ソニック短編5

Morning glow

潮騒

 私は幼い頃から海が好きだった。学校が休みとなればお弁当を持って近所の浜に出かけ、潮風に包まれながら日が暮れるまで遊びつくす。
 心に迷いが生まれた時も、苦しく辛い時も、穏やかな波音に心を預けることで自身を保つことができた。
 こうして昔から広大な"青"は常に私の背中を押してくれている。それは何年経とうとも、"この世界"に来てからも変わらない――


 快晴の日曜。ここ数週間続いていた激務からようやく解放され、文字通り身も心も軽い。
 サンダルから伝わる砂の感触に、自然と口元が緩んだ。緩やかに吹く潮風にスカートの裾を躍らせれば、陽気な足取りで跡を刻んでいく。
 この浜辺は私が住み込みで働いている屋敷から然程遠くなく、近くには馴染みの街もある。なので時間さえあれば気軽に来られるのである。
 そろそろ小腹もすいてきた所で一旦砂浜から離れて階段を登る。空いているベンチに腰掛けると持参してきたパンを取り出した。
 一休みしたら波打ち際を歩いてみようか。なんて考えながらパンに齧り付こうとした時だった。

「Hey,ランチには良いロケーションだな」

 私の髪が風にそよぐと同時に、穏やかなテノールの声音が耳に飛び込んでくる。驚いてパンを落としそうになるも、なんとか手の中に収めた。
 軽く息を吐くと今度こそ声の主に振り向く。そこにはこの晴天に混ざりそうな色をしたハリネズミ、ソニックの姿があった。見知った姿に今度こそ肩の力が抜ける。

「なんだ、ソニックかあ……」
「見たところ、お前一人か?」
「私、一人で出かけるの好きだもん。誰にも縛られないし、自分の赴くままに行動できるの。素敵じゃん?」

 そう返している間にソニックはしれっと私の横に座る。彼こそいつも一人で行動している気がするけど、その割に交友関係は広いという不思議な存在。
 あのマリオさんに至っては"この世界"に呼び出される前から深い交流があると聞く。

「ま、縛られなくてイイっていうのは同感だが……今日ぐらいはオレに時間を分けてみないか? 退屈はさせないぜ」
「私なんかナンパするなんて、結構ヒマなんだねえ」
「暇人同士、お似合いだと思うけどな」
「今日は海を見に来てるから。ここから離れるって言うなら断らせてもらうね」

 ぴしゃりと言い放つと横目でソニックの様子を伺ってみる。彼はきょとんとしたのち、すぐに笑顔に戻った。この様子だと引き下がるつもりはないらしい。

「そこは安心しろよ。最近ここらにちょっとしたリゾート施設が出来たの知ってるか?」
「え、マジ? 最近ここに来てなかったし、全然知らなかった」
「そこの水上テラスで海を眺めながらのドリンクは乙なもんだぜ」

 なるほど、そうきたか。確かに海を見ながら優雅に過ごすのも悪くない。しかし、ハリネズミとはいえ男と二人きりで遊びに行くというのは些か抵抗があった。
 元々そういったことに耐性がないのである。そんな私の心中など露知らず、ソニックは期待に満ちた眼差しを向けてこちらの返答を待っているではないか。
 いよいよ振り切ることもできない私は小さく息をつくとパンを頬張る。それを飲み込む頃にはベンチから立ち上がっていた。

「分かった。早速連れて行ってよ」
「仰せのままに」

 ソニックは恭しくお辞儀をすると手を差し伸べてくる。普段の飄々とした姿からかけ離れた仕草に、不覚にも胸が高鳴った。頬には熱が宿ってしまう有様で、自分の初心さにほとほと呆れてしまう。
 空の青、海の青、そして――隣を行く彼の青。どれもが私の心までも染めていく気がして、思わず視線を逸らす。

「なあ、ナナシ」
「え、何……?」
「オレの"青"だってこの海に負けてないってこと、これから教えてやる」

 唐突な宣言に一瞬呼吸が止まった。その対抗意識は何処から湧いてくるものなのか、不思議でならない。ただ今だけ、私の意識はソニックの纏う青に奪われていることだけは確かで。
 大好きな海を背景にしているのに、それすらも目の前の青をより濃く際立たせてしまうのだ。そんな彼は何が楽しいのか、口元に緩く弧を描いていた。
 どこか優しげな色を含んだ瞳と視線がかち合えば、途端にいつもの強気な笑みに変わる。ああもう、そんな顔をされたらますます意識してしまうのに。
 これも彼の計算の内――いや、こちらの考えすぎではないか。でもあれだけキザな台詞を浴びせられたら、勘違いしてしまいそうで。
 こうしてかき乱されているというのに、幾度となく安らぎを与えてくれた潮騒は心を揺さぶり続ける。
 まるで私の背中を後押しするかのように、波が、風が、一際大きな音を立てた――

自由気ままなのに、人一倍相手の心情を察する能力に長けている彼。




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