② 惜別

Morning glow




 ――ネスと出会ったのは去年の秋頃。私が仕事帰りにひったくりに遭った時に偶然声をかけられたのが始まりだった。
 泣く泣く奪われたバッグを諦めようとしていた時、彼は難無く犯人からバッグを取り返してくれた。
 そして実家が同じ街にあるということを皮切りに不思議と馬が合い、気付けば軽口を叩き合える友人のような関係になっていた。
 そんなある日、私は彼が超能力者だということを知る。その時までは"本当にいたらいいのに"という願望はあっても、現実にはありえないという諦めもあった。そんな私の目の前で、彼は容易くその力を使いこなしてみせたのである。
 実は初めて私と出会った時もその能力を駆使して、犯人を捕まえバッグを取り返したんだとか。当然私は驚いたけど、それと同時に心が大きくときめいていた。だからこそ、あの時はつい年甲斐もなく興奮してしまったんだ。
 ――そしてふと学生の頃に見たある番組のことを思い出した。確か、隣町のツーソンに住む一人の少女が不思議な力を持つとの噂で取材を受けている内容だった気がする。
 その子の父親は何度も訪ねてくる取材班に対して、"うちの娘は見世物じゃない!"と鋭い剣幕で怒りを顕にしていたのが今でも印象的だった。
 誰だって毎日のように我が子がしつこく付き纏われていたら、怒りを覚えるだろう。
 結局、その番組では本当にその少女が本物の超能力者だったのかははっきりしなかったけど、今となってはあの少女ももしかして本当に、と考えるようになった。なんとなくそんな気がするという、私のしょうもない勘だけど。
 ネスが超能力者だと知っているのは、彼の知り合いの中でも極僅からしい。"あまり知られても良いものでもないしね"と言いながら苦笑していたのを思い出す。
 そんな彼が何故私には教えてくれたのか、一度聞いてみたけれど何故かはぐらかされてしまった。私も一応ネスの気持ちを汲もうと思い、彼の詳細については親や友人達にも話したことはない。
 ちょっと変わった性格の友人ができた、ぐらいに留めてある。まあ、そんなこんなでネスとは一年の付き合いになろうとしている。

「ま、私は今やれることを頑張るだけだし。別に投げやりって訳じゃないよ。そこんところ勘違いしないで」
「そっか。それ聞いて安心した」

 ネスはそう返すと頬を緩めた。私としては日頃色々なことに首を突っ込む仕事をしているネスの方が心配なんだけど。もし彼に何かあったら、その時私はどう受け止めればいいんだろうと考える日もあるぐらいだ。

「そういえばさ、ナナシって好きな人とかいないの?」
「はいぃ?」

 突拍子もない質問が飛んできて、声が裏返った。思わぬ方向からジャブを打ち込まれたような衝撃。急に何を言い出すんだ、この男は。前から不意打ちのような言葉を放つことはあったけども、こんな変化球は初めてだった。

「だから、気になる人はいないのかなって」
「……いきなり何でそんなこと聞くの?」
「別に? 深い意味は無いけど」
「……これが恋する女に見える?」

 私は自分を指さしながら彼に問う。私に恋人なんていたらこんな生活してないと思う。多分。それに、正直に言うと自分の容姿に自信はない。勿論性格もこの有様だ。
 確かに学生の頃は甘酸っぱい恋愛とやらに憧れはしたけど、そんなのは遠い昔のこと。今は自分のことで精一杯というのもあるし、これでいいんじゃないかと思うようにすらなっていた。
 こちらの返答に対して、ネスは腕を組んで考える仕草を見せる。また私を茶化す言葉のひとつやふたつ、思い浮かべてるんだろうか。やがて彼は首を軽く傾け私に向かって、一言。

「勿体無い」
「はっ?」
「もっと自信持ちなよ。僕から見たらナナシは、可愛いと思う」
「……ははっ、まーた冗談を。もうその手には乗らんっての!」

 何を言い出すのかと思えば。どうせまたお得意の冗談だろう。直球ストレートを投げて私の反応を見たいんだろうけど残念でした。そんな手に乗るもんか。さっきはつい引っかかっちゃったけど――
 私が呆れ気味に見つめ返してやると、彼は不意に顔を近付けてきた。前から思ってたけど、ネスって顔は良い方なんだよなあ、って何を考えている私。そっちこそとっくに恋人がいてもおかしくないのに、浮いた話は一度も聞いたことが無かった。

「え、ちょ、近い」
「一応本心で言ってるんだけどな」

 ネスは普段よりも低い声で囁くように言った。私は咄嵯に後ずさるも背中は壁に張り付き、逃げ場を失った。

「えっと、いつもの冗談でしょ? やめてよ、そういうの」

 私はこの空気を誤魔化すように苦笑いをするも、ネスの目は真剣そのもの。これは、まさか本当に本気で言ってるのだろうか。いや、いくら何でもおかしい。
 まず今までそういう素振りなんか一度も見せてこなかった。でもそれなら、目の前の彼は何故これ程までに迫って来るのか。

「僕は結構真面目なつもりだよ。もし……ナナシが僕の恋人になったらもっと楽しいんじゃないかなって」
「え……いやいやいや! よく考えてよ、私だよ?」

 私は早口で捲し立てていた。心臓が激しく鼓動して背中を汗が伝い、喉の奥から乾いてくる感覚がする。対する彼はよく見ると、どこか余裕そうな笑みを見せていた。
 やっぱり私の反応を見て楽しみたいだけだろうか。こうしていると自分だけ取り乱しているみたいで、悔しいやら切ないやらで苦しい。

「そうかな。楽しくなりそうな未来しか見えてこないけど」
「……も、もうこんな時間だし、そろそろ帰った方がいいんじゃないのっ?」

 話題を逸らすのが下手にも程があるということは、自分が一番分かっている。それでも追い詰められていた今の私は、無理もないじゃないかと開き直る勢いだった。
 幸いなことにネスはこれ以上追求してくることはなかったものの、不服そうに眉根を寄せている。

「えぇ、もう少し居てもいいでしょ? そうだ、夕飯ご馳走してよ。僕最近コンビニ弁当ばかりだったし」
「はぁ!?」

 何で私が君の分まで作らないといけないんだ。彼は悪びれもせずテーブルの席に着くと、ニコニコしながら私を見つめてくる。時々この男は無邪気な顔をしつつ、こうして何の臆面もなく振舞ってくるのである。

「ほら、早くしないと僕帰らないからね」
「あのさネス君、ちょっと図々しくないかな?」
「少しぐらい僕の食生活を気遣ってくれてもいいじゃん。こっちは中々自炊できないの知ってるでしょ」

 そんなの知るか!と言いたいところだけど、確かに以前から心配な部分ではあった。だって聞けばこの人、依頼のターゲットの張り込みをしてる時の食事はドライブスルーで買ったジャンクフードだけで済ませちゃうって言ってたし。
 冷蔵庫の中には昨日買ってあった野菜とか卵とかあるし、適当に炒め物とか卵焼きとか作ってあげればいいか。ついでにサラダも出して、適当に私のお気に入りのドレッシングでもかけておけばいい。
 献立が決まると、私はネスに聞こえるように大きなため息をこぼしながら台所に立った――


「はい、出来たよ」
「わあ、美味しそう。こういうの久々だから楽しみだな」
「大袈裟だなあ……ネスの好みに合うか自信無いよ?」
「いいんだよ。ナナシが作ってくれただけで嬉しい」

 ほんわかとした表情から放たれた言葉に、私は思わず胸の奥が跳ねる。なんだか今日はよく分からない気持ちになる。
 いかんいかん、惑わされるな私。この男はただ単に空腹で、夕飯を強請る口実が欲しかっただけに決まっている。
 自分に言い聞かせながら、黙々と食事を口に運ぶ。それにしても不思議な気分だ。自宅で誰かと一緒にご飯を食べるなんていつぶりだろう。
 たまには悪くないのかも。そんなことを考えていると、ふとネスと目が合った。彼は手を止め、私を見据えてくる。やっぱり口に合わなかったんだろうか。

「どうしたの……?」
「んー……何かこうしてるとさ、新婚さんみたいだなと思って」

 ――私は盛大に噴き出した。喉から上顎にかけてヒリヒリとした痛みが残る。苦しく咳き込む私の背中をさすりながら、ネスは呆れたように微笑んでいた。

「あーあ、何噴いてるの。大丈夫?」
「だ、誰のせいで……!」
「あはは、冗談だよ」
「あぁもう! おかず取り上げるからね!」

 居た堪れなくなった私は顔を真っ赤にして叫ぶ。ああ、また乗せられてしまったのか。悔しくて下唇を噛む。何だか今日のネスはいつも以上におかしい。
 一体なんなの、本当に。立ち上がってお皿を取り上げようとすると、ネスが珍しく焦りだす。

「待ってよ、まだ少ししか食べてないんだ!」
「じゃあもう変なこと言わないでよ!」
「はあ、分かったよ」

 ネスは苦笑いしながら返事をした。全く、油断も隙もない。こうして食事が再開された訳で、ネスは実に美味しそうに私が作った野菜炒めやら卵焼きやらを頬張っていた。
 黙っていれば年相応の青年なんだけどなあ。すると彼は一旦フォークを置く。流石に満腹になったのかな。

「ナナシの料理を食べてる内にさ、実家のことを思い出しちゃったよ。何となく……母さんの味に似てるっていうのもあるからかも」

 ネスの口から出てきた意外な言葉に驚く。そしてどこか懐かしそうに目を細めていた。彼の家庭環境については以前聞いたことがあった。
 お父さんは単身赴任で海外を飛び回っていて、お母さんと妹さんは実家で二人暮らし。妹さんは昔訳有りで運送業のアルバイトをしていた経験を活かして、今は大手運送会社で事務の仕事をして家計を支えていると。
 それを聞いた時は、私よりもずっとしっかりした妹さんだなあと感心した。

「まさかこういう形で思い出すとはね」
「へえ……たまにはお母さんと妹さんに顔を見せに行ったら? 心配してると思うし」
「そうしたいのは山々だけど、中々実家でゆっくりできる時間が取れなくてさ。たまに電話はしてるけどね」

 ネスは寂しそうに眉を下げながらも笑みを見せた。きっと彼なりに悩んでいるんだろう。家族と離れて暮らすと、不安の種は増えていく一方で。離れていてもどうか元気でいて欲しいと願う日々。
 そして電話越しに聞こえてくる声から安心感を得ると同時に、暖かなものを分けてもらう。私も久しぶりに実家に顔出しに行こうかな、なんて思っていた。

「そうだ、今度はハンバーグ作ってよ。僕の大好物なんだ」

 しんみりとした空気をぶち壊す様な満面の笑み。こうもさらっとご飯を集ります宣言してくるとは。呆れを通り越して変な笑いが出そうになる。こんなに自由奔放な性格でよく探偵が務まっているものだ。

「当然のように次回のタダ飯を要求するな」
「まあまあ、固いこと言わないで。楽しみにしてるからさ」
「私には拒否する権利が有るってことを忘れてない?」
「お願いだよ。一度でいいからナナシの作るハンバーグ、食べてみたいんだ」

 ここまで懇願されるとは思わなくて、ため息をつきながらもつい承諾してしまった。一方的に約束を取り付けられたのに、心の何処かでは嫌じゃないと感じる自分もいた。
 いい加減私もどうかしてるかもしれない。ハンバーグ、か。最近は作ったりしないから腕が落ちてるかも。

「ふう、ご馳走様。久しぶりにまともな食事ができたよ。ありがとう」
「お粗末さま」

 揃って夕飯を食べ終え、私が食器を流しに片付けている後ろで彼はのそのそと帰り支度を始めていた。

「はあ、もうこんな時間か……もう少し居たいなあ」

 そう言いながらちらちらと私の表情を伺うネス。どこか求め乞う犬を彷彿とさせる眼差しを向けてくるけど、私は首を横に振ってその視線を振り切った。これ以上家にいられたらまた彼のペースに乗せられてしまう。

「ダメ。夕飯食べたら帰る約束でしょ」
「でもナナシの家って居心地がいいんだもん。ね、後もう少しだけ」
「……どうせそんな事言いながらもっと居座るつもりでしょ」
「ばれたか」

 悪びれもなく舌を出すネス。この男、本当に遠慮を知らないというかなんと言うか。別に私としてはそこまで嫌ではないんだけども。
 しかし、いつまでもこのやり取りを繰り返すつもりもない。どう返答しようか考えてると、ネスは神妙な顔つきになっていた。

「だってさ、次にこうしてナナシの所に遊びに来られるの、いつになるか分からないんだ」

 ネスの言葉にはっとする。確かにこうしてネスと一緒に何時間も過ごしたことは、滅多になかった。
 今までだって会っても外で軽い食事をしたりする程度だったし、一時間もしない内に彼は仕事に向かっていたから。
 彼は探偵で、日々様々な依頼をこなしていく仕事をしている。人探し、調査は勿論、他言できないような内容のものまで。それもたった一日で片付くものばかりではないということも知っている。

「それは……確かにそうかもしれないけど」
「だろ? だからさ、ちょっとだけでもいいんだ。ナナシの顔が見たい」

 ネスは私に歩み寄り、じっと見つめてくる。その眼差しは寂しげ細められていて、私は直視出来なくなって思わず目を逸らした。
 彼が近づいてくる気配がして思わず向き直った瞬間、抱き寄せられていた。ネスの腕の中にすっぽりと収まる私。
 胸板から伝わる体温と鼓動。耳元にかかる彼の吐息。心臓が激しく脈打つ。こんなのおかしい。だって普通、こういうことって恋人とかがするようなものでしょ。私達友人なんだよ、何やってるのネス。
 そう言いたいのに、言葉が喉の奥でつっかえて出てこない。固まってしまった私の頭を、彼は優しく撫でながら言う。

「ごめん、我ながら女々しいと思うよ」

 らしくなく弱気な言葉を吐く彼。情けないことに私の頭では今の彼に言うべき気の利いた言葉なんて思い浮かばなかった。
 この状況でそこまで思考を巡らせられるほど、私には余裕が無かったんだからと言い訳までしてしまう自分が恨めしい。

「本当はもっとこうしていたいけど、そろそろ帰らないとね。でも……その前に――

 ネスは顔を少し傾けると近付けてきて、あろうことか私の左頬に口付けてきた。私の思考は停止し、全身の感覚が全てそこに集中してしまっていた。  頬から感じる柔らかさと温もり。そこだけがじんわりと熱を持ち始めていた。しばらくしてゆっくりと顔を離していく彼。その双眸には、どこか切なげな色を浮かばせて。
 だけどそれも一瞬のことで、すぐにいつもの飄々とした態度に戻っていた。

「や、だ……急に何すんの!?」
「良いじゃん。これも友情のスキンシップだよ」
「んな訳あるか! もうっ、いい加減お帰り!」

 恥ずかしさのあまりつい声を荒げてしまう。何てことをしてくれたんだ。そんな私を見て、ネスはただ穏やかに微笑んでいた。

「はは、ごめんごめん。それじゃあ……またね、ナナシ」
「全く……体に気をつけてよ」
「うん、ありがとう」

 そして玄関まで送っていった訳だけど、去り際にもう一度頬に軽く口づけをされた。私が怒声を上げる前にネスは悪戯っぽく笑ってみせると、颯爽と出ていった。
 ドアが閉まり、足音が遠ざかっていく。残った私は鍵をかけると同時にへたり込んでしまった。この数分の間に起こったことを思い返す度に、胸の奥で熱を孕んだ圧力が心臓を締め付けていく。
 こんな感覚、学生の頃以来だ。無意識に自分の顔に手を当てながら呟いた。

「ああもう……どうしてくれんの、本当」


 一方その頃、ナナシの住むアパートから出てきたネスは人気のない駐車場の真ん中で夜空を見上げていた。
 雲一つ無い満天の星空。その横顔はどこか満足そうだが、我ながら大胆なことをしたとネスは思っていた。今頃ナナシはどんな気持ちで居るんだろうか。
 きっと良くも悪くも、僕のことで埋め尽くされているんだろうなと思う。そうだったらいい。また暫く顔を合わせられない間、どうしても自分のことをナナシの心に刻みつけておきたかった。
 次に会えるのはいつになるかなあ。使い古された手帳にびっしりと書き連ねてあるスケジュールを見て思わず苦笑する。
 そして小さく息をつくと停めてあった愛車に乗り込み、自宅とは反対の方角へと走らせていく。
 彼の長い夜の始まりであった――

ネスは歳を重ねる度に上手い甘え方を会得していると思う。

続き



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