ソニック短編10

Morning glow

瑠璃色Summer time

 夜十時。夜勤から解放された私は更衣室を出るとすぐに浴場へ向かい、ゆっくり一日の疲れと汚れを流し落とした。そしてようやく自室に戻ると、机の上に置いてあるボストンバッグを手に取りベッドに腰かける。

「ふふ……明日からは待ちに待った連休。この日の為にどれだけ仕事を切り詰めてきたか……!」

 浮き立つ心を抑えきれないままに独り言を呟くと、バッグのファスナーを開け中身を確認する。二日分の着替え、衛生用品一式、お気に入りの化粧ポーチ。日焼け止め。そして今回何より大事な物。それは――

「はあ、何回見ても可愛いデザイン……かなり迷ったけどやっぱりこっちにして正解だったなあ」

 先週用事で街に出掛けた際に買っておいた水着。そう、明日は街の近くにある海水浴場へ行くのである。こんな真夏には一度くらい海で羽を伸ばしたいと思い、以前から計画していた。
 この二日間の休みを取るため、どれだけ仕事を詰めに詰めて頑張ったことか。時折倒れそうな思いをしながらも、全てはこの日の為に頑張ってきたのだ。

"ああ、真夏の太陽と鮮やかな海が私を待っているっ!"

 バッグを机の上に戻し、明日の煌めくひと時を思い浮かべながらベッドに潜り込む。しかし、そんな私を待ち受けていたのは非情な現実であった――

***

 翌朝、窓を叩く耳障りな音によって覚醒した私は咄嗟にカーテンを開くと、大粒の雫がガラスに激しく打ち付けていた。嘘だ、ありえない、これはきっと夢なのでは。
 縋る思いで自分の頬をつねってみるも、じんわりと広がる痛みが現実だと教えていた。昨日何度も確認してきたはずの天気予報は、ここにきて見事に大外れとなったのである――

"本来だったら、もうこの時間にはバスに乗って……海に向かってて……"

 あれから一時間、呆然としたままベッドの上に転がっていた私。ふらついた足取りでようやく部屋を出ると、とりあえずロビーに入り長椅子に力なく座り込んだ。
 どうして、何でよりによってこの日に。どうしようもなく大きなため息をつくと、傍に一人の影が掛かる。気怠げに顔を上げるとそこには青いハリネズミ、ソニックがこちらの様子を伺うように覗き込んでいた。

「Hey,ナナシじゃないか。どうしたんだよ、こんな所で萎れた顔して」

 今は口を動かすことすら億劫に感じられる。しかし、誰かに話すだけでも少しは楽になれるだろうか。以前から海に出かけようと計画していたものの、この大雨によって全て潰されてしまったことを話すとソニックは苦笑しながら肩をすくめて見せた。

「そういうことか。ま、予報だって正確じゃないしな。そういう日もあるさ」
「でも簡単には切り替えられないって……この日の為に溜まってた仕事全力でやり切ったんだよ?」

 苦労の日々を思い返して再びため息をひとつ。もう今日は不貞寝でもしてやろうかと、半ば自暴自棄になる。

「折角新しい水着とか色々用意してきたのに……」

 この瞬間ソニックの耳が"ピンッ"と立ったことに気付かないまま立ち上がった私は、自室に戻ろうとするも突然腕を掴まれた。驚いて振り向くと、そこには真剣な表情を浮かべたソニックの姿が。

「え、何、どうしたの……?」
「なあ、お前は今日どうしても海に行きたかったんだよな?」
「それはそうだけど……もう諦めるってば」
「オレが連れてってやる、って言ったら?」

 今までの話の流れで何故そんな発言が出てくる。理解が追いつかなくて思わずソニックの顔を凝視してしまう。彼はそんな私の反応を見てお得意のニヒルな笑顔を浮かべた。

「あのね……この大雨だよ? 一体何処に連れて行くって、」
「おいおい忘れたのか? この屋敷の地下にあるだろ。こんな状況に"うってつけのモノ"が」

 分かってないなと言わんばかりに人差し指を左右に振って見せるソニック。私はようやく彼が何をしようとしているのか理解した。この屋敷の地下には、ファイター達がそれぞれ暮らしてきた元の世界と"この世界"を結ぶ不思議な扉がある。
 ちなみにこの扉は使用人の身分では開くことが出来ない為、使う際にはファイターの同行が必須となる。彼はその仕組みを利用して私を別世界の海へ連れていこうと考えているみたいだ。

「そっか、確かソニックの世界にも海水浴場があるって言ってたっけ。嬉しいけど本当にいいの? ソニックだって他に用事とかあるんじゃ……」
「気にすんなよ。オレだってお前と同じくこの雨にうんざりしてたところなんだ。で、どうする?」

 ソニックの提案は実に魅力的で拒む理由は何処にもない。この日を逃せば次にまともな休日を取れる頃には海水浴のシーズンは終わってしまうだろう。
 しかしどうしても無視できない要素もある。それは異性と二人きりで外出するということだ。いくら相手が人間ではないといってもやはり意識してしまうものはある。
 そこで"休日の絶大な価値"と"異性と二人きりという恥じらい"を天秤にかけてみたものの、悩んだ末結果は前者に傾いた。

「……分かった、お願いするよソニック。一緒に連れて行ってくれる?」
「OK,そうこなくっちゃな!」

***

 雲一つない快晴には自分が主役だといわんばかりに太陽が煌めいている。青緑色の海は濁りもなく透き通っていて爽やかなグラデーションを作り出しており、画布のような白い砂浜がそれをより一層際立たせていた。
 ここは"エメラルドコースト"と呼ばれる場所で、臨海都市"ステーションスクエア"にある海水浴場だ。すぐ側にはリゾートホテルもあり周囲は観光客で賑わっている。
 日焼け止めを塗り、水着に着替えた私は更衣室から出ると大きく背伸びをした。全身に潮風と真夏の日差しを浴びれば自然と気分も高揚していく。そう、私はこの感覚を求めていたんだ。

「へえ……その水着、似合ってるじゃないか」
「ど、どーもっ!」

 ソニックはパラソルの下でビーチベットに横たわり、ジュースを楽しみながらどこか意味深に微笑んでいた。我ながら自信のあるチョイスだったけど、いざストレートに褒められるとやはり照れ臭いものがある。
 なんだか居た堪れなくなってきて、早々に準備運動を済ませるといよいよ海へ飛び込んだ。今はとにかく体を水中へと隠したかったのである。

「ふう~……冷たくて気持ちいい……」

 仰向けになって浮かんでいた私はふと浜辺の方を見ると、ソニックはまだパラソルの下から動く気配を見せずにいた。折角の海なんだから彼も泳げばいいのに。

「おーい、ソニックは海入らないのー?」
「I'll pass.(遠慮しとく)」

 何とも素っ気ない返事である。そういえば以前"ソニックはカナヅチ"という噂を小耳に挟んだことがあるけど、まさか本当だというのか。それならこれ以上は無理に誘わない方が良いかもしれない。それに彼の場合、自慢の足さえあれば泳げなくても海を楽しむ方法はいくらでもあるか――
 やがて日が傾いてきた頃。ひとしきり泳ぎ回って満足した私は海から上がると、休憩がてらソニックの隣に空いてるビーチベッドに腰かけた。

「良い顔してるな。結構楽しんでたみたいじゃないか」
「うん、凄く楽しくて……良い夏の思い出が出来たよ」
「そいつは良かった。オレも久しぶりにこの辺りをひとっ走りできたしな」

 こんなに素敵な場所へ連れてきてくれたのだから感謝しても仕切れないくらいだし、今度何かお礼をしたいな――なんて考えていたその時。突然ソニックの右手が私の頬に伸びてきたではないか。

「わっ、な、何!」
「何って、顔に砂が付いてるから取ってやろうとしただけさ」

 そう言うなり指で頬を撫でられる。理由が理由とはいえ突然のスキンシップに心臓が跳ね上がりそうだ。触れられた部分から火照ってくるのを感じて堪らず身体を仰け反らせてしまい、反動でぐらりと体が後ろに傾いてしまう。

「きゃっ!?」
「……っと、大丈夫か?」

 後ろに倒れかけた身体はソニックの左腕一本で難なく支えられていた。一見細い腕なのに人間の男性とほぼ変わらない力強さ。
 何とかビーチベッドから落ちずに済んだけれど、至近距離で視線が絡み合う形になり全身が強張ってしまった。そんな空気を読んでくれたのだろうか、ソニックの手がそっと離れていく。胸を撫で下ろすと同時に寂しさに似たものが過った気がした。
 いけない、私は今何を考えていた。自分の中で芽生え始めた戸惑いを打ち消すように、勢い良く立ち上がる。

「ご、ごめんソニック! そろそろ日が暮れちゃうし、着替えてくるね!!」

 このまま此処に居たらどうにかなってしまいそうだ。ソニックの行動はただの親切心からくるもので他意はないというのに、私一人だけ取り乱して恥ずかしいにも程がある。
 その後なんとか着替えを済ませて"この世界"の屋敷に戻ると、一階のロビーで別れることに。この頃にはようやく気持ちも落ち着いてきて、まともにソニックの方を向けるようになっていた。

「今日はありがとう、ソニック。一度は雨のせいで諦めたけど……誘ってくれて嬉しかったよ」
「ま、オレは今日の雨に感謝しとくぜ。"良いモノ"も拝めたことだし」

 そう言ってちらりと流し目を送られる。ソニックの言う"良いモノ"が何を指しているのか分からず、首を傾げるしかない。そんな私の様子にソニックはただ微笑みを返すだけで、ますます意味が分からない。

「えっと、どういう意味?」
「さーて、全身ベタついてるしシャワー浴びてくるかな。それじゃ、See you.」

 質問を遮るかのように一方的に別れを告げられたかと思えばあっという間に姿をくらますソニック。風のように去っていった彼を見送りつつ、先程の言葉の意味を考えるも結局答えは出ないままで――

ソニックさんの方はとっくに矢印向けてるというのにナナシさんが初心すぎてすれ違い。くっつくにはまだまだ時間がかかりそう?




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