気付けば私は彼の青い軌跡を目で追っていた。視界に入っている頃には既に彼はずっと先へと進んでいるというのに。激しい攻防の末、この試合はソニックの勝利という形で締めくくられた。
 表彰エリアで得意気に微笑む姿がなんだか眩しく感じられた私は、背を向けるようにそっと部屋を後にした。

 折角の休日だというのに私は屋敷で特にすることもなく、かといって部屋に篭っているのも落ち着かない。取り敢えず屋敷を出ると行く宛もないまま散歩をし、気が付けば丘に来ていた。
 ここは私達の住む屋敷からさほど遠くない場所で、普段散歩をする時に立ち寄ったりするお気に入りの場所だ。見渡す限り一面に広がる草原の中に、ぽつんと立っている一本の立派な大木。その下に腰を下ろして景色を眺めるのが大好きだった。
 今日のように少し蒸し暑い日でも、木の下にいれば心地良い風を感じることが出来る。しばらくはここで読書でもしていれば時間を潰せるだろうと思い、バッグから読みかけの本を取り出した時だった。

「Hi,ナナシじゃないか」

 頭上から心地良いテノールの声が響いてくる。驚いて上へ視線を向けると、一番太い枝の上に鮮やかな青色をしたハリネズミの姿があった。
 いつからここにいたんだろう。今の今まで気配もなにも感じられなかった。私が驚いている間に、彼は軽やかに着地すると隣に腰を下ろした。

「……ああ、ソニック。どうしてここに?」
「散歩の休憩さ。ここにはよく来るんだ。この丘はいつでも良い風が吹くからな」

 確かに、私もこの風に惹きつけられてここに通うようになったクチだ。時折吹き抜けていく涼しい風を感じながら見下ろす景色は格別だから。
 それにしても、こうしてソニックと二人きりになるという機会は今まで無かった。何故なら私が彼に対して仄かな苦手意識を抱えているからだ。決して人柄が嫌というわけではなく、その理由は彼の特技にある。
 ソニックが走る時はいつも楽しそうな笑みを浮かべていて、それを見ている内に心の奥が曇るのを感じては距離を取ってきた。根っから走ることを愛しているといった振る舞いに、何故だか苛立ちに似たものが湧いてくるのである。
 これは彼へのものか、それとも自分へと溢れてくるものなのか、分からなくなる。俯いていると突然ソニックが私の顔を覗き込んできて、思わず仰け反ってしまった。

「なーに難しそうな顔してんだ?」
「ううん、なんでもないよ」

 君のせいなんだけども。とは口に出さずになんとか笑って誤魔化すと、ソニックはじっとこちらを見つめた後に盛大なため息をついた。

「お前って嘘が下手なタイプなんだな。何もないなら眉間に皺寄せたりしないだろ」

 その言葉に肩が跳ね上がる思いだった。思い切り顔に表れていたらしい。これ以上彼に対して上手く誤魔化す術もなく、観念したように口を開く。

「ソニックってさ……走るの、好きだよね」
「ん? まあな!」

 即答されてまた胸が痛くなった。普段の彼を見ていれば分かりきっていた返答だろうに、私は何を考えてるんだろうか。

「そっか。実は私……走ること、嫌なんだ」
「Why? 何かあったのか」

 私の言葉に目を丸くして続きを促してくるソニックから再び顔を逸らす。

「小さい頃、運動会のリレーで私が遅いせいでチームの足を引っ張っちゃってね。折角途中まで1位だったのに、私の番でビリになっちゃった。それ以来走ることが楽しいとは思わなくなったんだ」

 当時の友達は優しいことに私を責めることなく慰めてくれた。それでも申し訳ないという気持ちの方が上回ってしまい、それ以来私は普通の駆けっこすらできなくなった。皆と一緒に走るとあの時の無力感を思い出して辛くなるだけだから。
 過去を語る内に自然と自分の手には力がこもっていて、小さく震えだす。しかし次の瞬間、私の手はふわりと温かいものに包み込まれた。
 見上げるとソニックの手が自分の手に重ねられている。彼はそのまま黙っていたかと思うと、ぽつりと呟いた。

「なあ、そろそろ自分の為に走るのもいいんじゃないか?」
「え……自分の為?」
「ああ。オレだって誰でもない、自分の気のままに走ってるからな」

 飄々とした口調ながらも、ソニックの目は優しげに細められていた。彼ってこんな目をする時もあるのか。誰の為でもなく、自分の心に任せているからこそ自由に走れる。それが彼の信条らしい。
 でも、私がその領域に辿り着ける日は来るんだろうか。木漏れ日に照らされて輝く翡翠の瞳で見つめながら、彼は続ける。

「過去は過去だ。それよりも今と向き合ってみろよ。そうすればナナシも本気で走ってみたいって思える日が来るかも知れないぜ?」

 先程の慈愛に満ちた表情は何処へやら。また普段見せるような強気な笑みを向けてくる彼の顔から目が離せない。もし、もしも。君と一緒に走ったらどんな世界が見えてくるんだろうか。

「私も……走ることを好きになれる、かな?」
「なれるかじゃなくて、なりたいんだろ? だったらまずは頭空っぽにして走ってみようぜ」

 そう言って立ち上がったソニックは私に手を差し出してきた。おずおずとその手を掴んで立ち上がると、勢い良く引っ張り上げられる。
 そして私の手を掴んだまま走り出したので、つられて足を踏み出すしかなかった。一歩、二歩と踏み出していく内に加速していく彼に、私は思わず焦りの声を上げる。

「ま、待ってソニック! 私、足遅いから……っ!」
「No problem! 速いとか遅いとか、そんなの関係ないさ。今を楽しめよ!」

 私の方に振り向きながら無邪気に笑いかけてくるソニックを見ている内に、彼が言うなら何とかなるのかな、という気がしてくる。草原を走り抜けていくと、爽やかな風が頬を通り過ぎていき、次第に心に纏わりついていた埃のようなものが吹き飛んでいく気がした。
 ああ、自分の思うままに走るってこんなに楽しいんだ。今まで目を背け続けてきたものは、私に新たな風を吹き込んでくる。
 こちらの速度に合わせて隣を走るソニックの顔を見ると、彼はとても嬉しそうに笑顔を浮かべていた。本当に心から走ることを楽しんでいるといった表情だ。
 私もつい笑みを零すと、彼は少し驚いた様子を見せて口角を上げる。時折起伏のある場所に足を取られそうになりつつも、私達は無我夢中で丘を駆け回っていた。

 二人でしばらく走っている内に、いつしか屋敷の近くまで戻ってきていた。日も傾きかけていて、時間も忘れるほどに走っていた自分に驚く。
 体は心地よい疲労感に襲われていて、お腹からは空腹の合図が鳴り響く。帰る途中、ソニックが私の顔を覗き込むように問いかけてくる。

「ナナシ、今日は楽しかっただろ?」
「うん、凄く楽しかった。こんなに気持ちが晴れたのは久しぶりかも」

 本心のままに答えるとソニックは満足そうに微笑む。

「良い顔で笑うようになったじゃないか。普段のお前、表情っていうのが無かったからな」
「えっ! 私、いつもそんな風だった?」
「ああ、いつも満たされないっていう感じに見えてたぜ?」

 その言葉に思わずショックを受ける。ソニックが普段から私を見ていたということにも驚いた。確かに今までの自分はどこか冷めた目で物事を見つめていたし、特に何かに熱中することもなかった。でも、今は違う。
 長年忌避していた『走る』ということと向き合えたし、誰かと一緒に過ごすことも悪くないと思えた。そして今日、私にとって良い変化をもたらしてくれたのは紛れもなくソニックだった。

「……ねえ、ソニック」
「どうした?」
「今日、あそこでソニックに会えて良かった。君のお陰で走ることが好きになったんだからね。ありがとう」

 勝手に溢れる笑顔をそのままに素直な気持ちを口にすると、何故かソニックは明後日の方向を向いてしまう。一体どうしたのかと首を傾げていると、ぼそりと呟かれた声が耳に届く。

「……Wait,反則だろ、それ」

 その小さな呟きの意味がよく分からなくて聞き返すも、何でもないの一点張りだった。結局教えてくれないまま、彼は歩調を速めてしまったので慌てて小走りでついて行く。そんな私はこの一日でもっとソニックのことを知りたいと思えるようになっていた。

本編では普段達観した言動が目立つのに、時折年相応の仕草を見せる所が好き。 




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