コントラスト
私は雪が好きだ。鈍色の雲が覆う薄闇の下で、柔らかく静かに降り積もる白を眺めていると心が安らいでいく。そして雲が去れば、降り積もった粒は太陽の輝きを受けて白銀の世界を作り出してくれる。
年に一度しか訪れないこの景色を眺めながら当てもなく散歩をするのが、私にとって"この世界"に来る前からの欠かせない恒例行事なのである。しかし今年は状況が違っていた。
屋敷から少し離れた林道を黙々と進む私の隣には、ご自慢のスノーボードを脇に抱えて歩く"世界最速"とか呼ばれているらしい青いハリネズミ、ソニックの姿がある。
別に私は彼と行動を共にするという意図はなく、あちらが勝手に歩調を合わせてくるだけだ。
「こんな所でナナシに会うなんて奇遇だな」
「そうね。君はどこまで付いてくる気なのかな」
「行く先が同じなんだから良いだろ」
実はこの林道を抜けた先には開けた場所があり、雪が積もると一面に白い絨毯が敷かれたような様相を呈するのである。私が目指しているのはまさにその場所だ。
おまけに標高800mほどの小高い山の麓に位置するのもあって、滑るには丁度良い傾斜もありウィンタースポーツを嗜む者には穴場と言える地形。年中屋敷を飛び出しては自慢の足で"この世界"を駆け回っているソニックのことだから、以前からあの場所のことは把握していたんだろう。
「ところで、お前は何しに行くんだ?」
「別に何でもいいでしょ。散歩してるだけ」
「つれないねえ」
わざとらしく肩をすくめて見せるソニックを横目に流す。私は一人が好きだからこそ、静寂に包まれた雪景色の中を散策しているだけなのだから。
雪に足を取られないように注意しながら進む内にやがて目的地へと到着した。これでようやく一人になれるかなと試しに振り返ると、彼は離れていく様子はなく私を見上げていた。
「あの……まだ何か用?」
「どうせ滑るならギャラリーがいた方が楽しいだろ?」
それは一体どういう意味だ。疑問を声に出す前にソニックはその場から一瞬で消えると、足に絡む雪などものともせず山に向かって走り去っていった。一人残された私はどうしようもなく、彼が駆け上っていく姿を眺めることしかできない。
ソニックの青い軌跡は純白の山を縦に真っ二つにするように頂上へ向かって一直線に伸びていき、そんな光景に思わず目を奪われていた自分に気付く。
「私、何やってるんだろ……」
今は自分の時間を堪能するんだ。その為の休日じゃないか。しかし振り切ろうとしているのに、足をこの場から動かすよりも山の方へと視線を向けることに意識を持っていかれる。
まるで散策するよりも大事であるかのように、ごく自然に首が動いていた。これはきっと先程の、白のキャンバスを引き裂くような勢いで駆けていった"青"が脳裏に焼き付いているせいに違いない。
もう一度あの軌跡を見たいなどという微かな興味が、心の底に根を張ろうとしていることに私は気付いていなかったんだ。しばらく山頂を見つめて立ち尽くしていると、やがて微かに雪が舞い上がるのを確認できた。
その軌道は左右に大きく揺れながらもこちらに向けて下ってきており、中腹にまで来ると舞い上がる雪煙の中に青の輪郭が浮かんでくる。そしてようやく麓まで降りてくると、速度を乗せたままこちらに接近してくるではないか。予想外の進路に思わず後退りしてしまうも雪に足を取られて尻もちをついてしまった。
「え、ちょっと待ってっ、」
このままでは衝突してしまう――咄嗟に身を縮こませるも、彼は50m程前で横に逸れていくとその先にある凍り付いた岩に乗り上げてそのまま空高くジャンプした。
スノーボードから飛び散った雪が日の光を受けて輝き、太陽と青空を背に空中で軽やかなトリックを決めるソニックの姿をより際立たせる。彼の口元は実に楽しそうに吊り上がっていて、煌めく緑の瞳はこちらをしっかりと見据えていた。
この瞬間がやけに緩慢として見えて、たった数秒の出来事なのに時間の流れを忘れさせる程に引き込まれる。白と青のコントラストが、私の心を完全に支配した瞬間であった――。
「Hey,大丈夫か?」
気が付けば目の前で片膝をついて顔を覗き込んでくるソニックの姿が映った。どうやら我を失っていたようで、差し出された手を取って立ち上がった後も呆然と彼を見つめる。
「なんて顔してんだよ。ひょっとしてオレのトリックに見惚れてたのか?」
茶化されたことで初めて自分がどんな表情だったのかを悟ると、途端に頬が熱くなるのを感じた。不覚にも心を動かされたことは事実であり、顔を背けようにもソニックが覗き込んでくるのでどうにもならない。
右往左往する私を面白そうに見やる彼に一言物申したいけど、声が喉の奥で張り付いて上手く出てこない始末だ。これは緊張などではなく乾燥しているから。そうに違いない。
「やっぱりお前は見てくれると思ってた」
「そ、そんなんじゃ……偶然見ただけ! 私、帰る!」
やっと絞り出した声は裏返っていて、ますます動揺が隠せなくなる。これ以上ソニックの側にいるとどうにかなってしまいそうだ。私は今、自分に起こりつつある変化を恐れている。すぐに踵を返して屋敷に戻ろうとすると右腕をもう一つの熱が絡めとった。
「なあ、散歩の途中なんだろ? 付き合うぜ」
「いいってば、帰って寝る!」
「Hmm,よく分かんない奴だな」
この芽生えを認めてはいけない、受け入れてはいけない、向き合ってはいけない。ただ早く帰るのだと呪文のように呟きながら林道へ戻ろうとしている今も、私の努力を嘲笑うかのように青と白の螺旋が脳の髄にまで絡みついていく――。
天然タラシのソニックさん。