ソニック短編9

Morning glow

種火

 雲ひとつない青空の下、木陰に腰を下ろして風を感じるこの一時がオレの心を癒してくれる。いつもならこのまま昼寝でもする流れなんだが、今日はお預けになりそうだ。何故なら――

「ソニックさんの針、艶々してて触り心地良いですよねー」
「おい、逆撫でしないように気を付けろよ……?」
「分かってまーす」

 今オレの後ろに立ち、背中の針を優しい手付きで撫でているのはナナシという少女。オレが"この世界"で暮らしている屋敷に使用人として住み込みで働いている。
 実は彼女も別の世界から来たらしいが、此処に飛ばされる以前の記憶を失っていると、前にマスターから聞いたことがある。
 まあコイツに限らず"この世界"にはワケ有りはそれなりにいるし、そういったヤツらとも互いに上手いこと付き合えている。ただ、肝心のナナシは自分の置かれている状況をどう感じているのか、心の隅で引っ掛かるようになっていた。

「……あれから何か思い出したりはしないのか? お前が元いた世界のこととか」
「うーん、特にこれといったことは。でも最近、それも良いのかなって思うようになりました」
「What?」

 思いもしなかった返答にオレは目を丸くする。普段気丈に振る舞いつつも、本当は失った記憶を追い求めているのではと考えていたからだ。するとナナシはオレの隣に回って座り込み、穏やかな横顔で語り始める。

「今の生活、楽しくて仕方ないんです。仕事は大変ですけど……毎晩寝る前に"明日はどんな一日になるかな"って考えちゃうぐらいに」

 "やっぱり変ですかね?"と首をかしげて微笑むナナシからは、寂しさといった後ろ向きな気配は感じられない。しかし先程から微かに漂うこの違和感を、オレは振りきれずにいた。

「だから、無理に思い出そうとしなくても良いのかなって。それに、ソニックさん達とこうして一緒に過ごす時間の方が大切で、」
「……ナナシ、それがお前の本心なのか?」

 今までの付き合いで薄々感じてはいたが、やはりナナシはまだ後ろ手に何かを抱えている。普段から考えないように心の隅に追いやっているものが。それと向き合わない限り、コイツは前に進めない。
 本当は分かってるんだろ。立ち止まったままで良い訳ないって――そう言おうとした時、ナナシはオレの言葉を遮るように突然立ち上がって背を向けた。よく見ると肩が微かに震えている。

「……ソニックさんは、本当に優しい人ですね。上辺だけじゃなく、こうして真剣に相手のことを考えてくれてて」

 流れるように柔らかな声色。ナナシは今、どんな顔をしているんだろうか。しばらくの沈黙の後、彼女は大きく息をつくとその場に座り直し、そっと口を開く。どうやら心は決まったらしい。

「本当は……怖いんです。ある日突然記憶が戻ったら、此処で生きてきた"私"が、消えちゃうんじゃないかって……」

 ナナシは次第に声を震わせ、膝の間に顔をうずめる。風が枝葉を揺らす音に小さな嗚咽が混ざり、気付けばオレは彼女の肩を抱き寄せていた。
 コイツはずっと笑顔の裏で一人きり、いずれ訪れるかもしれない未来に怯えていた。これ程悩み苦しむくらいに、ナナシは"この世界"を愛している。

「そ、ソニックさん、私は……どうしたら、いいの……?」

 しゃくり上げるナナシを抱き寄せたまま、オレは頭上に広がる枝葉を見つめる。見慣れている風景なのに、不思議と鮮やかに感じるのは何故だろうか。
 それはきっと、彼女が本心を打ち明けてくれたことと――それに対するオレの答えが決まっているからだ。

「いいか、ナナシ」

 ゆっくり顔を上げたナナシの頬には涙の跡がくっきりと残っていた。それをそっと指で拭いながら笑いかけてやると、彼女はきょとんとした様子で見つめ返してきた。

「もし元の記憶が戻ったとしても、"この世界で過ごしたナナシ"が消える訳じゃない。一緒に生きてきたオレ達の記憶にもしっかり"お前"がいるんだぜ」

 それがナナシが"この世界"で生きてきた証明になる。そう告げると彼女の瞳は再び潤んでいき、はっとしたように袖で顔を拭いだす。次に顔を上げた時には、目の回りを赤く腫らしながらも口は弧を描いていた。

「そっか……そうですよね。私、何で気付けなかったんだろう……」
「もしお前が"この世界"での記憶を無くしたって、オレが思い出させてやるさ」

 だからもう怯えるな。今までのように笑ってくれ。そう付け加えるとナナシは目尻に涙を溜めたまま大きく頷く。

「ありがとうございます……ソニックさん。私、もう大丈夫です」

 今度こそ涙を拭い去り、ナナシは屈託のない笑顔を浮かべてみせた。まるで暗雲を払い飛ばし、澄みきった青空を取り戻したかのように。

「Good smile! やっと良い顔に戻ったな」
「……ソニックさんのお陰ですよ。今日、打ち明けられて本当に良かった」

 真っ直ぐにオレを見つめる瞳は柔らかに細められ、何だか胸の辺りがむず痒くなってくる。それを誤魔化そうと、ついナナシから顔を反らしてしまった。ああ、らしくないぜ。

「ソニックさん?」
「……あー、そうだ。いい加減"さん"付けしなくて良いぜ。敬語もな」

 半ばはぐらかす為に言ったとはいえ、良い機会だ。ここらで色々と改めておくのも悪くない。ナナシは戸惑いつつも、小さく咳払いすると改めてオレに向き直った。

「えっと、それじゃ……そ、ソニック……ダメだ、何か照れちゃうっ」

 そう言って今度はナナシが顔を横に振ってしまう。そんな彼女の横顔に宿る赤は、オレの胸の中に確かな熱を与えた。
 今はまだ小さな種火だというのに、どういう訳かこれを静める術が浮かばない。きっといくら走り回ったとしても、オレを纏う風では吹き飛ばせないだろう。
 "Hey,いつでもCoolなオレは何処行ったんだ?"――そう自分に言い聞かせるも、この胸騒ぎは暫く止みそうにない。

相手が本気で悩み苦しんでいる時は絶対茶化さないのが彼の良い所なんです…。




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