ソニック短編4

Morning glow

心香る

 室内にいるにも関わらず、雨が地面を打つ音が絶えず聞こえてくる。溜息とともに窓の外を見れば、大粒の雫が硝子に吹きつけられては滴り落ちていた――

 ここは屋敷の使用人のひとり、ナナシの部屋。彼女とは顔が合えば軽い会話を交わすような仲で、休日になると遊びに連れて行くこともあったりする。
 まあ、簡単にいえば”友人"と呼ぶような関係ってワケだ。だが最近になってその一言で片付けていいものかと、自問自答するようになっていた。
 ナナシは側にいるだけで不思議と気持ちが落ち着く反面、時に調子を狂わされてしまう不思議な女。自分でもらしくないと思えるぐらいに、心が浮つきそうになる。
 普段の彼女は派手なものを好まず、どちらかといえば地味な雰囲気を纏っている。振る舞いも大人しくて、穏やかなものだ。
 今日だって突然の訪問に驚きはしていたものの、嫌な顔もせずすぐに受け入れてくれた。こうした部分に、オレは無意識の内に甘えているのかもしれない。

「珍しいね。ソニックが遊びに来るなんて」
「見ての通りこの雨だろ? どうするかなと思ってたら、なんとなくお前の顔が浮かんでな」
「そーいうことね。お茶の用意するから、ソニックはソファーに座ってゆっくりしててよ」

 "たまにはこんな日も悪くない"。こんなふうに思えること自体、以前のオレなら有り得ないことだっただろうな。
 ケトルのある棚に向かう背を見つめながら、オレはソファーに腰を落として寛ぐ。一見特徴のない部屋に見えるが、所々に女らしさを感じさせるものも見え隠れしている。
 たとえばレース付きのカーテンとか、桃色の花瓶に生けられている花とか。眺めていると、彼女の机の上に置かれている小物入れに目が行く。
 そこにはエメラルドグリーンに煌くブレスレットが掛けられていた。確かあれは先月、オレが彼女の誕生日にプレゼントしたものじゃないか。
 あれからも大事にしてくれていると分かった途端、頬が緩んでいくのが自分でもよくわかる。それと同時に爽やかな香りが漂ってくると、ティーカップを乗せたトレーを手にナナシが戻ってきた。

「お待たせ。今残ってる茶葉これしかなくて……ハーブティーでもいいかな」
「Thanks.いただくぜ」

 ナナシからカップを受け取ると、そっと口をつける。口内が熱さに慣れてくる頃、再びあの透明感のある香りが鼻を通り抜けていく。
 一言で言えば"風"のように、後味を残さないすっきりとしたものだ。オレはこの味に覚えがある。

「これ、もしかして前にも出してくれたやつじゃないか? 実は結構気に入ってるフレーバーなんだ」
「そうだよ。このハーブティー、前にソニックが美味しいっていってくれたの思い出して買い足しておいたんだ。私もたまに飲むうちにクセになっちゃった」

 そう言って微笑むナナシに見つめられると、胸の奥がざわめいて締め付けられるような感覚に襲われる。コイツの笑顔を見ると、いつもこうなるんだよな。
 調子を狂わされるというのはまさにこういうことで、とにかく妙に落ち着かなくなるんだ。ハーブティーを飲み干したオレは渦巻く戸惑いも吐き出すように一息つく。
 ナナシもカップをテーブルに置くと、お茶菓子として用意されていたクッキーをひとつ摘む。これも彼女のお気に入りのもので、ほろりとした食感とくどくない甘さが特徴だ。

「そういえばさ、ソニックって"世界最速"って呼ばれてるんだよね?」
「まあな。この足に敵う奴がいるなら是非お目にかかってみたいもんだぜ」

 突然自分のことを話題に挙げられて、つい得意気に見栄を張ってしまった。オレと併走できる奴はいないことはないが、敢えて黙っておくことにした。

「流石に自信たっぷりだね。実は前から気になってることがあって……ソニックでも追いつけないものってあるのかなって」
「What? さっきも言ったろ、そんな奴がいたら見てみたいって」
「いやー……世界最速であってもそういうのってあるのかなと」

 ナナシは頬をかきながら"ただの興味本位だよ"と笑って流す。追いつけないもの、か。昔なら"No kidding!"の一言で済ませていただろうが、今のオレはきっと違う。

「そうだな、強いて言うなら――

 もう一度ナナシの方に向き直ると、目を丸くした彼女の瞳と視線が絡み合う。よく見ると黒く澄んだ色をしていて、思わず引き込まれそうになる。

「"たった一人の女の心"……とかな」
「えっ……!?」

 オレの言葉を聞くなり顔を真っ赤にして俯き、明らかに狼狽えた様子を見せるナナシ。我ながら気障なセリフを吐いたとは思うが、不思議とその言葉はしっくりきていた。
 このまま思うように気持ちを綴ってもいいんじゃないか。勢いに乗せて、彼女の心に手を伸ばしたって。

"――Wait,その先はお前には早すぎるだろ"

 もうひとりのオレの声が、続きを紡ごうとした舌を止める。彼女のカップに残っているハーブティーから"あの香り"が漂ってきて、全身の熱が引いていく気がした。
 今、何を考えていた。あの後、何を言おうとしていた。オレは一体、ナナシにどんな答えを期待していたんだ。

「……なんてな! お前の顔、林檎みたいになってたぜ?」
「な……っ、もう! ソニックってば!」
 
 宥めるようにナナシの肩を叩きながら笑えば、唇を尖らせて拗ねるように視線を逸らされた。普段が大人しい分、こうして感情を露にする姿は新鮮で――やはり愛おしくなってしまう。
 生まれて初めて芽生えた"苦しさ"は、自慢の足を以てしても振り切れない"熱"へと形を変えていく。いっそのこと認めてしまえば楽になれるのか。
 なあオレ。足踏みなんてらしくないこと、させるなよ。今になって冗談だと流してしまった自分が、少し恨めしく感じられた。
 今もオレ達を包み込む香りは、"癒し"の代わりにささやかな"痛み"を運んでくる。雨はまだ、止みそうにない――

甘い話にするつもりが……切なめになってしもうた。




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