雨という籠の中で
"これからも俺の側にいてくれ"
"勿論よ。もう離れない……"
画面の中の男女が互いの顔を近付けていくと共に、自分の頬も熱を帯びていく。私は昔からこうした恋愛物のドラマやアニメなどが好きで、今はテレビの配信サービスでお気に入りの映画を鑑賞しているところ。
自分もいつかはこんな素敵な恋愛をしてみたいと思うけど、相手がいないんだから仕方がない。気になる存在はいるけど、私から告白なんて到底無理な話だ。まず心臓が持たない。
「ったく、ナナシは本当こういうの好きだよな……」
「何見るか聞いた時"何でもいい"って言ったのソニックじゃん」
隣で欠伸を垂れつつ呆れたような眼差しを向けてくるのは青いハリネズミの"ソニック"。こう見えて私と年齢が近く、出会ってから割りとすぐに打ち解け友人となった。
なんと彼は音速で走ることができ、普段は試合のノルマを終えた途端に屋敷を飛び出していくほどのアウトドア派。しかし今日は朝から激しい雨が続いていて、自慢の足を活かせず不満そうな顔をしていた彼を宥めつつ自分の部屋に招いたのが私だ。
せっかくの休日なのに出かける予定が潰れてしまい暇だったし、何よりソニックと二人きりで過ごすのは滅多にないことだから、良い機会だと思っていた。
「だからって、こんなゴテゴテなやつじゃなくても良いだろ……」
「ちょっと静かに! 今良いところなんだから」
長い苦難の末に結ばれた二人は口付けを交わしていく。それはまるで永遠を誓い合っているかのようで、たまらず腕の中のクッションを抱き締めた。
ああ、いいなあ。いつか私だって――でもいざ自分が、と想像する度に全身が燃えるように熱くなってしまう。こんな自分が心から恋愛を楽しめる日は来るのだろうか。
「キスシーンで顔真っ赤になるとか、お前相当ウブだよなー」
「は、はあっ!? これは、部屋が暑いからだよ!」
我ながら素直じゃないのは痛いほど分かりきっている。それもこれも目の前にいるソニックの存在が私をそうさせてしまうから。彼と過ごすのは楽しいのに、時々胸が締め付けられるような感覚に襲われるのだ。
この痛みの正体を私はよく知っているけど――今までのソニックを見るに、きっと私のことは友達止まりだと思う。ソニックは隙あらば私をからかい、冗談だと分かっているのに彼の言動ひとつひとつに翻弄されるばかり。きっと私達の関係はこれからも平行線のままなんだろうな。
「それに、き、キスなんて外国では挨拶代わりにするようなもんだし……そんな大したこと、」
その続きが出ることはなかった。何故なら私の身体は九十度後転し、背中にソファーの柔らかい感触が押し付けられたからだ。次にまばたきすると視界一面にソニックの顔があり、どこか楽しげに口角を吊り上げていた。
「な、え……そにっ、」
「そう言うなら、試しにやってみるか?」
「へっ……?」
ソニックの口から飛び出した言葉の意味を理解する前に、彼の指が私の唇をなぞっていく。今の状況は現実なのか、それすらも判別できない程に脳内は真っ白になっていた。
顔を近付けてくるソニックに対して、ただひとつ私ができたのは目を強く閉じて身体を強張らせることだけ。心臓の音がやけにうるさく感じる中、唇が触れ合うまであと僅かというところで動きが止まったのが分かった。
恐る恐る目を開けると、彼は悪戯っぽい笑みを浮かべながら上体を起こしていくところで。
「ほらな、"大したこと"だろ?」
彼はそう言い放つと私の手を引いて起き上がらせた。そして何事もなかったかのようにリモコンを手に取る。気付けば映画は終わっていて、真っ黒の画面が私達を反射させていた。
「さて、次は何観るんだ……って、ナナシ? Are you okay?」
まだ呆然としている私の顔の前で右手をひらひらと揺らすソニック。そこでようやく我に返ったものの、未だ胸の動悸は収まらず頰には熱が籠ったままだった。
こんな風に彼は涼しげな顔をして、私の心をぐしゃぐしゃにかき乱していく。日頃からモテている彼のことだ。女子への対応も慣れきっているから躊躇いもせずさっきのようなことができるんだろう。
こちらの気持ちも知らないで――悔しさが雫となって目尻に溜まるのを感じながら、抱えていたままのクッションをソニック目掛けて投げつけようと構えた。
「そうやって私をからかって……ソニックのバカ!!」
「おっと、」
しかし振りかぶった瞬間、私の手首は容易く捕まれてしまった。いつの間にかソニックからは笑みというものは消えていて、翡翠色の瞳がただ静かに私を捉えている。
振り払うことも忘れて、その瞳に吸い込まれるように見つめ返していると、不意に彼が口を開いた。
「もし本気だったって言ったら、どうする?」
「本気って……ど、どうせまた、私を、」
「あの時お前が受け入れてくれたら、続けるつもりだったけどな」
言い終えると同時にソニックは私の手首を解放する。彼の頬には僅かに赤みが差していて、滅多に見られない姿に目が釘付けになってしまうも顔を逸らされてしまった。
「……好きでもないヤツにあんなことするかよ」
ソニックはずっと本気だったんだ。なのに私は彼なりのアプローチをただの"からかい"と形付け、込められている想いを無意識に否定してきた。
何故ならソニックほどの魅力的な存在が、地味な私なんかを異性として意識している訳がないという諦めもあったから。
「まさか……ソニックが、私を?」
「何度も言わせるなよ」
「だって、君はモテるし、私よりももっと素敵な人達とか周りにいるんじゃ……」
「お前の良いところ、オレなら誰よりも多く挙げられるぜ?」
突然ソニックは私の手を掴むと、自分の胸に押し当てた。手のひら越しに伝わる鼓動はどくどくと激しく脈を打っていて、それは私の心臓にも伝播していく。
「今度こそ分かってくれたよな?」
そっと顔を上げた私の視界にはいつものおちゃらけた笑みではなく、どこか慈愛に満ちたような微笑みを浮かべているソニックの姿があった。
その顔を見た途端、目から熱いものがこぼれ落ちて頰を伝い落ちていく。そんな私をソニックは包み込むように優しく抱き締めてきた。彼の温もりを感じる内に涙腺は完全に決壊してしまい、嗚咽混じりに泣き出してしまう。
それでもソニックは何も言わず、ずっと背中をさすってくれたのだった。きっと数分後には、私も自分の想いを真っ向から伝えられるはず――。
普段は飄々として掴み所のない男子が、好きな人の前ではらしくなくなる姿が好き。